加山雄三の『お嫁においで』。管楽器が目立ち豪勢な感じの編曲にリフレッシュしたライブ演奏。1966年に曲(シングル)を発売したときよりもだいぶ最近でしょうか。

加山雄三はエレキギターを持っています。拍のアタマをダウンストロークではなくアップストロークでとっている?? ピックを親指と人差し指でつまんで持っているかのような手の形をしていますが、中指〜薬指のあたりで撫であげるように弦を鳴らしているように見えます。この奏法を私は初めて見ました。聴こえてくる歯切れの良いエレキのカッティングや威勢の良いエレアコのストローク? の奏者は別にいるようです。

曲について

作曲者の弾厚作とは加山雄三の筆名

スライドギターの音色が開放的な土地柄を想像させます。ウクレレのストロークのような音色も聴こえる原曲です。

活発なビートに乗って、弱拍(ウラ拍)に打点のある歌メロディが曲にグルーヴを与えています。強拍をダウンストローク(振り下げ)でとったとすれば、弱拍はアップストローク(すくい上げ)…アップビートです。ゴキゲンでいこう、希望を追求しよう、明るく光のある方へ近づこうという曲のキャラクター、指針を感じます。

メロの音形

AメロとBメロで出だしの音程の上下がわかれます。Aメロは下行、Bメロは上行。いずれも順次進行で落ち着いた音形の出だしですが、Aメロは上方変位(♯がついて半音上がっている)しています。Aメロの出だしが凹、Bメロの出だしが凸。谷か山かで、雰囲気が変わりますね。

Aメロ。出だしは谷。
Bメロ。出だしは山。

Bメロの結びのフレーズはⅴ(Fメージャー調なので「ド」)に向かって半音下行。Aメロに相似したフレーズに戻ります。

Bメロのおしり~Aメロの相似フレーズに戻るところ。♭がかか
るタイミングが精確に聴き取りかねました。ポルタメント(無段階ふうのカーブで滑らかに音程の変化をつなぐ奏法・唱法)とまでは言いませんが…。

緊張を演出するⅡM→Ⅴ

BメロはAメロよりもコードチェンジが少ないです。和音ひとつでより長い時間を引っ張っています。特にBメロ後半“僕にうたう 君の微笑み”のところではⅡM→Ⅴとつないでいて、曲中で最も高い緊張を演出しています。

【余談】ⅡMは便宜上の表記で、実際は別の調の和音を借りている、招聘しているようなものです。別の調とはⅤ調(ゴドチョウ)のことで、たとえばこの曲の主調であるFメージャーにとってはCメージャーが該当します(ファ、ソ、ラ、シ♭、と数えると「ド」が5番目ですね)。「Ⅴ調のⅤ」(ゴドチョウのゴド)なので「ゴドゴド」「ドッペルドミナント」などと呼びます(ほんとです)。

歌詞につい

作詞岩谷時子。作曲:弾厚作(加山雄三)との共作の例には『君といつまでも』(1965)があります。この翌年にリリースしたのが『お嫁においで』ですね。

『お嫁においで』は同1966年内に同名映画が公開されています。シングルの方が先ですが、楽曲の製作にとりかかる時点で映画化が視野に入っていた可能性はあるのではないでしょうか。加山雄三を活躍させる「映像」をイメージして作詞した可能性があるかもしれない…と私は思うのです。彼の曲ですし、当然かもしれませんけれど。

歌詞サイト 歌ネット>お嫁においで

まだ深く長い関係を築いているわけではなさそうな、恋愛のはじまりの時期を抽象的に描いている印象です。「いいな」とか「気になる」とか意識し合っているくらいの仲? あまり具体的な関係性やストーリーが見えません。ここから構想を広げて映画にするのも、この歌詞ならやりやすいかもしれませんね。

“お嫁においで”とは、実現すればすなわち結婚です。ですが、まだ真剣に提案している風には響きません。重大な事実に直結しうるのに、かろみがあるのです。軽薄で信用できない感じではなく、夢やロマンが未来にあるような印象です。一世一代のラヴソングも世には必要ですが、流行を担うさわやかな風のような恋愛歌も必要だと思うのです。

