まえがき 意思疎通と文化

あるところ、正体不明と出会ったら

世界にはヒトをとって食ってしまう少数民族もいるというからおそろしい。だけど、向こうからしたら恐ろしいのはこちらかもしれない。これは、たとえばの話である。

敵か味方かわからない者がテリトリーにやってきたらあなたならどうするか。もし敵だったら、油断しているうちに命をとられてしまうかもしれない。判断に迷っているうちに命を落とすリスクを背負ってまで、攻撃か否かを慎重に判断すべきだろうか。「なんかヤバいかもな奴来た。とりあえずヤッとく」。これは、自分の命を守り、生き永らえるためのしかるべき反応かもしれない。

言葉が通じるってすごい

喩えが極端過ぎたか。言葉が通じるってすごいと思うのだ。社会・地域も文化も生活もまったく違う生まれ・育ちの者どうしで、たとえばボディ・ランゲージを試みたとして、どれくらい意思の疎通が可能なのだろう。

たとえばだけど、「電話」はいろんな文化のいろんな国にあるから、電話のある国の者どうしの間であれば、電話をしているっぽい動作を全身全霊で表現することで「この人は“電話”について何か言いたいんだな」と、ボディランゲージでも分かってもらえるかもしれない。

しかし、相手の文化に電話が存在しなかったらどうだろう。電話が存在しない文化・地域・社会・民族・コミュニティがあったとして、そこへ行って「電話をかけたいのですが」のボディランゲージを必死で演じたところで、相手の理解を越えた謎ダンスになってしまいそうだ。「電話をかけたい」という喩えが少し古いかもしれないから「スマホの充電がしたいのですが」でも構わない。いずれにしても、それを持たず、乖離した背景のもと生きる者に伝えるのは難しいだろう。

ワールドヒットな歌謡

本題に入る(“まえがき”だけど)。1970年代前後くらいの大衆歌が私は大好物なのだけれど、しばしば、外国の歌を、外国の歌手(あるいは日本の歌手)が、日本語の歌詞で歌って知名度を得る例に出会う。そういう曲って、海を越えるレベルの個性を発揮しながらも、国やら文化が違っても「普通に自国の感性で味わうことのできる大衆歌だな」と思えるからすごい。

もちろん、その国の言語で歌う際に、アレンジメントやサウンドの質感なんかを、その国の人の肌感覚に合うように作って発表しているから受け入れやすいという理由も想像できるけれど、それはここではいったん置いておこう。

ここで、先ほどの“電話”の話が出てくる。ある単語やモチーフや主題があったとしてその概念は、そのヒットソングがつなぐ複数の国のあいだにおいて、翻訳可能であり、意味が通じる基盤が世界におおむね築かれている。先ほどの“電話”はあくまで「たとえ」だから単語はなんでもいい。「飛行機」でもいいし、「遠距離恋愛」とか「お給料」とか、そういう観念・概念でも構わない。

歌のつくりも、文化とともに共有している

そうやって言葉や概念・観念の意味を通わせ合うことができるのを例に、大衆歌の“つくり(構造)”みたいなものも、世界中の多くの、共通する文化(文化の接点)をもつ国の者どうしが共有していると思うのだ。

たとえば機能和声、わかりやすくいうとスリーコードみたいな響きの緊張・緩和のセンテンスの流れがあって、メロディと伴奏の主従関係がはっきりしている。

歌詞の内容はめちゃ大雑把にいって、“愛”で括れるかもしれない。たいてい“恋愛”だろうが、親愛とか友愛を主題にしたものもなかにはあって、特に民謡などに見つけられるかもしれない。

その歌を「世界版」にするために、たとえ元の主題がなんであれ、翻訳しやすくする意図でテーマを「愛」にしてしまう向きもあるかもしれない。原語の歌詞の意味はもっと複雑であるにも関わらず、輸入・訳詞制作するにあたり、まるで違う意味や主題に変えてしまう場合もままあると思う。

まえがきの括り

世界的な知名度を得た大衆歌は、たとえば1970年代くらいのものであれば、同じ年代にその国で親しまれた自国産の大衆歌とそう毛並みが違わないのだ。歌謡曲みたいなものが知名度を得ていたなら、世界からやってきたポップスもどこか歌謡曲然としている。

その国の大衆歌を制作する者たちが、少しでも目新しいモノから発想を得ようと海外に目を向けるために、結果として世界各国におけるその時代の大衆歌は、甚だ大雑把な括りを許してもらって申せば、どこか「似る」のである。「似る」というか、似たような感性で味わったり解釈したりすることができる、もう一度云おう、「毛並みが揃っている」みたいな傾向があると思う。

