ブラックコーヒーが飲めるようになって
儚い印象の浅田さんの歌声が曲想を映す澄んだ鏡です。遅すぎた……好きだといえる気持ちへの気づきと、その芽ばえ・めぶきの間の時差への後悔。好きにもスピード感がさまざまあることでしょう。瞬間的に増幅・バクハツする想いだけを恋と呼ぶなら、時間をかけて醸される想い・慕いはみな愛にカテゴリされてしまうのでしょうか。
ノンビブラートの浅田さんの歌が、特に人前に立って娯楽のための技芸の披露を生業とするタイプでない一般大衆の声を代弁します。ありふれた想いの普遍性を映す儚さ。『ぼくたちの失敗』が記憶に鮮烈に残る森田童子さんの歌声を思い出しもします。
「さーみしい、こころは……」との部分で嘆かわしい想いが、ナナメ下に視線がおちる音形のサビ終わりをうろつきます。
その「さみしいこころは」のサビがひとくさり終わった感覚になったところで、「いまなら すなおに すきだといえる わたしには おそすぎたの こいする きもちが」と、後を追いかけるように8小節がつづき、ボーカルの音程は最後の「こいするきもちが」のところで上の主音に到達し、最高潮に至ります。あれ?「さみしいこころは」のところがサビで、そこでサビが終わったんじゃないのか? まだつづいていたのか? と、想いのタイミングの悪さ……現実(主人公)の運や機会の巡り合わせとのミスマッチを意匠しているかのような楽曲構造がうかがえて見事です。
そんな、巡り合わせに恵まれなかった想いを、時差を経てあのカフェテラスをひとりおとずれることで回顧する後悔の味はきっと大人になったら急に飲めるようになったブラックコーヒーみたいなフレーバーなのでは。
想い出のカフェテラス 浅田美代子 曲の名義、発表の概要
作詞:林春夫、作曲:三木たかし。編曲:田辺信一。浅田美代子のシングル(1974)。アルバム『美代子の新しい世界』(1974)のボーナストラックに収録。
浅田美代子 想い出のカフェテラス(アルバム『美代子の新しい世界』収録)を聴く
まっすぐな浅田さんの歌唱が印象を占めます。厳密にノンビブラートかは分かりません。わずかにゆらぎが加わっているような気もして心地よいです。サビで音域が上がっても地声を張るような歌い方でない。こういう歌唱法はパワー系の人にはがんばってもできないやと敬遠する人もいるのではないでしょうか。
ウー、ワー……という女声のバックグラウンドボーカルからはじまります。ハープのグリッサンドが駆け抜けます。和音の響きはお手本のようなメジャーセブン。偶数分割のゆったりとした、ビート感と距離をおく優雅さ。メジャーセブンの4小節を経て、1拍3分割(トリプレット)系のバラードになり楽曲の本体の曲調があらわになります。想い出が遠ざかっていく飛翔感を得るのはリズムが加わったことによる効果でしょう。
スチャっと左トラックでアコギがリズムを優しく添えたり、ピッキングでアルペジオを添えたりします。右にはシェーカーがチキ……と鳴るのですがアクセントの位置がポリリズム的で魅惑です。ドラムのハイハットがチ……と中央付近で鳴りその軽さが儚い。和音のアルペジオをリードするのはハープです。ポロポロとした音色が可憐でありし日の乙女心を意匠します。
サビがいっかい終わったみたいな感じがして、でもまだ熱量を取り戻す「わたしにはおそすぎたの こいする きもちが」がやってくるこの楽曲構造は観察の目で一歩ひいてみても、ノーガードで音源鑑賞に身を委ねてもやはり至上の意匠だと思えます。
間奏でおあつらえ向きのサックスが艶をふりまきます。こういう人をなぐさめるときにはこういう言葉(音色)……という慣用表現の応酬のような楽器の采配です。
エンディングで偶数分割の拍子、「ウーアー……」の女声コーラス+メジャーセブンの和音を取り戻してフェードアウトでとじます。これは回顧なんですよ、というフレーミングでしょうか、オープニングとエンディングの意匠を揃える楽曲構造は私が好む定型の一つです。
何かに結実することのない、未結の資源をみなたくさん胸にしまって、カフェテラスに入ってはまたどこかへと出発していくのです。あるいは水面下で必ず現在の何某かに接続し、恩恵を与えているに違いないのが、ありし日のあの人らとの関わり合いなのです。遠くてはかない演奏やアレンジや歌唱が絶妙。
青沼詩郎
ふたつのアルバム『美代子の新しい世界(1974)』『この胸に この髪に(1975)』を2枚組にしたリイシュー(2020)。楽曲提供陣にかまやつひろし、吉田拓郎、加藤和彦など私の心のレジェンドが名前を連ねるアルバムです。