朗々と明るい響きと表情を終始保って歌っています。体を揺らし、腕を振ります。フィニッシュの“かわいやリンゴ”は上のほうの音域に飛び、堂々のロングトーン。
映像の結尾に「年忘れ にっぽんの歌」と出てきます。時期はいつでしょうか。並木路子は1921年生まれ。彼女の容姿、番組の題字や字幕の雰囲気から察するに1970代後半〜1980年代くらいに放送されたものかと想像します。
頂点と結びで主題の“リンゴ”
この曲の短調の歌い出しは、あなたがどんな人であろうと、日本の人であれば一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか(あるいは外国の人でも)。
あらためて曲を見つめてみると意外だったのは、曲の冒頭すなわち前奏の部分は長調ではじまっているということです。上にリンクした動画でいえば0:15頃。一度長調の主和音に解決した直後の小節で、同主短調に移っています。C→Cmというコードの動きです。ストリングスが|♪ソッ ソラ ソッ ソラ|ソッ ソラ♭ ソラ♭ ソラ♭|と旋律します。後半に含まれるラ♭はCマイナー調の固有音ですので、ここで短調に移ろっているのです。さりげない。
メロディは跳躍(離れた音への進行)や順次(となり合った音への進行)、上行や下行、音符の長い・短いなどの要素が多様に含まれています。
歌い出しから最初の16小節を歌い切るくらいまでの主旋律は、最も短い音符が8分音符ですが、17小節目(リンクの映像0:35頃〜)以降で16分音符を登場させて細かい動きをつけます。
歌い出し22小節目で最も高い歌の音程であるミ♭が登場。曲の主たるモチーフである「リンゴ」という単語のところで最高音程を用いているところが巧いです。意外なのはここに「ン(n)」の発音(1番と4番)を当てていること。数ある日本語の発音の中ではどちらかといえば閉鎖感のある発音ではないでしょうか。「ア」や「オ」などの、開放感や奥深さの出やすい母音を選ばなかったためか、物悲しさが漂います。「ン(n)」を母音のように扱うのは日本語の特徴です(英語なら子音)。
リンクの映像0:47頃〜が歌い出しから29小節目にあたり、最後の一句“リンゴ可愛や 可愛やリンゴ”(『リンゴの唄』より、作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正)を歌うところです。きれいな順次進行の上行形→完全4度跳躍上行・下行(ソ→ド→ソ)→16分音符の動きを入れつつ下行で主音(ド)に着地。曲中のメロディの要素をぎゅっと濃縮した感じの最終句です。しかも曲の結びの単語は主題の「リンゴ」。なんと後味のよいことか。この最終句は1〜4番で共通しています。
サトウハチロー
作詞者はサトウハチロー。私の好きなものでいうと、ザ・フォーク・クルセダーズ『悲しくてやりきれない』(作曲:加藤和彦)の作詞がサトウハチローです。静かで神妙で、世にも美しい曲。
参考:青森県近代文学館
彼の父は青森県出身の作家、佐藤紅緑。ハチロー自身は東京の生まれです。
万城目正
作曲は万城目正。『リンゴの唄』を主題歌・挿入歌とした映画『そよかぜ』(1945年10月11日公開)の音楽も担当しています。コロムビアレコードの専属作曲家を長く務めました。
並木路子
歌ったのは並木路子。戦争で多くの親類を亡くしたそうです。『リンゴの唄』が明るく開いた響きの歌声で表現されていることには、努めてそのようにしている意図を感じます。映画『そよかぜ』の主演も務めました。2001年没。長く歌手として活躍し続けたようです。
後記
戦後といえばこの曲、という紐付け・印象付けをされることの多い曲。そうやって私の求めと関係なく「向こうから」提示されることが多く、自分の意思でこの曲を求め、鑑賞してみようという動機がなかなかありませんでした。
そんな私に橋を渡してくれたのがサトウハチローが作詞をした『悲しくてやりきれない』。もともと私はただの音楽好きの端くれですが、『悲しくてやりきれない』を気に入り、作詞者であるサトウハチローの他の作への関心が高まり、いくらかの時間を経る中でうっすらと接触を重ねるうちにようやく『リンゴの唄』に自分から関心を持てました。
そうして鑑賞してみると、ここまで述べたように、その旋律や言葉がいかに行き届いた意匠で満たされているかがわかりました。戦後の世間や社会においてこの曲がどう響いたかといった、いち音楽作品が有する内容の外側で起こった影響の機微については私には一次的な知見が不足しますが、今日、単純に楽曲として私は『リンゴの唄』を堪能できたことが嬉しいです。機(樹…リンゴ)が熟したかのように。表面の赤の向こうに、ほんとうの味わいがありました。
青沼詩郎
『リンゴの唄』を収録した『スター☆デラックス 並木路子』
ご笑覧ください 拙演