私がしばしばお邪魔する八王子のライブハウスpapabeatではしげしげと奥田民生を愛好する人のつどうイベントをしばしば行なっています。先日のつどいでは楽曲『愛する人よ』が会場で愛でられた模様。原曲を聴いてみましょう。
愛する人よ 奥田民生 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:奥田民生。奥田民生のシングル『愛のために』(1994)、アルバム『29』(1995)に収録。
奥田民生 愛する人よ(アルバム『29』収録)を聴く
左右に開いたアコギのストラミング、真ん中にエレキギター。バンドから一歩飛び出したタイミング:弱起ではじまるエレキのリードが渋い。間奏のソロギターは歪みが強くざりざりとした音色とアタックの質感がワイルドで雄弁に達者に動きます。
ベースの音はプレーンで素直です。ドラムのガツっとしたスネアがアクセントします。ドラムの音色自体も素朴で自然で、スタジオから録れたてほやほやで出てきたみたい。
オルガンがピコピコピヨピヨ、エンディングで激しく立ち回ります。ヴァースでところによりカツカツポコポコきこえるのはボンゴでしょうか。木のスティックで叩いたような粒立ったサウンドで愛嬌を添えます。シンプルなバンドの音にこれが入るとコミカルな味わい、愛嬌に幅が生まれる気がします。
奥田さんのリードボーカルも朴訥とした素朴なサウンドで、サビではリードボーカルがダブルになります。うっとりと響きが広がり、音像の奥行きがサビで増すイメージ。私の目も輝きます。
渋いボーカルメロディで、サビのアタマからスコーン!と行くタイプではないじわじわっと熱を帯びて、ここぞでちょっと天井を突き上げる……そんなメロディがいぶし銀です。
コードはⅡmとⅤを繰り返すヴァース。サビはⅠとⅣを交互に出しシンプルな印象ですがⅣがマイナーなのが奥田さんらしい。
シングル『愛のために』のカップリングとしての発表がオリジナルリリースなのですね。『愛のために』はサビのアタマからボーカルハーモニーが効き、ボーカル全般ウェット(残響多め)で華やかなサウンドなので好対照な組み合わせに思えます。『愛のために』『愛する人よ』はシングルとしてリリース後、両曲ともにアルバム『29』収録となります。
歌詞 バラ色の人生に向かって
“簡単簡単べリーグ― 今日の一日も終わった 朝方ちょっと腹立った 夕方めちゃくちゃ笑った これがいつもの 僕の事だよ”(『愛する人よ』より、作詞:奥田民生)
寝て起きると、イライラがいくぶんリセットされます。反対に夕方になると、一日の疲れや小さな不満の蓄積が噴出して鏡の中の自分が“ひどい顔”をしている。なんてこともさもありなん。
朝方腹が立つことといえば……起きてすぐというよりは、起きてから小一時間経過して、さてもうすぐ仕事に行く時間だとか、人と会う約束のために出発する時間だとかそういうときに自分の手や足を止める小さな障害が起こると「腹が立つ」こともありそうです。
夕方は先に述べたように、一日の疲れやストレスが噴出する時間にも思えますが、あるいはもう一日がだいぶ経過した時刻ですので、もう「今日は店じまい!」という吹っ切れる時間でもあります。きょう一日の成績はとっくに出ているのです。もうあがいてもダメ。お日様も沈んで、もうお休みになられるのです。我々もねぐらに帰りましょう。風呂に入って食べて飲んで寝るのです。
そんなリラックスタイムの入口である“夕方”に、めちゃくちゃ笑うのです。これ、良いな。私も夕方にめちゃくちゃ笑うように心がけたいと自分を省みています。
めちゃくちゃ笑うのには相手がつきものです。独りぼっちでも、テレビやメディアやなんらかのコンテンツにあたるなどすれば笑うことはもちろんできるでしょう。
なんだか、すごく普通の平凡な「生活人」を思わせる主人公像なのですが、世の多様なハイライトを一通り経験しているからこそ至れる凪の境地を思わせます。
“これがいつもの”のところ、Ⅵm→Ⅴ(第1転回形)→Ⅰ→Ⅳ→Ⅴの具合にⅤで半終止し、“僕の事だよ”でⅥm→Ⅴ(第1転回形)→Ⅰ→Ⅳ→Ⅵmの具合に偽終止。転回形を交えてベースを滑らかにつなぎ、筆を止めるところでⅠに落ち着くことなくⅥmでのらりくらりと安定感を嫌うように身をかわし、次の展開に誘います。
“昔の夢はいちおうスター あんまり上手じゃないマイウェイ 一度宝くじ当たった まわりのみんなにおごった これがすべての 僕の事だよ”(『愛する人よ』より、作詞:奥田民生)