森山良子が歌った『恋はみずいろ』。原曲は『ユーロビジョン・ソング・コンテスト1967』でヴィッキー・レアンドロスが歌い発表した。ポール・モーリアのインストゥルメンタルでのカバーが認知度を得た曲でもある。

この記事を私が書いた2023年において、Webをはじめ多様な媒体の普及・一般化が手伝って多様なバックグラウンドを持つ音楽のカオスな異種格闘技が繰り広げられているとはいえ、グローバルチャートにみる「耳触りの傾向」みたいなものが確かにある。根拠はないが、ある時代においては日本から洋楽に対する一方的な視線、片思いというか輸入がメインだったような関係に対して、このところは世界がお互いに視線をやりあっている状況があるのではないか。

あらゆる趣味も娯楽も細分化されそれぞれがそれ相応にニッチな分野になり、「国民的スター」「世界的な一強」みたいな有名人が減り、そうした「一強」的な大衆音楽の生産国もなくなった(シェアが分散した)というのもあるのかもしれない……いずれにしても根拠はないが。

想像を交えた発言を許してもらえば、インフラ(環境)的に互いに目が行き届くようになったのもあるだろうし、生活・文化の水準が一定以上(たとえば、大衆がネットに接続した端末をそれぞれ所持している状態……としておこうか)に達した地域・社会・国家が増えたのかもしれない。もっぱら円盤やライブやコンサート、ラジオやテレビの放送でふれるしかない環境(もちろんそれも十分に恵まれた境遇だろうが)を思うと、サブスクは国会図書館……いや、世界図書館?の棚が手のひらに降臨しているみたいでおぞましい(褒め言葉のつもりだ)。もちろんサブスクにのっている音楽は古今東西あらゆる作品のごく一部でしかないことは補足しておく。そうなるとなおさら音楽の海は深く、宇宙は果てしない。

ヘドバとダビデ『ナオミの夢』発表の概要、作詞者、作曲者

作詞:ティルザ―・アタール(Tirzah Atar)、作曲:デビッド・クリボシェ(David Krivoshai)。1970年、東京国際歌謡音楽祭(“世界歌謡祭”の初開催時の名称)グランプリ受賞。ヘドバとダビデのシングル曲(HEDVA & DAVID『I Dream of Naomi』)。イスラエル盤(『בואו נטייל‎(散歩に行こう)』のB面に収録、ヘブライ語題『אני חולם על נעמי‎』……読めん。)が1970年、日本盤が1971年(メンバーのダビデことDavid Rosenthalは作曲者のデビッドとは異なる)。イスラエルのコーヒーのCMソングだったメロディにヘブライ語詞をつけたという。日本語詞は片桐和子。彼女の作詞で私の好みからザ・リガニーズ『白いゆり』、牧葉ユミ『回転木馬』など紹介しておきたい。

片桐和子が作詞したザ・リガニーズの『白いゆり』

『ナオミの夢』歌詞が描くもの

ひとり見る夢は

素晴らしい君の踊るその姿

僕の胸に ナオミ

ナオミCome back to me

僕は叫びたい

なつかしい君のやさしいその名前

世界中にナオミ

ナオミCome back to me

そのまま消えずに ナオミ

夢でもいいから

もう一度愛して ナオミ

君が欲しい

かすかに聞こえる

風のささやきも窓辺にさびしく

君を呼ぶよ ナオミ

ナオミCome back to me

夜は消えてゆき

朝のおとずれに空は燃え上がる

君はどこに ナオミ

ナオミCome back to me”

(ヘドバとダビデ『ナオミの夢』より、日本語詞:片桐和子)

参考:歌ネット>ナオミの夢

ナオミと聞くと女性の名を思う。直美か、奈緒美か……ヘブライ語で「幸せ」や「和み」を意味する(参考:Wikipedia)という。イスラエルでも女性の名前に用いられるようである。人名としてのナオミからはイギリスのモデル、ナオミ・キャンベルの名も思い出す。ナオミは各国で親しまれる人名のようである。「マリア」とかにも近いものがある……だろうか?

