お互いを黙して認める
キッチンは生活の象徴。
家族の生命を養う源泉地。
それでいて、複数の人数が立つには狭い。
だから、ばらばらに、入れ替わり誰かがそこに居る。
親父が換気扇の下で吸ったタバコの箱。残った氷が溶けた水が溜まった、飲みっぱなしのウイスキーのグラス。
母親と料理の関係を絵にするとそこにはついフライパンを描き込みたくなる。
僕はといえば…誰もいないときにこっそり入って、何か冷蔵庫を漁って口に入れてみたり、棚から出してきたお菓子を腹の中に隠してみる。
ばらばらに、家族の姿がそこにはある。
1番すべてをお互いに把握している間柄のようでいて、1番基本的なことさえも知らない間柄。ただ、それでいて、毎日決まった時間にだいたい誰かが居る。帰ってはまた出て行く場所がそこにある。
ハナレグミ 家族の風景
和声・非和声音:縦横の音の様相
そのとき鳴っているコードに対して、7thや9th、4thの音を歌メロディに用いていて妙。そうした音を、跳躍進行でつないでもいる。
コード進行はシンプルだが飾りを巧くつかっていて反復が多く、真似したくなる。
和音の構成音(第1・3・5音)を家庭に見立ててみる。そこを構成音外の音(9th、4th、非属音の7thなど)を経由して、家族が出たり入ったり。家族一人ひとりがメロディのように、横の動きを持っている。家庭内(和音の構成音)に落ち着いたり、外の顔で行動したり(9th、4th、非属音の7thなど)する。複数の音(家族)の様相で、響きは刻々と変わる。音の響き合いは、家族の風景。家庭の内外を含めた、家族一人ひとりの動きすべてが、響きを左右し、上下に揺らす。「家族の風景」という名の空間を構成する。
数多ある紋切り型の歌モノに埋没しない個性を獲得している理由は、こうした付加的な存在の音やテンションノートの歌メロディやコード進行への適用、跳躍進行を含めた和声音・非和声音間の出入りにあるのではないかと仮説してみる。
歌詞のカタカナ
カタカナ語が音韻の気持ち良さに翼を与える。誰もの心の原風景を独自の画角で描き出している。キッチン、ハイライト、ウイスキーグラス、フライパンマザー…一般的な名詞もあれば固有名詞もあれば造語もある。豊かな語彙とセンスが憎い(ほめている)…なんていい歌なのか。
自立も家族の風景
みんな大好き(になる)、名曲『家族の風景』。作詞・作曲はハナレグミこと永積タカシ。ドラムには私の好きなバンド・Polarisの坂田学やクラムボンの原田郁子がピアノに乗って、軽妙に奥深くアンサンブルしている。音楽仲間との協同もまた、永積崇の家族の風景の一部なのだろう。
青沼詩郎
『家族の風景』を収録したハナレグミのアルバム『音タイム』(2002)
ご笑覧ください 拙カバー
青沼詩郎Facebookより
“ハナレグミ『家族の風景』
歌メロに跳躍、テンション音が多い。うろ覚えだった細部に音取りが要った。リズムも16分割のとこあるし、ハネたグルーヴしてる。
コード進行はおおむね反復。真似したくなるイイ雰囲気のイイ歌なんだけど、ポップソングの金太郎飴に埋没しないオリジナリティがあるのは、先に述べたようなテンション音や跳躍に特徴があることと、「キッチン」「ハイライト」「ウイスキーグラス」「フライパンマザー」といった名詞の音韻の気持ちよさとテーマの普遍性を結びつけているからだと仮説してみる…
…なんてゴタク抜きにして、イイ歌なんだよなぁ。”
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