1985年8月12日。羽田〜伊丹を結ぶ日本航空ボーイング747・123便が群馬県高天原山中に墜落した。524人の搭乗者中、生存者は4人。亡くなった者のうちのひとりが、歌手の坂本九だった。

上を向いて歩こう

この音楽ブログの更新をはじめて3か月目。ネタに困ると、たびたび自分のからだに刷り込まれた音楽を振り返るようにしている。時事の流れはそれとして見留めつつ、自分に蓄積された過去に眼差しを向ける。

上を向いて歩こう』(1961年、坂本九の楽曲。作詞・永六輔、作曲・中村八大)は私のからだに蓄積された音楽のひとつ。いつのまにか知っていた曲だ。もはや、いつどこでこの曲に初めてふれたのか、まるで記憶にない。自発的に求め、触れようとすることもなしにその身に滞留していた。それだけこの曲が、私や私の身の周りの人やそれ以外の人たちを含んだこの国、この社会、この世界に生きる集団の血や肉そのものなのだということ。私には爪や髪の毛が生えている。そのことに普段疑問を持たないのと同じように、私はこの曲『上を向いて歩こう』とともにあったのだ。

心の瞳

私が中学生のときの学校の行事に、合唱コンクールがあった。私はピアノの伴奏を毎年やった。ある年のとなりのクラスが選んだ自由曲のひとつに『心の瞳』(作詞・荒木とよひさ、作曲・三木たかし)があった。これが美しく沁みる曲で、自分のクラスが選んだ曲でなかったにも関わらず私は曲を大変気に入っていた。

これが、1985年の坂本九の楽曲であったことを、ついさっきまで私は知らなかった。同年5月に出たシングル『懐しきlove-song』のB面が『心の瞳』。航空機の事故で亡くなる坂本九の遺作となる。このことを知ってショックだったし、驚いた。私の知る『心の瞳』は、坂本九の楽曲を学校教員が合唱曲に編曲したものだったのだ。長いこと、それを私は合唱曲としてしか認識していなかった。大好きな曲であるにも関わらず。

『上を向いて歩こう』は先に述べたように、いつの間にか私のからだに入り込んでいた曲だ。人前で演奏する機会、特に不特定多数の一般の人に聴いてもらう機会を得たときにふさわしい曲だなと思って、地域のイベントほかで私は度々演奏・歌唱していた。

ブログのネタに困ってふと自分の中の資源として坂本九『上を向いて歩こう』を思い返していたら、中学校の頃から大好きだった合唱曲『心の瞳』のオリジナルは彼の遺作だったことがわかったのだ。私のなかで光るふたつの宝物、それらが実は密接な関係にあった。そのことを知らずに、今まで私は胸に仕舞っていたのである。

私の時事

自分の中にすでにあるものでも、その関係をいかに知らないでいるか。そのことを思い知った。そのまま航空機事故についても調べていったため、この記事の書き出しがあのようになった。痛ましく、心苦しい出来事。それでも、私の胸の中に新たなアーカイブが出来たことは間違いない。坂本九の輝きが、私の中に今もある。それは私にとっての何よりの時事である。

青沼詩郎

坂本九
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ご笑覧ください 上を向いて歩こう カバー