人生はそもそも「言葉」でできてなんかいないのですし、すべてを言い尽くすなんて到底できません。そこをあえて“これがすべての 僕の事だよ”とさらっと言ってのける潔さがかっこいいのです。
“マイウェイ”はフランク・シナトラが歌った不朽の名スタンダード曲のタイトルでもあります。人生の酸いも甘いもを知った、昭和時代の大ベテランのおじさんがカラオケで歌う十八番というコミカルなイメージを思います。あるいは言葉の意味通りに訳せば「マイウェイ」は「私の道」。人生を理想の道筋通りに上手に歩むことができず、宝くじに当たったという自分の努力の外側で起こる幸運にあやかって周囲に恵を振りまくことくらいがすべてだったという哀愁がたちこめます。
でもでもやっぱり、一個の人間の人生が、それですべてなわきゃぁないのです。人生の実態はもっと多次元で、立体・超時空的なものだと私は思うのです。天の川銀河が数多ある銀河のひとつであれば、私やあなたという人間一個もまた星であり銀河であり宇宙です。
“昔の夢はいちおうスター”。そう、誰だって、一種のスター(星)じゃないかと。「いちおう」というのが良いですね。通り一辺倒、華やかでやましいことなんてなんにもなくて誰もが憧れる存在だけが“スター”じゃないぞと。俺なりのスター(星)のカタチがあるんだぞと。それをちょっと照れくさそうに、自分からは言わないけど聞かれたからもじもじとちょっと気恥ずかしくもありながらしゃべってしまった……そんな哀愁を私は嗅ぐのです。
“陽がまた昇る また陽が暮れる とぼけてる顔で実は がんばっている 陽がまた昇る また陽が暮れる とぼけてる顔で実は 知っている”(『愛する人よ』より、作詞:奥田民生)
朝方ちょっと腹立って、夕方めちゃくちゃ笑って……1日を切り取ってこれが僕のすべてだよとさらっと言って見せますが、フレーミングした:言及した範囲の外側にただならぬエネルギーが注がれ、知的財産が築かれているのです。それが一個の人生というもの。
“愛する人よ何処へ行く 僕を残して何処へ行く”(『愛する人よ』より、作詞:奥田民生)
そういう、言外にある個人の生活・暮らし・命の営みの総体を承認してくれている仮想上の存在が“愛する人”なのではないでしょうか。もちろん、実在する誰かにその任が務まっている場合もあるでしょう。もしもあなたにそんなパートナーや友人・知人がひとりでもいるというのなら、それは十分に幸せなことかもしれません。
“簡単簡単べリーグ― 簡単簡単べリーグ― 輝く明日に向かって バラ色の人生に向かって これがすべての僕のことだよ”(『愛する人よ』より、作詞:奥田民生)
「バラ色」という表現がありますね。理想通りである。願ったり叶ったりである。最上の物を手中に収めたとか、自分を幸せにする状況に接しているニュアンスでしょうか。
「バラ」の単語から反射的に私が抱くイメージは、気障(きざ)な感じもします。ずっと幻想であるからこそ「バラらしい」という気もします。夢や非日常を思わせるモチーフでもあるのですね。だからこそ日常にあえて取り入れてみたくなります。おもむろに、花屋でバラでも買って帰ろうかしら。今までの人生で一度だってそんなことをしたことがないのであれば、なおさらです。バラ色の人生は、案外ご近所かもしれないね。
自分が進んでそれをしないだけで、自分が「縁遠い」と思っている世界(“バラ色の人生”)が日常の陽の昇り沈みと重ね合わせに存在しているのです。“簡単簡単べリーグ―”なのですね。
青沼詩郎
参考Wikipedia>愛のために、29 (奥田民生のアルバム)
奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS) YouTubeチャンネルへのリンク
アルバム『29』(1995)
奥田民生さんが登場した『Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2024年8月号』“自動車でサウンド・プロダクション!”。レコーディングできる車、“トツゲキ号”と“ゲキトツ号”を紹介しています。キッチンカーならぬスタジオカーか。環境を楽しむ、楽しむ環境を創り出す奥田民生さんのユニークな活動はつくづく私に「そういうの良い!(そういうのやりたかった)」と思わせます。
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『愛する人よ(奥田民生の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)