まえがき まえに、うしろに、ここに夢

記憶の混濁物としての夢 大学生の私

最近見た夢は自分が大学生に戻る夢だった。「大学生に戻る」は不正確かもしれない。夢の中で私は焦っていた。それは、社会に出て時間が経っているのに、今さら大学生をやっている自分に対して感じる焦りだと思った。

実際に社会に出てから大学に戻る(ようやく行ける)人も存在する。そういう人が、夢の中で私が感じたような焦りを抱くだろうか? 現実の世界でそれをするのは、本人の強い学びへの意思を感じる。もちろん、意思の強さよりも重要なのは経済的に可能かどうかなのかもしれない。いずれにしても、本人がそれをしたくてそのオトナは大学に戻る(至る)のだから、焦りを感じるのはおかしい。夢の中の私には、現実の自分が混ざっていたのだろう。

それにしても、学びたいことを好きなだけ追及できる環境に飛び込むのはうらやましい。夢の中の私は何を焦っていたのだろう。「社会に出る年齢になってから長い時間が経っているにも関わらず大学生になってしまった」ことに感じる焦りとは別に、夢の中の私は必死で誰かを探していた。どこかの学科にいる、自分が知っている助教だか講師だかそんなような人を。やはり、夢には現実の記憶が混ざっている。

その夢を見る晩の直前の日中、訪れたことのある大学を電車の中からたまたま眺めたのが、妙な夢を見た原因だと思い至った。自分が大学生の頃に用事があってそこを訪れたときのことを思い出した。私は音楽大学の学生だったのだけれど、その頃、バスケットボールのクラブに入って球技を楽しんでいた。バレーボールのクラブにも入っていた。そのどちらかのクラブ活動で、外部の学生と試合をするために、夢を見る晩の直前の日中に電車から眺めた大学を訪れたことがあったのだと、曖昧な記憶を反芻していた。

音楽大学の学生が球技のクラブに入るのは、今でこそ指のケガのリスクでヒヤヒヤしたものだと思うが、当時の自分は気にしなかった。音大生でありながらそういう人が複数いるためにクラブが成立していた。ピアノを専攻する学生も当然のようにクラブのメンバーにいた。ケガのリスクはもちろんどんな活動をしていてもあるだろう。その活動に及んだからといって、それが原因で実際にケガをするかどうかは分からない。人生を決めるのは自分なのだ。

リスクを許し、アクティブに過ごす人生を採るかどうかだ。案外、人柄の出るところかもしれない。私自身がそういう決断をしがちな性格かどうかは別として、クラブの仲間とはだいたい気が合った。

夢と時間の観念

「夢」には「望む将来像」のニュアンスがある。また、眠っているときに見る生理現象も「夢」である。前者は現在の先にある、未実現の像だ。後者は、想像や伝聞を含めた、現在までの自分をごった煮にした像。前者も後者も虚像であるし、想像や伝聞を含みうるという点で似ている。

過去→現在→未来という一方通行の流れ、「時間」の観念は人類の発明なのだとYouTubeの動画で見たことがある。確かに、過去も現在も未来も混然一体となったものが「時間」の実際なのかもしれない。事実は未来から先に決める、という考えもあるという。実現させることをまず決め、そのために必要なことを然るべき順序やペースで遂行するのだ。

まず未来を決めることで現在が決まる……理屈は分かるが、実際はその通りになるかわからない。「目の前に置かれた一本のペンを手にとる」くらい近くてハードルの低い未来なら実現する可能性は高い。そのペンを手に取る必然性があるのならば、であるが。実際は予測の外側にある様々が影響しあう。未来を決める時点での自分の知識や経験の不足がさまざまイレギュラーを起こすだろう。それを補正し、自分を叩き上げて乗り越えていくことが、美しい夢をみる醍醐味かもしれない。

夢路より クレモンティーヌ Les Beaux Reves Clementine

気になる歌を追いかけるとClementineに出くわすことが多い。趣味が合うねなんて私に言われたくないかもしれないが、カバーしたくなる歌に実直な歌手なのかもしれない。

なんでもこの人色にしてしまう。どれほどの歌を自分のものにできるかどうかが歌手の器である。大きければなんでも良いのでもないだろうが、より幅広い歌と友達になれる社交性はその歌手の人生を豊かにする。もちろん、自分だけの歌のみと過ごす生涯もいかなる歌手にだって認められるだろう。でも、Clementineの作歴とそのいずれもが素朴で小洒落ていて素敵なのをみると、歌に社交的なのは大吉なんだと思わせる。

作詞も作曲もスティーブン・フォスター(Stephen Foster)による『Beautiful Dreamer』だけど、Clementineによるこちらはフランス語だろうか、J-WIDで検索するとClementine本人による訳詞のようである。例外もあるが、ボーカル音楽は言語が必須だ。個別の言語を味方につけ、その向こうにまなざしを向ける歌手であるのが望ましい。Clementineがその一人かもしれない。

あとがき 夢も命を左右する

Beautiful Dreamerは確か、高校のときの音楽の教科書に「アメリカの音楽」という括りで載っていた。原曲?は1864年に出版されているという。1800年代後半はヘンリー・クレイ・ワークの『大きな古時計』などと近い時代か。

近年私は1日1曲の弾き語り動画の一発撮影を自分に貸していて、小学校から大学生まで自分が触れたあらゆる歌本や教科書の類すべてを選曲のソースに活用している。

高校生のときには何気なく触れたのか、あるいは授業ではそこまで触れずにスルーしたのかあまり記憶がない。

肌ざわりがするっとして、気持ちよく過ぎてしまうなめらかな美しい曲かもしれない。意外とメインのボーカルメロディは跳躍して大胆にも見えるが、和声に素直なのか調和が高い。アルペジオ:分散和音を感じさせるボーカルメロディの様相だ。それでいて短二度の非和声音が効いている。音楽的な意匠を感じる、作曲の職人らしい歌曲。

眠りに就いているときに、生理的に見る「夢」って、そのほとんどを忘れてしまう。作者のフォスターさんに失礼かもしれないが、そういう流れの良さ、空気や水みたいに偏在する透明性、美しさを感じる『Beautiful Dreamer』。

でも、水も空気も、時にはそれの「在る・無し」が人の命すら左右する。思えば「夢」も、それの「在る・無し」や、その内容が人の行動を左右し、ものは言いようだがその人の「命」を決めるものだ。今日もヒトは連綿と『Beautiful Dreamer』を見て、実行している。

青沼詩郎

Wikipedia>夢見る人

Beautiful Dreamer The Beatles

こちらもまた自分(The Beatles)色に染め上げている、ミスター・『Beautiful Dreamer』。この人たちほど、「俺にも夢が見れる・叶えられる!」と世界中に思わせたグループも稀だろう。

『Les Beaux Reves(夢路より)』を収録したClementineの『Bon Chante(ボン・シャンテ)』(2013)。HMVサイトの『Bon Chante』商品ページへのリンク。紹介文から童謡・唱歌に着目した大衆歌への姿勢がうかがえる。

『Beautiful Dreamer』を収録したThe Beatles『On Air: Live at the BBC Vol 2』(2013)