『虹とスニーカーの頃』映像

かっこいいセット。線路のように見えます。細い木を放射状にならべているのが目盛りに見えるせいか、なんとなく時計をモチーフにしたセットにも見えます。厚いハーモニーがスカっと抜けて気持ちが良い。5人がステージにいますが10人くらいで演奏しているようなボリューム感です。

後年のものと比べると粗っぽさがありますが、とても勢いがあります。♪わーがまーまはー、「Oh〜」という合いの手もセルフで歌っています。ギターの刻みがとても細かいですね。前にどんどんいくテンポですがシックスティーンのゴーストノートを入れている感じです。ドラマーのタンクトップに時代(?)を感じます。いえ、いつどんなファッションをしても構わないのですけれど。財津和夫のおでこを出した短髪がまるで別人のようにみえました。みなさんお若いです、いつまでもお若いと思いますけれど。歌声は変わりませんね、良い意味で。

曲について

1979年7月5日発売のTULIPのシングル曲。作詞・作曲:財津和夫。彼らは基本的にシングルはアルバムにいれないという方針があるようで、オリジナル・アルバムには入っていないようです。「ベスト集」など、オリジナル・アルバムとは違う趣旨のもののいくつかに収録されています。

私はこっちを先に聴きました。1997年、チューリップ再結成時のリメイク版です。こちらをじっくり聴いてみましょう。

We believe in Magic Vol.1』収録『虹とスニーカーの頃』(リメイク版)を聴く

ギターのたぐい

イントロのキメの下行フレーズ。エレキギターの乾いた歪みです。コシと伸びがありつつもカラっと歪んでいます。ヒラウタで右からカッティングが聴こえます。サビでは中央付近にいる感じです。

ソロはツインギター。やはりカラッとした鋭い音です。

サビで左から、音質の違う鋭い高音域に比重のある感じのギタートーンも「チャカッ、チャカッ」ときこえます。これに近い鋭い感じの音が非ギターソロの間奏のところで同音連打をするのが右から聴こえます。

アコースティック・ギターもストロークしています。真ん中付近から聴こえる感じで、ボーカルが弾き語りしているイメージの定位づけにも思います。実際の財津和夫は先にリンクした映像などから察するに、鍵盤で弾き語ることが多いのかもしれません。

とにかくギターのパート数が多い。よく構築したなと思います。

鍵盤のたぐい

ピアノ・ストロークはヒラウタでやや右にずれた方から聴こえます。サビになるとコシの強い歪みギターに隠れてしまうのか、実際に入っていないのかあまりピアノは聴こえません。

シンセのきらびやかで人工的なトーンがサビで聴こえます。間奏(非ギターソロ)ではシンセ・ストリングスの伸ばす音。

ベース

サビを折り返すときなどときおり他の人が音を伸ばしているところでフィルイン。ハイポジプレイで目(耳)を引きつけます。ピック弾きしているかのような立ち上がりがはっきりしたサウンドに聴こえます。ライブの映像を見てもピック弾きのようです。ギターとのキメのユニゾンプレイもかっこいいですね。ヒラウタは音を止めるところをつくってメリハリを出しています。サビが「バーンバーンバーン」と3回打って伸ばすパターンなので対比がきわだちます。

ドラムス

非常に引き締まったタイトな音。コンプがきいている感じもありますね。タイトな音を残響づけで色気のある音にしています。スネアは胴鳴りとヘッドの音がスカっと抜け、響き線がパシっとしまっていて非常にイケメンな音です。ハットの音がとても明瞭です。エイトの刻みで、オモテ強め・ウラ弱めの非イーブンなニュアンスを出している感じがします。サビ「♪わーがまーまはー」に続くタム回しは華。繰り返し聴くことのできる、ドラムがおいしい曲。見せ所に富んでいます。

ボーカル

なんといってもコーラスが厚い。この曲に限ったことでなく、チューリップの大きな武器のひとつです。ライブ映像のところにも書きましたが、楽器をそれぞれが演奏してコーラスもすることで、まるでメンバーの数が倍いるかのような音の集団。

メイン・ボーカルはサビでダブリングしている感じ。ヒラウタはシングル(1トラック)っぽいです。サビでコーラスが歌詞を重唱(同じリズムで違う旋律)してサビに音の壁をもたらしています。サビはサビでも折り返しのところ(♪そーれーをーゆるさーないのは……のあたり)は「Ooh~」といった感じのクローズドな歌唱も。歌詞で歌うところと母音などで歌うところと両方あってパターン豊かです。ヒラウタもAhとかOohとかコーラス芸がこまかい!

