一対の世界とオレ

鏡の前のつぶやき。泉谷さんのファースト・スタジオ・アルバム(1972、ファーストライブアルバム含め通算2作目)の収録曲です。

この前年に『泉谷しげる登場』で泉谷しげるさんはレコードデビュー。オレの登場自体がセンセーションでありニュースであり時事なんだ!というインパクトのあるライブアルバムでデビューしたあとの、泉谷さんのスタジオ・アルバムが本曲『鏡の前のつぶやき』を収録したアルバムです。表題曲『春夏秋冬』もほろっとくる名曲。

“のろわれた人達の 身の置き場はない 今 しばらくなのか もう しばらくなのか”のサビのフレーズ。誰のことをいっているのでしょう。人はみな永遠の放浪者であることの暗示。主題が鏡の前のつぶやきですから、ずばり自己描写でしょう。自分がどこかに根をはることはあるのか? どっかりと腰をおろすことはあるのか? いや。きっとオレは旅をつづけるんだろう。追い求めて、さまよいつづけるんだろう。ここにあるもので満足しきることなく、頭も足も動かしつづけるのだろうという、自己問答を感じるのです。この楽曲自体がリスナーの鏡でしょう。本曲に限ったことでなく、すべての楽曲も芸術も鑑賞者の鏡でしょうけれど。

単純接触効果というのがあるといいます。ひんぱんにふれる機会のあるものには愛着を抱きがちという人の心理傾向。“そばに居る人とは わかりあえるのに ひとつ山を越えると よそいき気分 それ程遠いことではないのに ひとりになると 弱音をはく”との歌詞フレーズに、世界のどこかにきょうこの瞬間も起きている分断と無視の冷徹非情さをおもいます。

本曲の泉谷さんの音源を観察していると、8分音符ひとつひとつを3分割したような泉谷しげるさんの譜割りの癖や傾向、グルーヴやリズムの感じ方がすこし見えてきた気がします。無意識なものかもしれません。フォークと結びつけて語られることのある偉大なアーティストにもさまざまあり枚挙にいとまがないと思いますが、それぞれに言葉の乗せ方、波や緩急の感じ方の個性があると思います。細かい解像度でそうした偉大な先例を聴き比べるのも、こういったアコギをジャカっと弾き、叩きちらしながら詩情を表現する音楽を鑑賞する楽しみだと気づきます。

鏡の前のつぶやき 泉谷しげる 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:泉谷しげる。泉谷しげるのアルバム『春夏秋冬』(1972)に収録。

泉谷しげる 鏡の前のつぶやき(アルバム『春夏秋冬』収録)を聴く

吠える泉谷(敬称略失礼します)とささやく泉谷があると思いますが、本曲はささやきが色っぽい。サビは吠えるサイドの泉谷もちらつきますが、いつも、ちょっと諦めの入ったような悟りのまじったような平静さがつきまとっていて絶妙なボーカル実演です。

右サイドに振ったドラムがパコンと快活なサウンド。フィルインで演奏者の分割の感じ方があらわれます。左サイドに振ったシェーカーがシキシキと歯触りのかるい音色で、単独、ドラムに対向します。左にはスティールギターもあらわれます。高いポジションのピアノのダウンストロークも出所を絞ってあらわれます。時刻が、秒針がこつこつと時をたたき示す演出みたいですね。

ベースのスケールのフィールがブルージーです。7♭。ダイアトニックスケール外の音程をまじえて歌うベースが良い。風通しがよく、季節、四季とともに幾星霜が経過するみたいな幹を思います。

青沼詩郎

参考Wikipedia>泉谷しげる

参考歌詞サイト 歌ネット>鏡の前のつぶやき

SHIGERU IZUMIYA -泉谷しげる- Webサイトへのリンク

『鏡の前のつぶやき』を収録した泉谷しげるのアルバム『春夏秋冬』(1972)