“東京”と題名につくものなぁ。首都の音楽です。
ひばりさんが歌ったドドンパ
私が「ドドンパ」を認知したのは、鳥山明さんの漫画『ドラゴンボール』です。これは精確には“どどん波”ですね。
それからだいぶして、音楽を私が真面目に聴くようになり、ふたたび出会った言葉が「ドドンパ」です。いえ、精確には(しつこい)以前に出会ったのは“どどん波”ですので、つまりドラゴンボール以後に私は初めて音楽のいちスタイル「ドドンパ」を認知したのです。これは大変当時流行した音楽スタイルだそうです。
音楽スタイルをさす「ドドンパ」に出会ったときに聴いたのが『ひばりのドドンパ』。美空ひばりさんですね。
なにやらゴキゲンな音楽だというのはわかる気がします。ドドンパの定義とは? どうも、この2拍目のアクセントが特徴だといいます。なるほど。4拍目もアクセントしたらただの現代に浸透した2・4拍目強調の大衆音楽のそれになってしまいます。あくまでドドンパの強調は2拍目のみ……と、そこまで厳密なものかどうかわかりませんが。『ひばりのドドンパ』を聴くに、ブラスのトーンがあたたかいですしスウィングしており、男声と共演していて「みんなの輪」「楽しい雰囲気」「社交場」のような空気を感じます。そういえば社交ダンスのスタイルにもなっているでしょうか、ドドンパ。
ドドンパを冠した大衆音楽で私がパッと思いつくのは『ひばりのドドンパ』でしたが、渡辺マリさんが歌った『東京ドドンパ娘』という歌があることを私がやっているYouTubeチャンネルの筋で視聴者の方から教えてもらいました。
「ドドンパ娘」というフレーズはずばり、『ひばりのドドンパ』の歌詞のなかにそのまま入っているくらいですね。娘、すなわち当時の若い世代の女性が楽しむエンターテイメントとして、ドドンパが「時の人」ならぬ、「時の音」なり「時の舞踊?」みたいなものだったのかもしれません。若い女性がそれを楽しむ姿が、時事的なあるあるだったというのを想像します。
東京ドドンパ娘 渡辺マリ 曲の名義、発表の概要
作詞:宮川哲夫、作曲:鈴木庸一。渡辺マリのシングル(1961)。
渡辺マリ 東京ドドンパ娘
パーカッションが至極ご機嫌です。ドラムレスですね。タンバリンはフロントでボーカリストが歌いながら演奏しているのじゃないかと思わせるほどに前面に出てちゃりっとした華やかで賑やかな音色でサウンドのリズムを先導します。2拍目だけでなく4拍目にもハネたノリで尾鰭を添えて打点を置いています。
タンバリンとあわせて、パカっと乾いたボンゴのような音が2拍目を強調して感じますがトコトコ……と、当然2拍目だけでないところもリズムで埋めています。音程の違うコンガもいるでしょうか。ドラムがないぶん身軽です。持って歩けそうな小物がリズムの群衆をなします。ギロのような、凹凸をギーとこするような楽器がまた草むらから蛙でも出てきそうな愉快さです。
渡辺マリさんのハスキーとは言い過ぎかもしれない味のある声質と粘る音程へのリーチのしかたが美味しい。良いボーカリストですね。まっすぐに伸びて、へこたれない。丈夫で明るく、器の広くて挑戦的な主人公を想像します。
“好きになったら 忘れられない それは はじめてのひと 一度燃えたら 消すに消せない まるでジャングルの火事恋のほのお 好きよ好きなの とてもしあわせ 燃えちゃいたいのドドンパ ドドンパ ドドンパが あたしの胸に 消すに消せない火をつけた”
(『東京ドドンパ娘』より、作詞:宮川哲夫)
猪突猛進なエネルギーを感じます。山火事ってなかなか消えないのでしょうか、いかにもう止められないかをジャングルの火事に喩えるとは、私の知る恋の比喩表現としても最も素晴らしいキラーワードのひとつです。
恋への着火剤というか媒体・方法がドドンパなのだと。恋に火がつくドドンパ。そういう表現がまかりとおる、大衆歌として理解されるには、それだけ社会において「ドドンパ」が知名度を誇っていたのではないでしょうか。「ドドンパねぇ、はやってるよね〜」と多くの人が分かる素地が社会にあったのでしょう。高度経済成長期というのが厳密にいつかわかりかねますが、どんどんいけるぞ、のさばる余地がそこらじゅうにあるぞ! という社会の空気と商業音楽界の動向は密接なものであるはずです。愉快で、ごきげんな作品を放てば受け入れられる、と。
まあ、今ほど多様化・細分化していない時代を思います。エンターテイメントといったら、みんながおおむね共通のものをみていたのではないかと。
レコードも、個人で買うのが高価で大変だからレコード喫茶に行くとか。そうすると、そこにあるソフトをお客がシェアするわけですよね。現代の「シェア」とはかなり感覚が違います。ニッチなものを欲する人と巡り合うのが大変で、共通のものを欲する人との貴重な接点を保つためのシェアというよりは、娯楽といえば自分にあったものを「探す」というよりは「それしかない」状態。レコード喫茶でプレイされるものとか、みんながおなじように視聴しているラジオやテレビから流れているものをみんなと同じように好きになる(しかない)状態。
私は当時をしらないので、大変に雑な時代考察です。それは置いといて、2024年に聴くドドンパは私にも気持ちの良いものです。
渡辺マリさんの『東京ドドンパ娘』も存分にスウィングしているじゃないですか。ハネたリズムで、からだも気持ちもハネるのです。音楽は心身に作用します。それは普遍でしょう。
目の前のものにぞっこんになる。ドドンパ(do do n pa)の発音が強いのなんの。意味とか抜きに唱えたくなります。まるでおまじないです。
青沼詩郎
渡辺マリの『東京ドドンパ娘』を収録した『歌カラ・ヒット4(14)』(2006)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『東京ドドンパ娘(渡辺マリの曲)ギター弾き語り』)