ツイッターをうろうろしていて目に入った。

TRICERATOPSベーシスト林幸治さんのものだ。

ツイートには、音源のリンクがある。

曲を聴いてみる。

うん、うん。いいぞ。これだよ。私の思うのって、こういうのだった。

私がTRICERATOPSで思い出すのは、楽曲『GOING TO THE MOON』だ。なんかのCMに使われていたんだった。なんだっけな。Wikiで出す。そうだ、ポカリ。ポカリスエットだ。

歪んだギター。直球なのにフックが効いている。骨格でぶつかってくる。バンドサウンドを乗りこなす、歌詞が映える。発音が洋楽っぽくて、耳に残る。それがCMソングとして何回もテレビから再生されるもんだから、私の頭にトライセラが刷り込まれていった。かっこいい。

で、今回じっくり聴きたいのは、冒頭に掲げたツイートにある『Raspberry』のほうだ。

(『GOING TO THE MOON』のほうもいいけど、それはまた今度。)

『Raspberry』は1997年にアルバム、シングルで発表されている。TRICERATOPSのキャリア最初期と言ってよさそうだ。初出後も、ベストやライブ盤に収録している。

構成、形式的なこと

スリーピースバンドだ。ギターボーカル、ベース、ドラムス。録音では、ギターがダブってある。サビでメインボーカルの3度上にコーラスが加わる。(ライブ映像でメンバーがコーラスしているのが確認できる。)

曲の構成を、ざっくり。

【イントロ(リフの提示)ーメローサビーメローサビーCメロ(大サビ)ーGtソローサビ×2ーアウトロ】

エレキギターのコードストロークによるリフで始まる。1拍目アタマでストローク(強起)、次のストロークが2拍目ウラ。このリズムを含んだギターのコード弾きが、この曲の基礎だ。

コードストロークのリズム
コード弾き演奏例

Bメロのない構成で、いかにもロック。J-popだとBメロがある構成も定番だが、良くも悪くも経過や順番に律儀な印象になる。突き放す(引き込む)ロックにはそぐわない…こともないが、Bメロのない形式の魅力をこの曲で感じてもらえたらいい…と、Bなし信者(?)の私はひとりごつ。

歌詞

サビのアタマの単語は “ラズベリー” なんのことだろう。

夜と、闇。非常灯の赤光が混じった色だろうか。

登場する「君」を果実に見立てるのもアリか(気障か)。

そして、“踊ろうよ” と続く。

ライブ会場でこの曲がはじまったら、歌詞の内容と現実がフージョンして盛り上がれそう。 

“それで全てうまくいく” まさにそのとおり。

平易な言葉と抽象度で、描く光景、情景に受け手の自由がある。聴き手が、それぞれの映像を「思える」、重ねられる。でも、「ラズベリー」が象徴する五感のイメージが確かにある。光彩、陰影、質感、芳香。甘酸っぱく、みずみずしく。それでいて、ちょっとけむたい感じ。

母音・子音に、これ見よがしな押韻はない。むしろそこがいい。すっと流れ込むように入ってくる。あえて外して作詞したのかもしれない。リズムと音韻が気持ちいい。

歌メロ

ペンタトニックスケールを基にしている。いわゆるヨナ抜き音階。(ドレミファソラシドだったら「ファ」と「シ」を抜く)

ヨナ抜き(in C)

ⅳ(ドレミファソラシなら、「ファ」)は、歌メロにはまったく出てこない。

ⅶ(ドレミファ…なら、「シ」の音)が、サビでやっと出てくる。

そこが、ちょうど歌詞 “ラズ「ベ」リー踊ろ「う」よ” のところなのだ。Aメロで登場せずにいたⅶを、ここで使うのである。

サビ モチーフ(in C)
サビ モチーフ(in G♭)

特に、(踊ろ)「う」のところのⅶによって醸し出される浮遊感。もどかしさというか、至らなさというか。このⅶは、刺さりどころがないままⅵに進む。が、ⅵでは落ち着かない。そのまま返しのライン “全て忘れ身をゆだねて” 以降に導かれる。このⅶ、ⅵが、サビの8小節を総べて率いている。サッカーで言ったら、MFか(喩えが粗末)。

Aメロは4拍目ウラではじまる弱起。それに対して、サビは強起(拍の頭ではじまるフレーズ)。この対比も効いている。だが、サビの2番目のフレーズ “全て忘れ…” は、サビ2小節目の4拍目ウラに食い込んでのアウフタクトだ。この「食い」が気持ち良い。

