思い描く現実の兆し
こう来てくれ!と期待する音楽的な意匠が望み通りにやってきてくれる端正さ。
電車で席を譲る(勇気を出した)誠意が受け入れてもらえなかった無念残念を、空いたままの席に見出す巧みな作詞。その空席と同じ時間軸なのかわかりませんが、あとのほうのセクションでまた電車のシーンにカメラワークがもどってきます。しかし今度はなんだかのそのひとつ空いた空席をめぐって乗客の笑顔がこぼれている。電車のなかの空席ひとつというコンパクトな設定をもちいて、情景の対比を描きます。
中盤〜後半あたりの「思い通りの人生じゃないとしても それも幸せと選ぶことは出来る」の歌詞ラインが印象的。事実に対する解釈はあなた自身が選ぶことができるという意味にも読めます。ひねくれていえば、選ぶことができるのはせいぜい解釈くらいなものだという厳しい現実なのか?
(人生や世の中は)思い通りになるという考えかたがあるそうです(尾田栄一郎さんが紹介した言葉?)。思い通りになった場合はもちろんその通りですし、思い通りにならないと思っている人は、思い通りにならないと認定しているその人の想像した通りの世界・その人の人生が実現するだけなので、思い通りになるという理屈です。
つまり、そのことを思える(想像できる、意思を持つことができる)という時点で、実現に向かう一歩を踏み出していると思えます。
本曲のサビメロディは「あしたはきっと」→「いいひになる」!と、音楽用語でいうところの「食って」いるリズムを含んだリフレインが印象的です。食う、つまりその一歩を、その夢を、目指す理想を、先取っている、てのひらを突き出して、半拍でも1拍でも自分の現実に引き寄せてやろうという精神的希求エネルギーが発露して思えます。
思い通りにならないのが現実? 何かを「思える」自分になって、その現実に向けて試行をすることができるといってくれているかのようです。席を譲ろうと想像して、それを実行することができた時点で、一歩はすでに思い通りの「いい日」に近づいているはず。その時は譲った席を受け入れてもらうという結果まではついてこなかったとしても、いつかこちらの思いが通じて現実が変わり始めるときがくるかもしれません。その「いい日」を思えたら、想像できたら、すでにそれは現実のほうが1歩変わり初めて「いい日」が兆していると思えます。
明日はきっといい日になる 高橋優 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:高橋優。高橋優のシングル(2015)、アルバム『来し方行く末』(2016)に収録。
高橋優 明日はきっといい日になる(アルバム『来し方行く末』収録)を聴く
高橋優 feat. the Kick drumかと思うくらいにバスドラムの輪郭がすごいです。どのセクションのどんな瞬間も一瞬たりとも埋没しません。ベースと譲り合っているのでもなく、ベースも常にちゃんと輪郭と質量があります。
満たされまくったサウンドが見事に私の両耳をおおうステレオトラックにはまっています。ピアノとストリングスの協調した、1音につき2拍単位の「レーソーラーシー、ミーソーラーシー(すべてフラット)……」という音形がサビにきこえます。「いい日」に向かう意思を表現したような上行音形で和音を分散的に表現する伴奏が「いい日」に向かって挑戦する人を祝福するかのようです。オルガンにピアノに字ハモのボーカル。エレキギターのソロが5小節と短い!よく嵌まったねと感心するくらいです。
短い間奏明けにオチメロ(音量を落としたAセクションの再現)で、1Aセクションで描いた電車のシーンに回帰し、1Aのときはなんだか報われなかった「恵みの与え合いの試行」が弔われるように、無邪気な学生カップル(?)の平穏でほほえましい情景が客観的に描かれ、「思い通りの人生じゃないとしても それも幸せと選ぶことは出来る」と諦観がさびしくも頼もしくもある、私が思う本曲の文脈の深さの面でのハイライトの1行に誘われます。ここのオチメロで、高橋優さんのトレードマークであるアコギのサウンドでコードがぽろーん、ちゃらーんと撫でるように奏でられます。乾いたような潤ったような、どんなときも傍らにいる彼の相棒のようなサウンドでしょう。
基本的にステレオが満たされたまくったサウンドで「いい日」に向かって疾走する爽やかな曲想からの、エンディングでポーンとピアノの和音だけが裸になる男性終止が思わせぶり。なんだろう、譲られたが受け取られることのなかったあの空席ひとつが私の頭中に想起されます。その空席に、きっと明日あたりに「いい日」がすわってくれるに違いない。
青沼詩郎
参考Wikipedia>明日はきっといい日になる、来し方行く末
『明日はきっといい日になる』を収録した高橋優のアルバム『来し方行く末』(2016)