1970年代前後くらいの音楽をよく聴くようになった。きりがないし取捨選択もできないから具体的な名前をあげるのはここでは避けるけれど、あのグループもあの歌手も70年代前後に活躍した人ばかり。そんな思いが最近の私の頭によぎる。70年代のみならず、その後にわたって活躍し続けた人が多い。

「サブスクだなんだ」で、音楽の年代も地域もぜんぶ関係なくなってしまった。古いものも新しいものも、国内のものも国外のものも関係ない。手元の端末からアクセスできる。どんな曲も、その人と出会ったときが、その人にとっての新曲。その人が今熱い!と思えば、そのときのムーヴメントなのだ(個人では「ムーヴメント」は違うかもしれないが)。私でいえば今70年代前後くらいのフォークやグループサウンズ。シンガーソングライターやバンドがキている。

サブスクの「便利さ」「速さ」「広範さ」を意識するいっぽう、アナログレコードが楽しい。ちょうど先に述べたみたいな、70年代前後くらいのヴィニールが結構中古屋さんで安く売っているのだ。「あれが欲しい」と特定のタイトルを求めて行くんじゃない。年代とジャンルのイメージくらいはあってもいいが、そのときそのお店でのたまたまの出会いを私はよく楽しんでいる。試聴もせずジャケ買いをよくする。帰って来てから1回しかプレイせず棚に納めて触っていないものも多いのが実際だけど……長い付き合いになるものもある。知っているし記憶にきちんと音楽の内容まで刷り込まれているタイトルをアナログであらためて買うこともある。ビートルズが私の場合の好例。楽しいなぁ。

音楽へのアクセスの良さについていえば、いい時代を生きている実感がある。コロナだなんだで、ある方面(生演奏の現場立ち合い)については不便かもしれないが。それだけ「記録して、発信する、残す」ことの大きさが目立っている。個人でも音楽を簡単に発することができる。「残せる」かどうかは別だけど。

イルカ なごり雪

イルカは「70年代フォークまわり」をうろうろしていてよくその名前に出会う。彼女の名前に並ぶ機会の最も多い楽曲は私が思うに『なごり雪』。

この曲はかぐや姫が原曲。アルバム『三階建の詩』(1974)に収録されている。イルカはカバー(1975)なのだ。私はずっと前に「あ、かぐや姫の曲なんだ。」と知って、いつのまにか「イルカの曲」と記憶が上書きされて原曲の存在を忘却。最近検索してまた思い出した。そうだったよ、かぐや姫が原作。それくらいに、イルカのイメージが強い

ポンタさん

イルカ『なごり雪』シングル版。Bメロでドラムスが入ってくる。フィルインの臨場感。ハイハットの音が強い。明瞭でパワーがある。エネルギッシュで目立っている。なんだこのドラムスかっこいいな。ソロじゃなくバンド名義かと思うくらい……なんて思っていたら、愛称・ポンタさんこと村上秀一氏の演奏(赤い鳥の『翼をください』ライブ演奏の映像がまたカッコイイんだよなぁ)。

“きれいに なった”

かぐや姫の原曲『なごり雪』(1974年)

かぐや姫版と決定的に違うところがある。サビの歌詞“きれいになった”を反復する際、“なった”のはめ方が違うのだ。

原曲のかぐや姫版は“なった”“た”の部分が拍のオモテにくる。対して、イルカ版は“な”が拍のオモテになっている。

イルカがカバーで巨大なヒットたらしめた要因のひとつは、ひょっとしてこの違いなのではないか。

かぐや姫版は、“今 春が来て”に続く1度目の“きれいになった”と、“去年よりずっと”に続く2度目の“きれいになった”でリズムのはまり方が異なる。「そのままの形での反復」という予想を裏切り、引っ掛かりをつくっている。「引っ掛かり」なのだけれど、むしろ余白を8分音符ひとつぶんカットして詰めているので引っ掛かりをつくったというよりも意表をついていると表したほうがいいかもしれない。

一方でイルカ版は、1度目のライン“今 春がきて君はきれいになった”と、それに続くライン“去年よりずっときれいになった”がほとんど同じリズム形の反復になっている。

音楽通な玄人が喜ぶのはかぐや姫版かもしれないが、歌に親しむ広い一般のことを思うとイルカ版のきれいな反復がやさしい(ちなみに私は両方に喜んでいる)。

イルカの歌唱を細かく聴き取った。彼女の歌唱は空間をのびのびと使い、息づかいの切れ際、余韻の演出が魅力的。具体的にいうと、16分音符ひとつ分、次の小節の拍の頭よりも前倒しにしてリズムを「食って」も良いという場面で、厳しく食うことをあえてせずにゆったり音を置いていくところがある。たとえば、1番Aメロの折り返し。東京で見る雪はこれが最後ねとの末尾のの部分。このは、16分音符ひとつぶん厳密なリズムで前倒しに詰めて、「食って」歌ってもいい(実際、かぐや姫の原曲では「食って」いる)。しかしイルカはそれをしていない。まるで雪がぴとりと地肌に降りるみたいに、ふわっと末尾のを置く。柔和で心地よい歌唱。

イルカの歌唱が持つこの特質、その方向性で行くと、くだんのサビの繰り返しの“なった”の部分が8分音符ひとつ分うしろに流れるのは自然ななりゆきに思える。そしてそれが美しいリフレインになり、“なごり雪”というメインテーマの儚さと粘質性、その繊細な平衡感覚を表現しているとさえ思える。

ちなみにかぐや姫版は、そこをあえて外す(外すといいつつもこちらが原曲)ところに魅力がある。絶対的な美はひとつでないことを私に証明してくれる。

(“”内は『なごり雪』より引用。作詞・作曲:伊勢正三。)

イルカの由来とエビ

曲の話をはずれるが、イルカという芸名は彼女の発言に由来するらしい。なんでも、フォークソングをやる同好の集団が手に手に携えたギターケースの群れが、彼女には「イルカ(海の哺乳類)」のように感じられたらしい。そのことを口にしたら、彼女自身が「イルカ」と呼ばれるようになった…というようなことらしい。あくまで「イルカ」は本来、ギターケースを抱えた人々(あるいは複数のギターケース自体)のことを指した彼女独自の表現であって、決して彼女自身のことではない。それなのに、その表現を発した彼女自身が「イルカ」の名で呼ばれたのだ。

これに似たケースを私は知っている。ユニコーンのベーシスト、堀内一史ことエビ(EBI)氏だ(エビ氏こと堀内一史…まぁいいか)。彼はバンド・ARB(エーアールビー)のことが好きで、そのバンド名を口にするうち、彼自身が「エビ」と呼ばれるようになった、という芸名の由来を持つそう。この場合も、「エビ」はあくまでバンド・ARBを指すのであって、本来堀内一史を指すのでない。それなのに、その「エーアールビー」を口にしているその人自体を指す固有名詞が「エビ」になってしまった。こうした点で、イルカとエビの名に共通点を私は感じている。どちらも音楽海(界)に棲息しているようだ。

青沼詩郎

『なごり雪』(シングル版)を収録した『イルカベスト』

『なごり雪』を収録したかぐや姫のアルバム『三階建の詩』(1974)

ご笑覧ください 拙演

青沼詩郎Facebookより

“かぐや姫が原曲だったと思い出す。頭の中で完全にイルカの曲と認識。ドラムが明瞭でパワー出てるなぁバンドだなぁと思ったら村上秀一氏。イントロが荒井由実の『ひこうき雲』とちょっと似てるなぁ。いろいろつながり楽しい。反復時の「きれいになった」(原曲)or「きれいに なった」(イルカ)どちらも良い。”