“美人 アリラン ガムラン ラザニア マウスだってキーになって 気分 イレブン アクセス 試そうか”(PUFFY『アジアの純真』より、作詞:井上陽水 作曲:奥田民生)

先日、井上陽水の作詞を味わった。その中で注目した曲、『アジアの純真』。

1番のメロ(再度)のところで歌われる詞が先に述べたもの。

ガムランはアジアの民族音楽。私は音楽大学(出身校)でもちょっとふれた。ラザニアは料理だろう。イタリアンだったっけか。で、アリランってなんなん?

と思ってちょっと検索したら、朝鮮の伝説上の?峠のことだそうで、同時にその名前を冠した朝鮮民謡も有名とのことがわかった。伝説上だから「ここがアリランです」と具体的に限定するのは難しいようなのだけれど、伝説や民謡が普及して??、実際に朝鮮の各地にアリランの名で呼ばれる場所があるのだそう。

という認識を築いて数週後の昨日、あらためて検索を重ねたらなんとアリランはユネスコ無形文化遺産(2012年に登録)なのだという。

こちらの説明が最もよくわかった。

駐日韓国文化院サイト

ほか参考。

教育芸術社

韓国観光公社

伝承や再創造の広範さ、多様性を認められて無形文化遺産に。

そう、「アリラン アリラン アラリヨ」とあれば、あとはかなり自由にやっても「アリラン」として認知される…っぽい。より大衆に受け入れられ認知され広まるきっかけをつくったものには映画『アリラン』(1926年)とも。

駐日韓国文化院サイトによればプロ歌手による大衆民謡アリランは19世紀中頃にはあり、流行したそう。つくづく商業歌手の拡散、影響の強さを思う。

私にこのアリランを深く印象づけて認知させたのは、ソウル・フラワー・ユニオン

1998年のアルバム『MARGINAL MOON』に収録されている。名義はSOUL FLOWER WITH DONAL LUNNY BANDドーナル・ラニーはアイリッシュ音楽にブズーキを取り入れた功労者だという。ブズーキはもともとバルカン半島(イタリアの東にあります)、ギリシャなどの民族音楽で用いられる楽器。果実を半分に割ったような形状のボディがオリジナルだけど、フラットバックといって、ギターのような、演奏者の体に接する側の部分が平らなものを開発するのに携わったのがドーナル・ラニーで、こういった特徴のブズーキを特にアイリッシュ・ブズーキと呼ぶようになったという。そんなアイリッシュの功労者とソウル・フラワー・ユニオンの共演によって『満月の夕』『潮の路』といった佳作に加えて、朝鮮民謡の『アリラン』が味わえるアルバムが『MARGINAL MOON』。

SOUL FLOWER WITH DONAL LUNNYがパフォーマンスする『アリラン』の歌詞から私が思うのは、戦争に行く家族を見送る者の心。ほんとうにそういう状況・心境を歌ったものなのかはわかりかねるけれど、“私を捨てて旅行くあなた” “あなたを奪ったあの人は 年は三十八まだ消えぬ” といった印象的な歌詞がある(戦争じゃなくて「出稼ぎ」とかの可能性もあるかな?)。
作詞・作曲には“Korean Traditional Folk Song”とだけ記載されている。誰によって紡がれたオリジナルで、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)らによる脚色や創造の範囲がどの程度のものなのか未確認。

『アリラン』菅原都々子

「アリラン(菅原都々子)昭和25年」と題される映像をみつけた。

アリラン」をひととおり言ったあと短調になり、ワンフレーズでまた長調に戻るアレンジ。短時間に苦さ・甘さ・切なさ・郷愁とめまぐるしい表情。

こちらは作詞大高ひさを、作曲:韓国民謡。

歌詞を見る。

“一夜の恋に いのちを賭けて 千夜を泣くのが 女のさだめ”

恋の歌なのか。時代を感じる。演歌のような重み。

“私を捨てて 越えゆく峠 月も照るな 花も咲くな”

私を捨てて、という表現はソウル・フラワー版と共通する。菅原版を聴いているとあくまで恋の歌に聴こえるから不思議。戦争や出稼ぎでなく、略奪愛や三角関係のもつれを思わせる響き。月も花も、私の苦痛や悲しみを慮って慎み、照ってくれるな咲いてくれるなという心情だろうか。

“恨みながらも 御無事を祈る 恋のあわれを 君は知らず”

やはり“御無事を祈る”とあるところをみるに戦争に行く男性を見送る女性の歌なのか。その2人が恋仲であったり婚姻関係などがあろうものならば、この歌のテーマは惜別であり悲恋でもある。

“思い直して 戻りゃせぬか 幻ゆえに アリラン悲し”

出て行ってしまったその人は、自分の意思で戻ることも可能な条件なのだろうか? 最後のフレーズ、“幻ゆえに アリラン悲し”が気になる。何が幻なのだろう。「アリラン峠」が具体的にどことは限定できない伝説の峠である…とする説と関係あるのだろうか。それまでの悲恋や惜別の雰囲気を一気に抽象化し茫洋とさせる結びである。

(“”内は菅原都々子『アリラン』より引用、作詞:大高ひさを)

後記

J-WIDというジャスラック登録曲を検索するシステムがあって、そこで「アリラン」の4文字を入れて検索したら169件ヒットした。「アリラン」を含むタイトルがリストされたので、きっかり4文字ではなく前後に何かつくタイトルではあるが、アリランはそれほどに創作の題材にされていることがわかる。現代のクラシック作曲家のものも見られた。

案外、世界の「民謡」と呼ばれるものはどことなく似ている。文化・歴史背景はそれぞれ仔細にちがうはずなのに。いずれも、5音音階を基調にしているし、声だけで成立するから簡素なコードづけ・伴奏で歌える。メロディがシンプルなゆえ、複雑なアレンジにも耐えるし壮大な曲想を紡ぐためのモチーフ(断片)にもなりうる。「アリラン」は民謡の世界の一例でしかなく、私は今果てしない広がりの境界上にいる気分。

青沼詩郎

『アリラン』を収録したSOUL FLOWER WITH DONAL LUNNY BANDの『MARGINAL MOON』(1998)

ご笑覧ください 拙演