意味付けられた『蛍の光』

『蛍の光』を聴くとデパートの閉店の音楽を思い出す。と言いつつ私に閉店間際のデパートの利用経験がどれほどあるか知れない。デパートを越えて、あらゆる種類の商店の閉店間際の音楽に用いられている。粘り強く店内に残る客を、蛍の威光を借りて店から追い出しているのだ。蛍も場面によっては虎に勝るか……いや、店内に虎を放ったほうが退店が捗るのではないか。

『蛍の光』に店側の客を追い出す意図を汲み取れるのは、私がそういうものとして接してきたからだ。パブロフの犬みたいなもので、鐘の音色を聴くと食事がもらえる習慣を繰り返すうちに、犬は鐘の音を聴くだけでよだれをたらすようになる。よく教育された客は『蛍の光』を聴けば帰るのだ。お客様はお犬様である。

『蛍の光』原曲『Auld Lang Syne』(オールド・ラング・ザイン、もしくはオールド・ラング・サイン)

なぜ『蛍の光』が閉店の音楽に用いられるのか。なんだかシンミリする曲調だからだろうか。私の感じるシンミリは、閉店の音楽としてすでに築かれている認知がもたらす「気のせい」「偏見」かもしれない。

『蛍の光』はスコットランド民謡の『Auld Lang Syne』(オールド・ラング・ザイン)を原曲としている。私の知る日本語の歌詞は稲垣千穎による。

井上陽水『蛍の光』

イントロから耳孔がひらく響きの独創性に目を見張る。たくさんの井上陽水が、淡く儚げで夢の中にいるような雪や雲を思わせる純白なボーカル・コーラス。エレクトリック・ギターの澄み渡るクリーン・クランチのウォームなサウンドが己のスタイルへの矜持を感じさせる。

原曲の『Auld Lang Syne』(オールド・ラング・ザイン)の歌詞の内容をみるに、回顧の情景や心情を感じる。当然ながら直接「閉店です、帰ってください」と告げる歌詞ではないし、「別れ」を主題として最前面で扱ったものとも違う印象。

スコラーズ『蛍の光』(Auld Lang Syne)

スコラーズ。確かな歌唱のスコットランド民謡の演奏例を求めるとき、私はよく彼らを検索する。ドローンのように宙に浮きサスペンドする内声はバグ・パイプを思わせる。楽器が違っても音楽の構造やスタイルを踏襲するポリシーを思う。

『別れのワルツ』と映画『哀愁』

この『Auld Lang Syne』を3拍子のアレンジで用いた映画が1949年に日本で公開された。タイトル(邦題)は『哀愁』といって、原題は『Waterloo Bridge』。1940年にアメリカで公開されたものだ。余談だが『Waterloo Road』(ウォータールー・ロード)といえば『オー・シャンゼリゼ』の原曲であり、イギリスの通りの名前をフランスの固有名詞・シャンゼリゼ通りに置き換えたヒット曲こそが『オー・シャンゼリゼ』である。『オー・シャンゼリゼ』と『蛍の光』は親が同郷なのだ。

話を戻すと、『哀愁』劇中で、閉店を間際にして主人公らが逢い引きの終わりを惜しむシーン(私はまだ映画を観たことがないが)で用いられるのが3拍子版『Auld Lang Syne』であり、『Farewell Waltz』と呼ばれたものだという。これが日本で『別れのワルツ』としてレコード化されヒットする。採譜・編曲は古関裕而。

ユージン・コスマン管弦楽団『別れのワルツ』

ユージン・コスマン管弦楽団(古関裕而をもじったネーミングだ)の『別れのワルツ』。これぞ、という閉店間際のあの響き。ゆらめくビブラフォンの「これぞ」感。情感が渦巻くストリングス、低音ブラスのとぼけたあたたかい響き。すべり降りるようなダブル・リードはファゴットか。ミュート付きのトランペットの喜劇よろしくのあの響き。クリーンで暖かなエレキギターもモチーフのバトンを受け取る。ピアノのアルペジオがこんこんと降る。グロッケンがユニゾンする。後半ではピアノもモチーフのバトンを受け取る。エンディングはマリンバのトレモロ奏法。涙が出るほどの「これぞ」感。リタルダンドするエンディング。営業の終了を告げる店員たちの頭が下がる。この「全部入り」感が舞台の大団円、カーテンコールを想像させる。これも「閉店」「おしまい」「惜別」の印象に加担する。

閉店のBGMに『蛍の光』のワケ

もとは回顧の趣が強い(と私は思う)『Auld Lang Syne』を原曲とする『蛍の光』が閉店のBGMとして用いられる理由は、先に述べたように映画の劇中で惜別を描いた場面で用いられ、劇伴曲としては『Farewell Waltz』と呼ばれ、古関裕而による採譜・編曲で『別れのワルツ』として日本で広められる中でより「別れ」をモチーフやテーマとしたものであるとの認知のドーピングを受けて広まったからだろう。もちろん原曲の持つ、去りし日を尊ぶ曲想も惜別の意味付けを手伝っただろう。

こう結論するために得た知識はすべて以下のWebサイトがもたらす恩恵であり、ねじ曲がった私がここに書いたものよりも正しく精確・詳細な出典元を参照いただきたい。

世界の民謡・童謡>オールド・ラング・サイン(ザイン) Auld Lang Syne

世界の民謡・童謡>別れのワルツ なぜ閉店BGMに?

Wikipedia>蛍の光

Wikipedia>哀愁(映画)

青春コントで『蛍の光』

私が『蛍の光』について閉店の音楽以外の面で連想するのは、学生が卒業する際の場面を演じたテレビのコントなどで歌われるイメージである。ここでも『別れのワルツ』として顔を広めた『蛍の光』の日本における楽曲史がうかがえる。重ねて言うが、原曲の『Auld Lang Syne』は別れというよりなつかしみの趣が強いと思う。どちらかと言えば、別れたずっとあとで、そのことを心に持って盃を交わすような曲なのではないか。聴いていてもそういった懐かしさを感じるのは、それを知ったことによる補正効果だろうか。

幻想のオープン・クローズ

「これは○○なものです」と言われて受け取ると、実際に「○○」に感じる安直な自分を思う。インプリンティング、刷り込み効果というのか。大量に印刷してばらまく技術や仕組みは社会に革命を起こした。インターネットもそうだろう。インプリンティング社会に生まれ、育ち、回顧するのもプリントされた思い出なのか。「本当のオリジナルは存在しない」と豪語する音楽評論家もいるとかいないとか聞く。私は世界のコラージュでできている。その塩梅、配合比が固有だというだけなのだ。『蛍の光』を聴いて、幻想を店仕舞いしよう。仕入れた音楽で、どうせまた新しい店が開くのだ。

青沼詩郎

井上陽水『蛍の光』を収録した『UNITED COVER』(2001)

ユージン・コスマン管弦楽団『別れのワルツ』をボーナス・トラックに収録した『決定盤 日本コロムビア大傑作選 ~戦後青春編』(2020)。モノラル・トラックの宝庫。

スコラーズが歌う『蛍の光(昔の友)』(Auld Lang Syne)を収録した『プレミアム・ツイン・ベスト 庭の千草~なつかしきイギリス民謡』(2010)

ユージン・コスマン管弦楽団『別れのワルツ』を収録した『決定盤 栄冠は君に輝く 古関裕而大全集』(2007)

ユージン・コスマン・オーケストラ『別れのワルツ』シングルCD。

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