アロエの写真をZineにしたいOさん

アロエが大好きだというOさんに出会った。

Oさんはアロエの何が好きって、生え放題になってねじくれまわった生命感が好きなのだ。私の目の前でOさんは自分の体や腕をつかって、路地裏の民家の壁際やプランターをはみ出して生え放題になったアロエの魅力的な姿を精一杯表現してくれた。平日のカフェでスパゲティを食べながら私たちはOさんの話を聞いた。たまたま居合わせたというか、流れで一緒になったメンバーで私たちは食事していた。

Oさんはそういうアロエの姿を見留めては写真を撮っている。それをZineにしたいのだという。アロエの写真をアップロードしているインスタグラムを私たちに見せてくれもした。画面に並んだアロエの写真を私は美しいと思った。Zineが出来たら私も購入したい。

多肉植物として「肉」の部分の印象が支配的なアロエだけど、花を咲かせるという。あのアロエの肉感なら想像はたやすい。とげとげしていて、葉(?)が「もてっ」としていて分厚いイメージだ。けど、花が咲いている様子がわからない。花、咲くんですね。

「多肉植物?」と私は発言した。アロエもたぶん、そういう仲間の植物なんだろうという話になった。「サボテンとかもそうですよね」と私。「サボテンも花、咲きますよね」同席していたWさんが言った。

サボテンって、咲いていないたくさんの時間を経たのちに花を咲かせ、そして短い時間でせっかく咲いた花を失うのだ。サボテンを育てたことのあるWさんが言うのを聞いて、私は儚い気持ちになった。

チューリップ『サボテンの花』

チューリップの『サボテンの花』には、「長い冬」という表現が含まれている。作詞・作曲:財津和夫。この曲は恋人のふたりのことを歌っている。自分を残して相手が出て行ってしまった主人公の目線だろう。

恋人が自分を残して、いま2人でいる部屋を出て行ってしまう、それが別れになる…という経験が私にはない。

主人公は、(それからいくらかの時間を経たのちか)自らもその部屋を後にする。これでこの部屋の扉に鍵をするのは最後の機会になるだろうというその瞬間が歌われている。そういう経験が私にはほとんどない。それなのに、主人公の気持ちを想像して共感している。

曲はドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ、1993)の主題歌になって、1975年の原曲の発売時とドラマの続編放送時と、複数の時期に渡ってヒットを繰り返した。

シンプルなコードを幹に、キラリとひかる副次調のコードや分数コード。そこに財津和夫らしさを感じる、なめらかな美しいメロディ。物語そのものの歌詞。イントロのギターのワイドなサウンド。12弦だろうか。コーラスのエフェクトをつかって6弦ギターで真似しても、似て非なる音だろう。間奏のピアノが低域でソロをとるのが圧倒的な存在感を放つ。

私は高校生の時に軽音楽部で友達とギターを弾いて遊んで、この『サボテンの花』をやった記憶がある。1975年の原曲リリースや1993年のドラマを同時代に楽しんではいないけれど、時空を越えて私もこの曲を味わっている。通っているのだ。いや、今も胸にある。

アロエスパー Oさん

Oさんは、アロエに関心を抱いて写真を撮る日々を経るうちに「まだ視界にないアロエの存在を感知する能力」を体得したという。たとえば市街の路上など、ある通りにいるときに「ここを入って行った先にアロエがある」と分かるのだそうだ。

部屋を出ていく、『サボテンの花』の主人公の恋人や、主人公自身。そこにあったものがなくなったり、なかったものがあらわれたりする。そういうものを嗅ぎつけて、何かを知るちからが人間にはあるみたいだ。『サボテンの花』の主人公やその恋人も、その愛がなくなってしまうのを予感する瞬間を街や部屋の中で感じ、経てきたのかもしれない。その瞬間を想像すると、私は胸が痛くなる。サボテンの棘に触れた時に似ているかもしれない。その場所に、花も咲くのかな。

青沼詩郎

『サボテンの花』を収録したチューリップのアルバム『無限軌道』(1975)

『サボテンの花』を収録した財津和夫のアルバム『サボテンの花 ~grown up〜』

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより
“描かれているのは寒い季節の恋? 誰かが何かをやりかけた痕跡が自分の部屋に残される感じとか、誰かと過ごした記憶のある部屋を退去する感じとか、自分のことじゃないのにわかる気がしてしまう妙。
フレーズの出入り口付近で大きめの跳躍をつかい、あとは順次進行を中心にした美しい歌メロディに財津和夫を感じる(たとえば『切手のないおくりもの』とか)。分数コードや副次調Ⅴをシンプルな中にキラリと。
チューリップ版も財津和夫ソロ版もある。ドラマ『ひとつ屋根の下』(1993)主題歌として再ヒット。江口洋介の顔が浮かぶ。私は当時およそ7歳だったしちゃんとドラマを鑑賞したことはないのだけれど、芸人にも一般人にもモノマネされるなど影響は大きい。
恋愛の描写とは違うけれど、妻子が里帰りして私だけ仕事で自宅に残ることがしばしばある。そのとき、部屋の中に吊り下げられたハンガーに残った幼子の小さな服が放つせつなさ・寂しさは半端ない。それはそれで別れの一種であり、「いま目の前にいないかつてあったもの」を思うことに変わりはない。サボテンが咲かせる花にも、そんな刹那があるのかもしれない。”

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