かもめ児童合唱団『インターネットブルース』に感銘を受けた。
かもめ児童合唱団のアルバム『インターネットブルース』(2016)収録の標題曲。
かもめ児童合唱団公式サイトに“三浦半島最南端の太陽の子供たち”という自己紹介がある。
神奈川県三浦市在住の声楽家・小島晁子が指導する合唱団。結成は1972年(私よりずっと先輩だった!)。メンバーは4歳〜13歳で約30人。児童は成長して入れ替わる。
港町である地元の三崎にゆかりのある北原白秋(Wikipediaへのリンク)や小村三千三(こむら・みちぞう。関連記事へのリンク)を中心に歌うというが、2008年以降のCDやレコードリリースはめざましく、オリジナルやJ-POPやフォーク、コラボレーションのレパートリーも目立つ。“空き地ライブ”と称した自主ライブをする。
彼らと出会って2008年以降制作を共にするようになったのが音楽プロデューサーの藤沢宏光(関連記事へのリンク:J-WAVE)。『インターネットブルース』の作詞者。
現代人の悲哀のど真ん中をとらえたテーマを子どもたちがまっすぐな視線で歌い上げる。私もあてはまると思うような身近な描写に満ちあふれた歌詞が巧妙で共感する。
サウンドは洗練。合唱、民謡、ブルース、ロックのエッセンスを持っているがその性根がポップ。エレクトリック・ギターのカッティングとリードが秀逸。演奏者は誰か。作曲者の菅原弘明(彼のTwitterへのリンク)だろうか。手元にCDブックレットがあればわかったかもしれない。
歌メロはペンタトニック・スケールを基にしている。3ライン目の歌詞でⅤmを絡めてⅳやⅶのスケール音をつかったペンタの外し方に私はうなる。ペンタトニック・スケールを基にして、部分的に「外す」のは私が名曲やヒット曲と認識している作品に多い共通点でもある。
たとえば近年話題をさらってばかりいる米津玄師作曲の『パプリカ』もそうだ。枚挙に暇が無いほど例があるので、際立った特徴とは言い難いかもしれない。それほどに基本的な要素ともいえる。
『インターネットブルース』の話に戻る。曲が後半にさしかかる部分の歌詞“夜中にひとりインターネット 部屋の灯りを暗くして”(『インターネットブルース』より、作詞:藤沢宏光)の部分では、ニ短調に変わる。主調がニ長調だから同主短調だ。歌詞が描く場面と音楽がビシっと合っている。「1番2番3盤…」と歌い継ぐシンプルな楽曲構造だから、この転調の部分が中盤に緊張を与えてキュッと引き締めている。聴き手の意欲になおも灯りを点し続ける。
終盤では歌詞“家族みんなでインターネット それぞれ別の部屋にいて ご飯が出来たとメール来る なんと便利な世の中よ”(『インターネットブルース』より、作詞:藤沢宏光)と綴り、誰もが意識しやすいと思われる最小の集団の単位に着目する。ご飯を作ってメールを「送る」側の立場を私は思った。歌い手が「かもめ児童合唱団」だから、おそらく団員たちは食事をつくるよりも作ってもらう機会が多いであろうことを想像すると、ここでは歌い手と歌詞の表現の主体は符号する。ただ、14歳で卒団? してしまって以降の年齢の青少年のほうがこの像としてはしっくりくる気もする。
歌い手と歌詞表現の主人公が一致しないといけないルールはない。むしろそこにミスマッチがあるほうが面白いとも思う。実際、かもめ児童合唱団が取り上げる曲のオリジナル・アーティストはさまざまだ。先日このブログで取り上げた坂本慎太郎が作詞・作曲の『あなたもロボットになれる』にしても、ナンセンスでSFな世界の語りがかもめ児童合唱団のあどけなさの残る声だというのが絶妙だ。歌詞の語尾に“〜ですよ”がつく部分がある丁寧さ、客観や達観、冷静・平静な視線も細かいが私が重視するポイントだ。(『あなたもロボットになれる』歌詞リンク)
こんなに一曲を気に入ってヘビロテしたのは久しぶり。…と、朝も夜もインターネットにつながって何かしてばかりいる私。ひとごとじゃないよ!!!!!!!!!!
青沼詩郎
標題曲を収録したかもめ児童合唱団のアルバム『インターネットブルース』(オリジナル発売年:2016)。2019年5月開催“かもめ児童合唱団、クアトロへ、行くっ! ”ライブ音源を含むデラックスエディション。
かもめ児童合唱団のアルバム『焼いた魚の晩ごはん』(2010)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『インターネットブルース(かもめ児童合唱団の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)