自分のイメージの偏り具合を自覚するが、日本男性の名でもナオミはある。「直己」「尚美」、「直美」の名を授かる男性もいるだろう。

観念が前面に出た歌詞で、個人の恋愛における特定の経験……というよりは視野が広い。それどころか漠然とした印象さえ受ける。“Come back to me”“もう一度愛して”“君はどこに”といった表現がもの恋しさ、かつてはそばにあったものと距離のある主観を思わせる。

特定の主人公の存在感は薄く、集合的な人格、大衆の象徴が祈りを捧げるような歌に聴こえなくもない。エゴイズムとは縁遠い歌かもしれない。このあたりも、原語がある歌を日本語で表現するステップが観念や抽象度の高さに磨きをかけるのだろうか。“Come back to me”と、限定的に多言語チャンポンし柔軟な発想で印象づける。真似て歌いたくなるきっぱりした決め台詞で、嘆きのようなはかないセンテンスの中で「戻って来て」の意思表示が光っている。

ヘドバとダビデ『ナオミの夢』リスニングメモ

疾走感あるリズムを先導するドラムス。埃がはじけ飛ぶみたいなマットな質感のタイトな音が味わい深い。間奏ではドラムのビートが主役に思えるほどで、時代を感じさせる音質の中に込められた熱気を感じる。

ドラムスとベースがぐいぐい曲の進行をつくる印象で、日本語詞を制作して迅速にレコーディングしたように読める記述がWikipediaにあるが、作詞や演奏の職人たちが颯爽と的確な仕事ぶりで能力をふるい、スピード感を持って仕上げたような爽快さ・聡明さを感じる。毅然として粒が良く、非常に格好の良い演奏が録れている。

ネイティブでない日本語発声もスパイスに感じるし、芯の太さがあらわれた歌唱が気持ちよい。

男声のダビデさんはユニゾンやハーモニーパートに徹している様子か。声質は調和しピッチもハマりどころが良く、とても響きが良いから男女混成の2人組だとは驚いた。

ヘブライ語版『ナオミの夢』リスニングメモ

ヘブライ語版『ナオミの夢』YouTubeへのリンク

ヘブライ語バージョンでは「ナオミ」が「能見(ノウミ)」に聴こえてしかたない。ノウミでは日本人の苗字っぽくなってしまう。別にいいが。

デーンと強烈にアクセントするティンパニは日本語版と共通。気のせいかコミカルに聴こえるのはピッチの揺らし方のニュアンスによるものか。ダビデさんであろう男声のソロパートが目立つ。間奏では異国チックでアラビアンな感じ?のするスケールをオーボエのようなダブルリードが奏でる。ストリングスが寄り添いつつ、リズムを決めて絢爛。

全体的にシャカシャカと軽快な印象を与えるのは主にギターストロークのサウンド。対比として、重く衝撃的なティンパニのサウンドがいっそう際立っている。

後記

ナオミというのは幸せの観念か。個人の特定の恋愛体験について嘆く歌も世にはある。それはそれでいいが、「知らんわ」である。

一方『ナオミの夢』は、恋や愛というよりは、それらを含みその先にある幸福やその成就を描いているような抽象性がある。海を越えるとこういった抽象性、観念の視野を獲得しやすいのだろうか。特定の言語の束縛から解かれるということは、服を脱がされるようなことなのかもしれない。ディティールや表面の質感の核心にあるものが露わになる。

“Come back to me”と嘆くからには、「戻ってきてほしいもの」の素性を知っている。失くして初めてその存在の貴重さに気づくのはヒトの愚かな普遍かもしれない。

過食に慣れると胃袋が広がるみたいになって、習慣として何かの居場所になっていたところから居候がいなくなると、心身が猛烈に違和感を訴える。いずれは収縮して元に戻り、現状に適応するはずであるが、過渡期はストレスが大きく、感情……心身が不安定になる。そのときにポップソングなり大衆歌は、多少の苦痛の緩和になるかもしれない。薬効というには大袈裟だし語弊があるが、ヒトが歌に求める機能のひとつとして確かにそれはある。

70年代前後のグループサウンズやフォークが好きで、最近ザ・リガニーズ『白いゆり』を聴いたが、その作詞者の片桐和子さんが気になって検索してみると私の出身の音楽大学の先輩だった。彼女の作詞リストから『ナオミの夢』に辿りついたのが最近の私であるが、一聴してヘドバとダビデのパワフルで筋金の入った印象の歌唱・演奏を気に入った。

イスラエル人名を含む「ヘドバとダビデ」のアーティスト・ネームもインパクトが強烈。『ナオミの夢』という曲名と並び、検索して聴いてみる好奇心を私に抱かせるのはたやすかった。

青沼詩郎

『ナオミの夢』日本語版作詞者 片桐和子(片桐和子ヴォーカルスクール)Webサイトへのリンク

ヘドバとダビデのシングル『ナオミの夢』(オリジナル発売年:1971)

ヘドバとダビデ『ナオミの夢』を収録したオムニバス『続 青春年鑑’71PLUS』(2002)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ナオミの夢(ヘドバとダビデの曲)ギター弾き語り』)