作詞:有川正沙子、作曲:和泉常寛。編曲:新川博。1986オメガトライブのシングル、アルバム『Navigator』(1986)に収録。

青くはつらつとしたボーカルのキャラクター。若いとか青いとかいった形容はときに未熟だとか半人前だといった否定の意味で用いられることもありますが、この楽曲のカルロス・トシキさんの歌唱は稀有で儚く美しいの意味で青い・若いといった形容を用いたくなります。

全体の印象を握るのは、いかにもこの時代らしいサウンド。この楽曲の最初のリリースの形態はなんだったのでしょう。CD(コンパクト・ディスク)が登場したのは1980年代の前半のようです。「ジューン」と滲み広がるようなシンセサイザーの音だったり、ゲートがかって輪郭がシェイプされて、ガツっと太く無機質で、どこか冷たいような質感を覚えさせるスネアのバックビートが楽曲を通して印象的です。

サビはベースがスラップし、ちょっとワウがかったような前のめりなサウンド、ドラムス1・3キックの2・4スネアの恒常的なパターンに。定位を出すタムに浮遊感が漂います。ウワモノがキラキラし、タイトで、壁を厚塗りするのはシンセの音、キラキラしたベルのようなチャイムのようなグロッケンのような音もひょっとしたらデジタルでしょうか。

アナログっぽいサウンドをよく「暖かい」と形容する傾向がありますが、『君は1000%』のサウンドは清涼感でいっぱいです。しゅわしゅわした飲み物とか、リゾート地とか、あるいはそういうものの記憶を連れ立ってくるモノの広告に用いたくなるような……とにかく、たくさんの人の記憶を彩って然るべし、古ぼけることのないイノセントな水飛沫を思わせる快作です。

“君は微笑みだけで 海辺のヴィラ 夏に変えてく 僕のイニシャルついた シャツに着換え 何故 走りだすの”

(『君は1000%』より、作詞:有川正沙子)

ここが都市であっても、いまの季節が夏以外であっても、その場を夏、シチュエーションを海にしてくれるようなパッキングされた空気が秀逸なサウンドと歌詞のラインです。

ペアルックをするとか、相手を象徴するアイテムを自分の身につける形で愛情を表現する恋の趣もあるでしょう。イニシャルのついたアイテムと聞くと、なんとなく80年代〜せいぜい90年代前半くらいの時勢を想像します。現代の人の恋愛でもそういう様相は観察できるのかどうかわかりません。恋愛なんてまかり通った普遍的なものは、あんがい古今東西でその景色がそう変わるものでもない気がします。現代の高校生とかも、どっかで似たようなことやっている人はいるのかもしれませんね。イニシャルアイテム、それも「シャツ」くらい面積の広いものだとちょっと小っ恥ずかしい気もします。個人的には、指輪の裏側に掘ってある……程度に隠されているほうが抵抗がありません。まぁ、シャツにせよイニシャルが表記された面積はごく小さくさりげないものなのかもしれません。私が勘繰りすぎなのかも。

“熱いこころの波打際へと 近づく僕の 誘いかわして”

“もしも君だけ夜にまぎれても 銀の涙は 僕に返して”

(『君は1000%』より、作詞:有川正沙子)

主人公のほうが君を追いかけている、あるいはほんろうされているような微妙なふたりの距離感や関係性こそが、この楽曲のサウンドにまであらわれたスピード感の核心なのでしょう。言葉やフォーマットの向こう側にある楽曲の本質、コンセプトみたいなものが素晴らしい。音楽で、音楽の向こう側にあるものの抽出を試みているところが、はじけるような青青としたさわやかさや、永遠に続く春、いえ、「夏」のような、空気の真空パック感に直結しているように思います。君は1000%というタイトル主導で発表へ向けて走り出しているといいます。曲先・詞先のいずれかを問うことで制作の参考にする作家の習性もあると思いますが、タイトル先なのですね。ある意味正道だと思えます。音楽も言葉もすべて、それを紡ぐ原動力、資源≒本質を抽出した主題に導かれて生まれるわけです。コンセプト先、タマシイ先行……音楽も絵も舞台でもなんでも、生命を映す鏡なのです。

青沼詩郎

参考Wikipedia>君は1000%

参考歌詞サイト 歌ネット>君は1000%

1986オメガトライブ/カルロス・トシキ&オメガトライブ ワーナーミュージック・ジャパン サイト

カルロス・トシキ 公式サイトへのリンク

『君は1000%』を収録した1986オメガトライブのアルバム『Navigator』(1986)

Carlos Toshiki

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『君は1000%(1986オメガトライブの曲)ギター弾き語り』)