松本隆の存在を私がはじめて強く認知したのは、遅ればせながら松本隆トリビュートアルバム『風街であひませう』(2015)がきっかけだったかもしれない。そこに、小山田壮平&イエロートレイン名義で『SWEET MEMORIES』が収録されるというしらせが舞い込んだときだった。小山田壮平&イエロートレインには初期andymoriメンバー3人が含まれているうえに、Predawnこと清水美和子が含まれている。みな私が敬愛する人たちだし、個人的にも親交があったから私にとって影響の大きいニュースだった。
はっぴいえんどについてはもちろんそれ以前から聴いていた。けれど、バンドから作詞家になった松本隆の作と、私はきちんと出会ってこなかったように思う。
もちろん、彼の作にはあまりにも有名な曲が多い。私は、それを作詞家・松本隆の作と知らず、それどころか作曲家が誰かもほとんど知らずに、かろうじて歌手が有名なアノ人だなぁと思う程度のレベルで、たとえばテレビやらコマーシャルやらで部分的に聞き及んでいたことは確かにあったかもしれない。それどころか、その機会がいかに多くあったかを今になってみるとしみじみ思う。あの曲もこの曲も、松本隆の作だったのだ。
そんなことを思う機会をくれた本がある。雑誌というのが正確か。『SWITCH』(JUN.2020)だ。松本隆を取り上げた特集『うたのことば』を掲載した号である。私が敬愛するくるり・岸田繁も、歌詞という側面に光を当てたかたちでのインタビュー集『「うたのことば」が生まれるまで』として掲載されているから、私がこの本を手に入れる動機はじゅうぶんだった(そのコーナーには他にaiko、川谷絵音、中村佳穂、佐野元春が登場している)。
松本隆特集で、たくさんの彼の作をあらためてちゃんと知った。「あぁ、この曲、彼の作だったんだ」というものもあったし、そもそもその存在をちゃんと認知するのはこれが初めてという曲も多くあった。私はリスナーあるいはミュージシャンとして、勤勉で歴史や知識に富んでいるとは言い難い。そのことを自覚するとともに、そちらへの一歩を踏み出させるきっかけをくれた特集でもある。
インタビュー中に登場するたくさんの楽曲名。それらのいくつかを辿って、実際の曲の音を確かめると、特に私の心をとらえるものがあった。松田聖子の『天国のキッス』だった。
和音が面白い。結局私の音楽における「大好きポイント」というのがあって、それが例えばコード進行、つまり和声のことなのだ。歌詞がどうのというのももちろんある。松本隆に関わる話をここまでしてきておきながら和声に逸れるのはないだろうと横やりをいれる私がいる一方で、それを止められないくらいに和声好きの私がいる。結局私の船の舵取りは彼に奪われる。
このなんとも賢く理知的で、かつ楽園のようなどこかここではない虚構を気象のように私の前に立ち現れさせている曲の作り手は誰かと思えば、ほかでもない細野晴臣だった。松本隆とはっぴいえんどとして共に活動したその人だ。
(ここから少し、和声マニアの話で申し訳ない。)Cメージャー調で起こった音楽、かと思えばⅥ♭→Ⅶ♭を経由してE♭に接続してしまう。
それでE♭を主調にしたのかと思えば、B♭へ導く思わせぶりなモーション。さらにそのB♭がE♭に戻るためのモーションかと思わせておいて、結局また冒頭のCメージャーに戻ってしまう。
“おしえて ここは何処?” “私生きているの?” (『天国のキッス』歌詞より引用、作詞 松本隆)
現実の恋愛の歌であると同時に、虚構の理想の歌でもある。歌い手も聴き手も、どこにもいない。そんな気にさせられる。この曲を積んだアルバム『ユートピア』(1983年6月)の名がそれを示してもいる。シングル『天国のキッス』はそれよりも先、同年4月にリリースされている。
私の生まれは1986年。特に若い時代の松田聖子が音楽界のみならず社会そのものを盛り上げた当時を頭で理解するには、私は幼かった。私はリスナーとして松田聖子をまだちゃんと通っていない。松田聖子に絡んだ思い出話も、まだない。
一方、こうして今でも作品を個人的に聴くことができる。ひとり部屋の隅で曲を聴き、その和声や歌詞や歌声の妙に唸る。それは、自分もいち音楽をたしなむ身としての糧になる。あわよくば今後、(特に)若き日の松田聖子による社会の盛り上がりと一緒に、実際の青少年期を過ごした人たちとの話のタネになればいい。
ちなみに松本隆が71歳になる今日(2020年7月16日)、これを書いている。おめでとうございます。(敬称略)
青沼詩郎
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