5年どころじゃない催眠術
『いくつかの場面』というアルバムタイトルが表すように、この曲を収録したアルバムの楽曲の提供者が多様で豊か。『時の過ぎゆくままに』が入っているアルバムです。
『あの娘に御用心』のソングライターは大瀧詠一さん。とても早口で何て歌っているの? というもにょもにょ感。リハーサルテイクを誤ってミックスに使用してしまったというトラブルのエピソードがあるそうですが、それがもにょもにょとした不明瞭さと表裏一体のヴァースの表現の原因なのかもしれませんが、“毎日あの娘の夢ばかり 催眠術にかかって 覚めるのに5年もかかるよ”と歌っているくらいですから、その不明瞭さがまるで寝言のような、催眠術にかかってしまったような試みになっていると思えて私には絶妙に感じられます。沢田研二さんのイメージはパン!と華やかで、かがやきや艶、あるいはときに影のある歌唱の質感がアイデンティティに思えるので、こうしたもにょもにょとした、どこか内気で恥ずかしがりな歌の人格を引き出す大瀧印の作品はすごいなと思います。
歌詞に内気でシャイな人格があらわれておもえます。惚れてしまったら大事件だから、そもそも恋心になってしまわないようにあの娘とは目を合わせないように防衛策をとるのです。
人生が、世界が激変してしまう恋をしたことで5年などを仮に費やしたとき、振り返ってみて肯定的に思えなるならそれも良いとは思うのですが。
恋、惚れてしまうことは最低でも5年にわたる事件である。キケンの対象をあの娘とした本曲ですが、「あの娘」にそれぞれ自分をトリコにしてしまう分野、研究や関心の対象を代入して解釈しても面白いのではないでしょうか。私個人についていえばまさに音楽がそれです。もう5年じゃおさまらない長期間にわたる催眠術にかかってしまっているのです、時すでに遅し。いつ音楽と目を合わせてしまったんでしょうね……。
大滝詠一さんのセルフカバーバージョンが複数あります。まるでDr. Johnの“Gumbo”みたいなサウンドアプローチが伺え、沢田さんヴァージョンよりねっちりとしたテンポとグルーヴが凝縮されていますのでぜひ鑑賞の対象になさってください。惚れちゃうかもしれませんが知りませんよ……。
用心したところで、起こるものは起こるのです。
あの娘に御用心 沢田研二 曲の名義、発表についての概要
作詞・作曲:大瀧詠一。沢田研二のアルバム『いくつかの場面』(1975)に収録。
沢田研二 あの娘に御用心(アルバム『いくつかの場面』収録)を聴く
颯爽としたテンポのなか、描き込みが濃ゆいトラックです。リズムに密度があります。16分割のグルーヴ。エレキギター、ピアノ、ドラム、ベースがそれぞれにその解像度でリスナーの脳内を跳ね回ります。あの娘に御用心!との警笛がわちゃわちゃと、私のせまい頭のなかのダンボール箱のなかでぴよぴよさわぎまわるのです。タシ!とかろやかなドラムサウンドに、ベースもよく動きます。エレキギターのアップストロークした直後の音の止め方がタイトでぴったりしています。
バックグラウンドボーカルは大滝詠一さんの声。リードボーカルの「何はともあれ」の呼びかけに対し「御用心、御用心」とレスポンスします。リードボーカルはヴァースで早口をがんばったぶん、コーラス(サビ)はけっこう隙間があります。
バックグラウンドボーカルの人格と、リードボーカルの相容れない人格が同居しているのでしょう。つまり、御用心ダ!と警鐘を鳴らす、理性・自制の人格と、それでも催眠術にかかってしまう、あの娘に視線を吸い寄せられてしまう、挙句の果てに惚れてしまう人格です。これは苦しい。しかし人間の醍醐味です。
ひとりの人格を複数の相容れない人格が構成します。ひとつの肉体がそれをくくります。気分とか、その時の状況にながされて、長い目で見るとつじつまの合わない行動を起こしたり、主張していることが時に違ったりする。それが人間のおかしみです。最終的にはキミ自身に御用心せよ、ですね。また、あの娘とて同じ人間ですからもう矛盾と矛盾のタコ殴り合戦。それが恋愛とか愛の付き合いです。ドツキアイかしら。
青沼詩郎
『あの娘に御用心』を収録した沢田研二のアルバム『いくつかの場面』(1975)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『あの娘に御用心(沢田研二の曲)5年どころじゃない催眠術【ギター弾き語り・寸評つき】』)