雨が降ると、地面にたくさんの空が出没する

曲をつくるときに、何をテーマにするか。

恋はよくある。好きだという気持ち。反対に、それが破れた悲しみを歌うのもある。

感情はよく歌になる。良い気持ち、快さばかりじゃなく、怒りや憎悪も歌になる。

長澤知之のブログを読んでいて、ジョン・レノンに触れた記事(2020年、4月17日)があった。

John Lennon & The Plastic Ono Band『How Do You Sleep?』は1971年の発表。『Imagine』に収録されている。

曲の内容は、ポール・マッカートニーへのヘイトだ…と、聞いたことがある。

これを聴いて私が思ったのは、当てはめるのが誰であっても「聴ける曲」だと思ったことだ。

ポール・マッカートニーの目が大きいことは、愛を持ってか憎しみを持ってか、ビートルズ内でもジョークのネタだったという。「その大きな両眼を携えておまえ、どうやって眠るのさ?」といった具合に…メンバー内の関係が悪いときだったら、言われた方は怒るかもしれない。逆に、笑い合える雰囲気のもとにそれをジョークとして発するシチュエーションもあると思う。

「きみのやったことの全て、それはイエスタデイだ」そう言われたら、納得してしまう私がいる。自分がやってきたことは、すべて「昨日」。過去なのだ。

『How Do You Sleep?』に込められたメッセージがあるとしたら、それはジョン・レノンが自分自身に向けて言い放ったことと解釈するのも面白い。

ポール・マッカートニーへの批判か知らないが、ジョン・レノンは客観を失わずにこの曲を世に放ったのではないか。少なくともそうした対立の視点を持って、俯瞰していたのではないか。

眠れないような、やきもきした気持ちがジョン・レノンにもあったかもしれない。自分のことは、第三者の自分(ジョン・レノン)が切り取ってネタに出来る。もちろんそこに当てはまるのは、『How Do You Sleep?』に精通した愛好者がいうように、あくまでポール・マッカートニーへのヘイトなのかもしれない。

どうでもいい対象をネタにはしないだろう。それだけ大きく影響しあう関係を結んだ対象だからこそ、愛しさも憎しみも生じる。感情をぐらぐらと揺さぶることのできる、のど元にも胸ぐらにも手の届く範囲にお互いを置いたからだ。

そのジョン・レノンも、天国かどこかへ行ってしまった。…あるいは、いまもここにいるのかも。

私がジョン・レノン論するのは明らかな背伸びだけれど、いまこの瞬間が私にとっての知の始まりでもある。対立した視点を持てば、思考は磨かれる。中立もある。視座は無限。

浅いなりにも、私はジョン・レノンを、その作品を好きだった。あらためて提起をくれた長澤知之のブログがありがたい。彼の存在もまた、私の中で大きくなっている。もちろん、ジョン・レノンも、ポール・マッカートニーも。

自分のすごした時間の軌道に、私はペグを残して歩く。たまにテントを張って星を観る。ランタンの明かりで本でも読みたい。

梅雨の空の合間に星が見えて、昨日はいい夜だった。あの中のひとつがジョン・レノンだったかもしれない。そんな馬鹿な、って? でも誰が否定できる? 向こうも向こうで、こちらを見ている。

青沼詩郎

参考 Wikipedia ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?