ツタヤで借りた5枚1000円
住んでいる町の、最寄りのツタヤさんで「ベストアルバム漁り」をよくやった。聴いたことのない洋楽・邦楽のCDで気になったものを手当たり次第に借りる。ツタヤさんは5枚1000円で一週間貸してくれた。(今はどうか?)旧作限定のサービスだった。
5枚選べるといっても限りある小銭を費やす対象。悩みに悩んだ。そのときの「町のツタヤさん」は、店内に試聴機を置いていた。客が任意のディスクを突っ込んで、内容をチェックできるのだ。CDプレーヤーが置かれた窓際、あのカウンターにはだいぶお世話になった。
5枚選んで借りて、一週間後に返しにきてまた5枚選んで借りてを繰り返した。ベストアルバム漁りと言ったけれど、もちろん借りるもののなかにベスト盤がたくさんあったというだけでベスト盤以外も借りた。そんな風にして借りたもののなかに、Blurの作品が含まれていた。
ツタヤさんで5枚借りる。いつしか、これをしなくなってすごく時間が経った。最近は私はもっぱらサブスクリプションサービスばかり使っている。ツイッターをうろうろして気になる音楽の話題を見つけては、その作品や関連のありそうなものをサブスクリプションサービスで探して聴く。
脳内ランダム再生
なんの脈絡もなく頭の中に再生される音楽がある。最近ハマっている真っ最中の、ひっきりなしに聴いている曲が頭にこびりつくということもあるかもしれない。けれど、「なんで今これが?」と思うようなものがふと脳内に再生されることが頻繁にある。何か、生活中に遭遇した音波、その波形と私の脳内ストレージにストックされた(整理もなしに、雑然と闇の中に放り投げられっぱなしの)音楽の波形が呼応したとか合致したということなのか? 特に「音」を意識してキャッチしたというわけではないときにも「脈絡なしの脳内再生」は起こると思う。状況を細かく記録していないし覚えてもいないからなんともいえないけれど、とにかくそういうことがある。
で、脳内にあるサウンドが再生された。ある日、突然である。何をしていたときだったか? ツイッターをうろうろしていたときだったか、ツイッターをうろうろし始めようとしていたときだったか? で、「このサウンド(声含め、音)は…Blurだな」と思った。でも曲名が多いわからない。サブスクリプションサービスでBlurを検索、適当に再生しまくる。…見つけた。『Girls and Boys』(『Parklife』収録、1994年)だ。見つけてすっきりした気持ちとともに曲を聴く。
『Girls and Boys』(『Parklife』収録、1994年)を聴く
耳に残るシンセやベースの上下行。ずり下げるギターのリフがいやらしく粘りつく。ジェット機が宙を横切るみたいなピックグリスが反復。
キック四つにスネア二つ、裏拍にハイハットの所謂ダンスビート。すごく頭いい人がちょっとわざと「頭悪そう」に歌っているようにも感じる。ちょっとダルめのパーティに行って意外と楽しんじゃったみたいな(?)ヌルめの心地よさ。
記憶のストレージに格納されてフイに再生されるだけあって、引っかかりに満ちている。声だけじゃなく、どのパート・楽器にも似たような引っかかりがある。音のセンス。ボーカルはほとんど全ての場所でダブやハモリが入っている。わずかなタイミングやピッチのズレが音に厚みを与えるのがこれらの効果だけれど、この曲ではこの効果が、わざとちょっと頭悪ぶっているというか、品が無いふりをしているみたいな態度にも思える。シンガロングで感動を誘うとか、味方がたくさんいるかのような心強さを感じさせるとか、そういう方向とは全く逆だ。シニカルな感じもするし、やんちゃな感じもする。
波状に寄せることばのリズムに煽られる。「Girls」「Boys」と、相反するようでいて表裏一体の存在を示す言葉を畳み掛ける。両者は入れ替わり、反転し、重なる。
私は歌詞の意味は置いておく。サウンドは雄弁で表情豊か。もちろん、歌詞もサウンドのひとつ。意味が奥行きを与える。恋愛にも軽いのやら重いのやらいろいろあって立体だ。男の子や女の子もいろいろで多様。
ベースやシンセなんかに多く見られるオクターブをわたるリズム形が、もろもろの反転の表現みたいにも思える。対のものは案外ふとしたきっかけであっけなく反転するのかもしれない。固定観念とか。
エンディング近くでちょっとナヨいファルセットのフェイクをボーカルが入れているのもなんだか意味ありげ。
青沼詩郎
Blur (WARNER MUSIC JAPAN)
https://wmg.jp/blur/