浮気も本気説
「男」で全個体を型にはめるものいいだと解釈すると平成を経た令和のいま、前時代的がすぎるかもしれませんが、この曲でいう「男」とは、一般名詞(代名詞)を用いてはいても「俺ら(おいら)」いち個人のことをいっているのではないでしょうか。主題『俺ら(おいら)の家まで』ですし。
自分のいたらなさ。不埒さ。浮気者っぷり。そうした面を自分で理解している。つたなくて、精神が未熟で、紳士になりきれないおいらだけれど、おまえを好きでいるしかないんだ、最後の最後の心の奥でただひとりおまえを想ってるだけなんだよという直情、純情を訴えているのです。
いやいやいや、最後にただ一人心の奥で想っているのが私だけなら、あんたの浮気なところが許せない、それで嫌な気持ちになる私のことを考慮して、浮気なんかやめてくれることこそが、あんたにできる私への本物の愛情表現なんじゃないの? なんて思う人だったら、この主人公と長続きするのは少々難しいのかどうかわかりません。
本曲中で私が気になったフレーズは「女好きは俺らの悪い癖 でも遊びなんかじゃないよ」です。このフレーズ、「浮気(遊び)癖があるおいらだけれど、君のことは遊びじゃないよ」というのがストレートな解釈だと思うのですが、初めて私がこの曲のこの部分を認知したときに直感した解釈は「全部の浮気がおいらにとって、それぞれに本気」という意味に聞こえたのでした。複数の恋を同時にしちゃう癖があるんだ。そのどれも、おいらにとってマジメで、本気なんだよ。全部、遊びなんかじゃないんだ(もちろん君への気持ちも含めてね)……という意思を感じてしまったのです。
ストレートのほうの解釈がまっとうな本曲の味わいだと思いますが、案外私が勘違い(?)した「浮気も本気」説のほうが、実はこの曲の主人公の思想信条を言い得ている……などと解釈したら主人公に怒られてしまうでしょうかね。あなたはどう思いますか?
俺らの家まで 長渕剛 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:長渕剛。長渕剛のシングル、アルバム『風は南から』(1979)に収録。
長渕剛 俺らの家まで(アルバム『風は南から』収録)を聴く
長渕さんの歌唱が可憐です。ファルセットをまじえて、上の音程に抜ける表現を随所に含めます。このウラ声の表現がウワキ心の意匠でしょうか。でも心の基盤は実声のほうにちゃんとあるんだぜ、といった感じか。リードボーカルがダブリングの音像になっているのも、人格の二重性を表現します。浮気しちゃうおいらと、君のことを心の奥に持っているおいら。そのふたつのキャラがぴったりかさなりあってせめぎあっているのかもしれません。
ころころとバンジョーの音色がころがります。一小節4つのダウンビートがちゃくちゃくとおいらのうちに向かう足取りのように安定しており、高い音域のアコギだかマンドリンだかがウラ拍をかるくはずませます。ベースのプレイがものすごく軽くて、羽毛のジャケットみたい。高い音域まで流麗にのぼったり、短く音を切ったり、至極自由です。さてはオヌシ(ベースの演奏に宿る人格)、浮気者だな? ほわっとエレクトリックピアノの音色、心に舞い込む風(うわきごころ……)のようにペダルスティールギターが漂います。エレキギターは脇役としてのプレイが玄人好き。フェンダーストラトキャスターのような歯触りのかるい輝かしい音色です。
間奏でフィドルのようなプレイスタイルの擦弦楽器が入ります。カントリー、トラッド、アイリッシュのようなスタイル。編曲は石川鷹彦さんです。どれくらいこまかくフメンを書く方なのでしょうか。私の趣味の音楽の編曲名義に頻繁に登場する方です。何の楽器がどんな感じのパターンで入っていて、決めどころはこんな感じで……といったテクスチャやコード進行や曲やセクションのサイズをきっかり共有したらあとはざっくり演奏者にまかせるといったのびのびした方針を勝手ながら感じるのですが実際の制作の真実はどうなのでしょう。固有の演奏者の特長を引き出す素敵な編曲だと思います。
青沼詩郎
長渕剛 TSUYOSHI NAGABUCHI | OFFICIAL WEBSITEへのリンク ミニアルバム『JUST ONE』が2026年6月30日(火)にリリース。代表曲『とんぼ』『RUN』『乾杯』のセルフカバーと新曲3曲で構成。
『俺らの家まで』を収録した長渕剛のアルバム『風は南から』(1979)