“お嫁においで”の言葉の直接の意味は結婚のプロポーズとおおむね一緒ですが、どこか絵空事のようで不思議です。要因はなんでしょう。“おいで”と言っていて、自分からは動く気がなさそうなところでしょうか。ただ、これは私の感覚です。「いろいろと、自分から率先して結婚のために行動したり準備を整えたりする覚悟のうえであなたをお迎えしたい」という意思を「お嫁においで」で表現するという人があってもおかしくはありません(私の感覚とはズレていますが)。

“もしもこの舟で 君の幸せ見つけたら すぐに帰るから 僕のお嫁においで”(『お嫁においで』より、作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作)

主題ワードの“お嫁においで”のみに注視しすぎました。そう、この“お嫁においで”に至るフレーズは上記の引用のとおりです。

嫁を迎えるには、迎える側はその前に成し得たいことがあるのではないでしょうか。例えば、経済的に嫁を不安にさせない程度に自活できるようになったらば、その時にあなたと一緒になりたいとか…そんなような「見栄」を張りがちだと思うのです。実際の「結婚」は未熟者どうしがパートナーになって一緒に苦労して歩んでいくことだというのが私の考えですが、確かに昔の私には前者のような考えがあったように思います。「ドーダ! 結婚するのに恥じない一人前の男だぞ。誰が文句あるか?」とでもいわんばかりの存在を自認して初めて結婚する気になるのだろう、と思っていたのです。…多分、それでは一生できませんよね。もちろんしない人生も良いでしょう。私が「いつかはしたい」と考えている立場の人間だった、と仮定した場合の話です。おまけに、「結婚していいのは一人前のパーフェクト人間だけだ!」という考えが仮にあったとしても、別に自由です。

胸を張れるような立派な男になりたいと理想を持つことは悪いことではありません。もう一度先ほどの歌詞を見てみましょう。

“もしもこの舟で 君の幸せ見つけたら すぐに帰るから 僕のお嫁においで”(『お嫁においで』より、作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作)

いかがでしょうか。理想が現実になったあかつきには(≒“君の幸せ見つけたら”結婚しようといいつつ、今はまだ夢に向かってオールを動かしている最中。そんな風に解釈できませんか。

“帰る”という言葉を用いていて、すでに一定の居場所が形成されているかのような印象も受けます。とにかく、いろいろとよくわからないなというのが率直な私の感想です。この歌詞で整合する現実って、果たしてどんな状況なのだろう? という疑問が浮かびます。そこが良いのです。

すとんと綺麗に意味が腑に落ちる歌詞ばかりではつまりません。言葉の意味の向こう側にあるものこそが「詩」なのだというのは、谷川俊太郎の言葉を私が解釈して歪曲させた受け売りのなりぞこないですが、実際そういう詩や歌のことばを胸に持っていたいし、書き手でいたいと常に私は思っています。それを踏まえていっそう、岩谷時子の書く歌詞と加山雄三の書く曲に大きな魅力があることを認めています。

“舟が見えたなら ぬれた身体で駈けてこい 珊瑚でこさえた 紅い指輪あげよう”(『お嫁においで』より、作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作)

1番の歌詞の結び付近、Aメロ近似フレーズの部分です。やっぱり、君に捧げられるようなものを波に揺られながら探したり工面したりしていたみたいですね。さっさと一緒になって、一緒に苦労すればいいのに…。いえ、人それぞれですから構わないのですが…「ほら! 紅い珊瑚の指輪だよ! これ、君に!」なんてキラキラした顔で言われた日には、「もう…あなたって、ホント馬鹿。」とか、言ってやりたくなるのでは(私は誰なんだ)。

青沼詩郎

『グレイテストヒッツ 加山雄三』。『お嫁においで』『君といつまでも』ほかを収録。

ご笑覧ください 拙演