本牧メルヘン 鹿内孝

作詞:阿久悠、井上忠夫。編曲:川口真。鹿内孝のシングル(1972)。

鹿内孝 本牧メルヘンを聴く

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感性を揺さぶります。鹿内さんの歌唱のキャラクターが圧倒的です。そして歌のストーリーがなんともミステリアス。どう読み筋を見定めたら良いものか。

トット、トコトコとかろやかなリズムが左からきこえてきます。ちょっと軽い感じのこの音色、ボンゴでしょうか。サビで右からドラムが出てきます。個人的には筒美京平さんの編曲した作品を思い出させる、16分割のキックの効いたファンキーでグルービーなフレーズのドラムスです。右にドラムが出てくると、左のトコトコ軽いリズムは影をひそめ、アコギのストラミングが左側で支配的になるサウンドです。

最後のサビだけメインボーカルがダブリングになりますね。鹿内さんの歌唱の濃さでしたら最後までダブルなしでも良い気もしますが、そこはなんといいますか、本牧あたりの港や海の近くの上空を舞う海鳥の群像のようでもあり、これは曲想を汲み取った然るべきアレンジかもしれません。

弱音器をつけたトランペットが寂しい。そして口笛エンディング。あぁ、背中がみえます。誰の背中でしょう。カモメになったあのこ、なのか。

山崎ハコ 本牧メルヘンを聴く

楽曲『本牧メルヘン』の認知を初めて私にくれたのは、サブスクにあった山崎ハコさんによるカバーでした。

加藤和彦と北山修『あの素晴しい愛をもう一度』を思い出させる恒常のバスドラムとアコギのスリーフィンガー的なフレーズ。こんこんと降り注ぐようなアルペジオです。いかにもなフォークの様式を備えていますが、間奏のソロギターなど、歌謡曲あるいはラテンやスペインのような湿っぽい抒情を思わせます。マイク乗りのよい山崎さんの声のピークの質感、曲の表現をその身に降霊させた歌唱のニュアンスが良好です。

歌詞

本牧で死んだ娘は鴎になったよ ペットのブルースに送られて 踊るのが大好きと言ってたあの娘が さびしさに耐えかねて死んだのさ

『本牧メルヘン』より、作詞:阿久悠

ブルースという名前のペットの飼い主である「あの娘」が亡くなったのでしょうか。ブルースは猫なのか犬なのかそのほかなのか明かされません。つけられた名前「ブルース」がさみしい。飼い主の趣味を思わせます。

本牧の夜ふけ頃にがめのコーヒー 飲みながら思い出す あのことを 恋をしたこともなく悩みもないのに あの店の片隅で死んだ娘を

『本牧メルヘン』より、作詞:阿久悠

さびしさで死んでしまうものと思うと、安直に想像しますと感情や精神の浮き沈みが激しい極端な人物像を思い浮かべる私ですが、かならずしもそうでもないようです。恋をしたこともなく悩みもない、という。感情や精神の浮き沈みの激しさと、恋の経験や悩みの有無は直結はしないでしょうが関係はありそうに思えます。

曲を前半くらいまで聴いて少しその可能性を思ったのは、人間以外のもの、たとえばペットが亡くなった無念や悲しみをこの楽曲の作詞に認めたのかなということです。

ペットのブルースに送られてとあるので、ペットがペットを送るのは少し不自然かな? とも思いますが、さらに想像を連ねれば、複数頭で犬や猫を飼う人も世には少なくありません。

ジョニーもスミスも泣くのを忘れて 海鳴りに向かって歌っていたよ 本牧で死んだ娘は鴎になったよ なぜかしら誰でもがそう思う

『本牧メルヘン』より、作詞:阿久悠

ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』に、タイトルの通り「ジョニィ」が出てきます。『本牧メルヘン』と同じ、阿久悠さんの作詞作品です。阿久悠さん印といえるほどの専売ではないかもしれませんが、「ジョニィ」「ジョニー」は阿久悠作品であることを私に深く腹落ちさせる(納得)させる「お印」でもあります。

昨日マー坊 今日トミー 明日はジョージかケン坊か 恋ははかなく過ぎて行き 夢は夜ひらく

『圭子の夢は夜ひらく』より、作詞:石坂まさを、作曲:曽根幸明

藤圭子さんが歌った作品の歌詞を引用します。とにかく、こういうオトコのニックネームをぼんぼん放り込む歌が結構世にはあると思います。ぼんぼん放り込むは言い過ぎました、『圭子の夢は夜ひらく』はオトコをとっかえひっかえである様子を特に描く意図があったのでしょう。

そういう、恋愛を描くのが、固有名詞のニックネーム「ジョニー」といったモチーフが登場する楽曲の「あるある」だと思うのですが、ところが『本牧メルヘン』は、先に述べましたように、どこか、「ただの恋愛ものがたり」でない気がするのです。この悲しみの念のつよさ、ひしひしと来る感じは、ひょっとしたらペットを喪った悲しみなのかなと思うのです。

『本牧メルヘン』に出てくる「ジョニー」「スミス」は、いずれも、複数頭飼いしていた「犬」なのじゃないでしょうか。そのなかの一頭であった、おそらくメス犬の「あの娘」が先に逝ってしまった。涙をしめしめと落とすのでなく、残された「ジョニー」も「スミス」も、海に向かってやらたに吠える(歌う)。まるで、先に逝った「あの娘」を送り出す敬意なのか、あるいは亡くなったことへの疑義をつきつけ、「なんで死んじまったんだ!」と、悲しみが涙に変わる以前の理不尽な怒りをぶつけているのか。「ジョニー」「スミス」「ブルース」そして「あの娘」の、少なくとも4頭、犬なりなんなりの動物が一緒に暮らしていたのかもしれません。ブルースの位置付けが少し違ってみえるので、ブルースは犬以外の動物かもしれませんね。猫だったりするかも?

……と、はなはだ勝手に想像をふくらませました。もっと違う読み筋があるかもしれませんし、作詞者の思う意図や解釈は実際はぜんぜん違うかもしれません。かなり恥ずかしいレベルで的外れな解釈を開陳した私かも分かりません。

ここまで私を暴走させるほどに、『本牧メルヘン』にはリスナーのイマジネーションを導く強い情念が宿っているのです。

青沼詩郎

鹿内孝『本牧メルヘン』を収録した『ロッテ歌のアルバム ポニーキャニオン編』(2003)。鹿内孝名義でのアルバム作品やベスト盤・シングル集、CD版のシングルなどは発表がないのか廃盤なのか、こちらのコンピが鹿内孝『本牧メルヘン』を現在確実に聴ける貴重なソフトのようです。

山崎ハコによるカバー『本牧メルヘン』を収録した『十八番』(1994)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『本牧メルヘン(鹿内孝の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)