『虹とスニーカーの頃』オリジナルを聴く

リメイク版で耳の基準ができたところで1979年発売のオリジナル音源と思われるものを聴いてみます。

歌のフレーズごとのおしり(音の伸ばし具合)がやや短めですね。間奏(歌のないところ)はギターが鋭く孤独に響きます。やや空虚な感じです。ヒラウタのギターのワウがかったカッティングが非常に細かい。16分音符のゴーストノートといってもよさそうなくらい微妙なひっかけ具合のプレイでノリを出しています。巧い。強い歪みのストロークの音量が控えめです。左からきこえるチャカッチャカッという音の存在感が大きめですね。

ピアノがヒラウタできこえ、シンセの存在感はややうすめ。コーラスも重要な役どころなのは違いありませんが、やや引っ込み気味。

ドラムスがゴーストノートでちょっと16のウラを出している感じがします。

総じて、リメイク版の方がハデハデです。私はリメイク版が好きだ。リスニング環境のせいも大きいかもしれませんけれど。

歌詞

“わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪”(『虹とスニーカーの頃』より、作詞;財津和夫)

なんといってもこの詞のグリッピングが強い。「わがままは男の罪」と言われて、「おおっ」と思っているうちに続くのが「それを許さないのは女の罪」です。男と女の対比が出ています。

そもそも、「男性」「女性」「男の人」「女の人」などと普段の生活で私は言いますから、「おとこ」とか「おんな」とか歌のことばに出てくると、それだけで注視(注耳?)してしまいます。大胆なことをきっぱり言い切っている。財津和夫の作詞の鋭さが出ているなと思います。ここにジェンダー界隈の人が出てきてナントヤラ言うのを私は聞きたいとは思いません。

「男」「女」がどうというのは前時代的な響きを持つようになりました。今、あえてそれぞれの性別がどうと言い切るような歌詞もなかなか勇気がいるかもしれません。でも、だからこそあえて書いてみたいテーマでもありますよね。歌の世界は、男女平等なんかじゃなかった時代が長かったんじゃないかな。それがいいとか悪いとか、ナンセンスな時代が長かったとか言うつもりは私はまったくありません。むしろ面白がっている。「当時だから許されたよね」という感覚も否定しません。そういう歌、チューリップや財津和夫に関係なくいっぱいあると思います。

むしろ、多くのそういう歌が残っていることは価値観の変容をおしえてくれるのでありがたいことだとも思います。

ところで、この曲の歌詞に出てくる「男」と「女」のことばの配置を入れ替えてみると、また違った男女の関係性や個性がみえてきます。

男性だととりがちな行動とか、女性ならではのあるあるとか、そういうのは単なる「性」という個性の傾向です。それは、ただおもしろがればいい。冷やかしたり茶化したりということではなく、です。

自分の体の特徴で判じる性別とは無関係に、いろんな傾向・性質を、だれもが独自のバランスで持っていると思うのです。

個人的な知見をお話ししますと、私は体の性別は男ですが、これまでの人生、女性の多い部活動に所属したり、女性の多い大学に通ったり、女性の多い職場に勤めたりといったことが多かったです。だから何というわけではありませんが、自分のなかに、いろんな相反する傾向が同居しているのを感じることが日々あるのです。それって私に限ったことではないでしょう。

ちょっと話が脱線しましたね。歌詞の話にもどってみましょう。

“わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪”(『虹とスニーカーの頃』より、作詞;財津和夫)

もう一度このラインについてです。これって、男性のわがままがなければ、そもそも女性の罪も生じ得ないということでしょうか。ほかの種類の罪は存在しない、などとはひとことも言っていないので、いくらでもあるのでしょうけれどね。

“白いスニーカー 汚さないように 裸足で雨の中 僕等は歩いた”(『虹とスニーカーの頃』より、作詞;財津和夫)

白いスニーカーは純真の象徴でしょうか。それを守るためなら、過酷な環境に自分の足をなげうってでも辛い思いをせんとする態度……そう解釈するのも一興ですね。

『魔法の黄色い靴』という作例もチューリップにあり、彼らの表現と「靴」の関係が興味深いところです。『虹とスニーカーの頃』では、“あのスニーカーはもう捨てたかい” と繰り返し問います。やはり、君はあの過去を胸に今でも持っているのか? と問われているような気分になりますね。今の私のスニーカーは汚れてしまったのか、あるいはもはやスニーカーを手放し、履くものといえばもっぱら革靴なのか……君のあの白いスニーカーはどこに行ったんだいと言われると、その鋭さにうろたえてしまうかもしれません(蛇足ですが、いくつになっても私はきたないボロのスニーカーをよく履いています)。

感想

靴って、履けば汚れます。地面にいちばん近いところでつかう、身につけるものが靴。

靴は靴でも、ビジネスシューズとスポーツシューズとスニーカーではだいぶ違います。

スニーカーは、普段着の履き物。

素顔の私が携える履き物として、真っ先におもいつく履き物がスニーカー。

足は、行動する私を連れて行ってくれる体の部位。そこにまとうのが靴。

機能性も期待するけど、ファッション性もある。自己主張や主義、趣味・嗜好も出る。

いろんな面で、スニーカーはちょうどいい。目的や道楽心、快適さをほどほどに満たしてくれる。いや、なんなら十二分に。

君は、スニーカーを持っているかい?

青沼詩郎

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