最近けっこう無理をしているせいか、ほとんど夢を見ない。特に平日は無理が大きい。睡眠時間も少ない。疲れもたまっている。
だが、昨日は夢を見た。昨日はたまたま休みだったから、いつもの平日よりも余裕があったのかもしれない。夢には、描き込むための余白が必要なのだ。
見たのはヘンな夢だった。知り合いのおじさんがやってくる。だが顔面の様子がおかしい。ヘンテコな、ゴテゴテした、西洋邸宅のドアノッカーみたいな金具を顔面の正面にあしらっている。蹄鉄(馬の蹄をまもる金具)みたいな形のものだ。
それはフェイスシールドだった。おじさんがそう言ったのか、私が勝手に理解したのかわからない。夢はときに、強引な話の進み方をする。客観的な理解のために十分な説明がなされることもない。たった一人の観客である私の頭の中のできごと、それが夢なのだ。説明はいくらでも省略される。いや、省略という解釈もここでは不適切かもしれない。
現実にこういう強引な作品がもっとあってもいいような気もするけれど、それでは誰もついて来れないだろう。夢は私だけのための専用映画。チケット代は心身の余白である。
知り合いのおじさんは、知り合いであって知り合いじゃない。私の知っているいくつもの人格が混ざっているようで、架空の人物だ。ただ、それぞれの人格の所有者はおじさんという共通項で結ばれている。その中にはテレビなどのメディアで見て私が一方的に知っているだけのおじさんも含まれている。自由なコピペのカクテルでつくられた、架空のへんなおじさん。
このおじさんは大変魅力的だった。ウィットに飛んでいて、とぼけたことを言っている。私はそれをわかった気になって、くすくす笑っている。このおじさんの一面は、現実で私が知る、実在のあるおじさんの一面であって、なおかつすべてがそうとも言い切れない。夢のようなおじさんだ。
合唱曲 夢の世界を
作詞・芙龍明子、作曲・橋本祥路(私の知るものでは『時の旅人』ほかを作曲、合唱曲の編曲も多数)。
ネット上に、特定の演奏者名を詳しく明かした音源が意外と少ないかもしれない。YouTube検索では演奏者がわからないものばかりがヒットした。
YouTube外で探したら渡瀬 昌治 指揮/神代混声合唱団による『夢の世界を』を見つけた。聴ける人はお試しあれ。
上行と下行を繰り返すピアノ伴奏が流麗。サビ前のピアノのフィルの半音下行、さりげないが好きなポイントだ。歌唱も伴奏も、一拍を三分割したかろやかな二拍子(6/8拍子)のダイナミクスをつかんで演奏したい。
私の世代の学校の教材にさらりと登場しがちな曲だった。サビ頭でスコンと高い音域の発声が求められる。ここの響きをナチュラルに美しく表現したい。が、在りし日の私には難しい、ハードルの高い歌だった。抵抗を覚えてしまうくらいだったのを記憶している。かつて私は、歌唱に苦手意識があった。
ところでおじさんはよく、だじゃれを言う。すぐに音韻、韻律に関連や共通点を見出してしまうのだ。それがたとえ、機知に富んだ笑えるものでなくても外に出してしまう。おじさんの生態あるあるだ。
ものごと同士のあいだに共通点や関連を見出す力は、生きるほどに増える。私は人生を蓄えてきてきたおじさんが好きだ。へんな意味じゃない。自分もそうなるだろう。なるべく誠心誠意生きていきたい。笑える機知をまとわせて外に出せば、それは駄洒落ではなく洒落である。「駄」一字の有無で、両者は大違いだ。駄洒落おじさんよりは洒落たおじさんをめざしたい。できればお兄さんでいたい。この願望がすでにおじさんのものかもしれない。自己否定は望まない。下の世代に好かれられるものなら好かれたい。夢で見た、あのおじさんに寄せる、私の好感に近いものが、あわよくば未来の私にも寄せられたらいい。え、すでに……? それならそれもいいだろう。
青沼詩郎
『夢の世界を』を収録した『ビリーブ+(プラス)合唱定番編』
『ぼくの好きな先生』を収録したRCサクセションの『KING OF BEST』
ご笑覧ください 拙演