実況 新宝島MV
よれたアナログっぽいシンセ。ゆるくからだを揺らすメンバー。意味ありげでへんなカメラワーク、ひいて、戻って、ひいて。ひな壇の上でしばらく身体をゆすって振り付けを演じたメンバー。階段を降りてフロアへ。チアと交差して前へ。
2メロ。ヨリでチアのボンボンが顔にかぶるカットが挿入される(う、うざそう)。2サビでメンバー別の個性が反映された別録りのソロカット。終わりに何かのCM(意味不明)みたいな集合カット。2サビ終わって間奏へ。
メンバーはちょこちょこバックステップ。チアがフロアに搬入する巨大な黒い立体に隠れる。「ナナメに差したスポットライト」風の絵(図形?)が描いてある。表を向けるとバンドセット。アツいギターソロをややぞんざいに(平等に?)扱っているところがツボ。ワンカット風でうまくつながっている(もしくは画面カット入っているけど実際には1発録りで決めているのか)。
チアに囲まれながら華の3サビ。ようやくMVっぽい(?)。3サビ終えて照明暗く、また立体は裏返しに(スポットライト風の絵が再見)。メンバーは再びひな壇上に。黒い立体をハケるとメンバーの数だけ並んだマックブック風コンピューター。エンディング近い。どんなオチが待っているのか期待させる。
作為たっぷりにシンクロした、ひな壇上でのメンバーのスローモーションな見返り。動きを合わせて身体を翻し、階段を降りてコンピュータの前に…つかない。前に出る。横に回る。やっとコンピュータの前、正位置についてパソコンを操作…するのじゃなく拳を挙げたー! 最初から最後まで演者の後方頭上、視聴者の視線の上方に鎮座し続けた「新宝島」のネオンが明滅する。
サカナクション『新宝島』 私のまわりの社会への影響と背景
サカナクション『新宝島』を踊るムーブメントがあったように思う。私の地元でも青年団体が踊っていた。
曲は映画『バクマン。』のためにつくられた。私は原作の漫画『バクマン。』のファンだ。その前に作者の大場つぐみ(原作)・小畑健(作画)同タッグによる『DEATH NOTE』のファンでもある。十代だった私の興奮の一部を持って行ったのは間違いなく『DEATH NOTE』だった。
『バクマン。』に映画があったとは、恥ずかしながら知らなかった。でも、サカナクション『新宝島』の存在は知っていた。これは他媒体とのタッグの文脈の外側にまで音楽面での成功が滲み出した結果だと思う。
おかしくてへんてこで違和感とツッコミどころに満ちたどこかポーカーフェイスな魅力際立つMVの監督は田中裕介。サカナクション『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』MVも彼による。
『新宝島』カラオケビデオのおかしみ
カラオケビデオにサカナクションのボーカリストで『新宝島』作詞・作曲者の山口一郎が出演している。私はこれを実際にカラオケ屋で発見して、緻密に張り巡らせたメディアミックスの奥行きが愉快で可笑しくてたまらない気持ちになったのを覚えている。バブル前後だかカラオケ文化創世〜隆盛期を思わせる、タバコの匂いと酒の空いて氷の残ったグラスの湿り気が佇む紋切り型恋愛ストーリーをモチーフにした感じの映像に山口一郎がちょい役で出てくるんだから。私は半ば強制的に「現在」を自覚させられる。作為を見せられるのだ。もちろん私が山口一郎の存在を、その風貌とともに知識として持っていたからそうなるわけだけれども。
サカナクションの魅力 倒錯と作為
カラオケビデオにしろ『新宝島』MVにしろサカナクションのソングライティングとアレンジメントにしろ、時代錯誤ほか倒錯のおかしみがある。これを私は、彼らが仕掛けた作為と認める。そこが私にとっての彼らの魅力。
サカナクションの存在を知っていつつも、私はこれまで、なんとなくすれ違ってきてしまっていた。今後も彼らの仕掛けるおかしみに期待。
同時にこの期待感は、私の彼らに対する現時点での勘違いを発端とするものかもしれない。サカナクションを追っていくと、そこにまだまだ何かありそうな気がする。
青沼詩郎
サカナクション
https://sakanaction.jp/