変化の大サビすなわちCメロは、2拍目アタマはじまり。歌い出しのポジショニングの微妙な書き分けで、繰り返しのコード進行を背景にしつつ、各構成部に違ったキャラクターを与えて聴き手を引き込んでいる。

調とチューニングのこと

チューニングのピッチが独特で、A=440だと音源()と合わない。私の手もとのチューナーだと、A=446くらいに設定してチューニングした自前のアコギを鳴らしたらやっとピッチが近づいた。

曲の調は、G♭メージャー。調の主和音であるG♭のコードは一度も出てこない。これがかえって、一曲を通して聴かせる仕掛けになっている。

調合が6つになるが、全弦半音下げチューニングのギターだと弾きやすい。作曲者の和田唱さんも、フラットチューニングのギターを用いて作曲するのかもしれない。(フラットチューニングを多用するミュージシャンは古今東西数多である。私の趣味で真っ先に思い出すのは、BUMP OF CHIKENか。ちなみに私も、フラットチューニングを15年以上愛好している。)

全弦フラットチューニングのギターは、テンションが緩む。気だるげなのに、響きが伸びやかで豊かに感じる。これを「パワー感」と形容するセンスもあるかもしれない。弾き手としては、運指がラクになる。細いゲージのエレキ弦だと緩み過ぎてピッチが悪くなるから、最低レギュラーゲージ以上でやったほうがいいだろう。

『Rapsberry』のギターはハイポジションでの演奏を中心にしていると思う。ハイポジではフラットチューニングはあまり関係がないと思うかもしれないけれど、響きに影響があるから、やっぱり重要だ。Cメロ部では開放弦ローポジションを使っているかもしれない。

…と思って、YouTubeをチェックした。2007年8月の、武道館公演。やっぱり、ギターボーカルの和田さんはフラットチューニングを用いている。ギターでC♭(ナチュラルB)のハイポジションを押さえるときに、3フレットに人さし指がいる。レギュラーチューニングだったら、2フレットにいるはずだ。

開放的なギターの響きに、恍惚。フラットチューニングのシロモノか。ライブ映像だと、Cメロ部でローポジションを使用しているように見える。ちなみに、ベースの林さんもフラットチューニングを用いている様子。うねる荒々しいサウンドがカッコいい。

コード進行

基本のコード進行は、ⅣーⅤーⅢーⅣーⅡーⅤーⅢーⅥ だ。

in C

前半2小節(ⅣーⅤーⅢーⅣ)と、後半2小節(ⅡーⅤーⅢーⅥ)で、真ん中の「ⅤーⅢ」以外の部分を変えている。4小節単位の進行パターンだ。前半で根音の動きは「ファ ソ ミ ファ(in C)」と、狭い範囲の音程をうろうろする。これを、後半で「レ ソ ミ ラ(in C)」と跳躍を広げている。このリフがおいしい。

自分でこのコードを演奏してみると、意外とワタワタする。カラダに刷り込まないと、「ⅤーⅢ」以外の、前後半で変化のあるところをよく間違えるのだ。私の出来が悪いんじゃなく、コード進行の「ハズし方」が秀逸なのだ。慣れると、演奏するのがやみつきになってくる。この、「演ってよし、聴いてよし」こそが、ある種の私にとってのロックの正義でもある。

大サビ(Cメロ)

Cメロ(最後のサビの前に置く、変調を演出する部分。必ずしも「転調」を意味するものではない)では、ワンコードあたりの尺に長く割いて、Ⅳ→Ⅴを繰り返すパターンのコード進行。トニックコード(主にⅠやⅥ。安定、緊張の解消を感じさせる役割)がしばらく出てこない。Ⅳ本来の浮遊感と、ワンコードあたりの長さにそれまでの4倍を割いている。その引き延ばしに「Ⅱ→ⅢM」のコード進行でトドメ。歌詞は “君を愛してる“ で、サビ(×2)にいく。

はじまりのコードは何か

私が楽曲を分析的に味わう際によく気にするのは、メロやサビの「アタマのコードが何か」ということ。『Raspberry』は、サビもメロも基本、同じ循環を採用している。つまり、この曲はメロもサビも「Ⅳはじまり」だ。

サビのはじまりがⅣのコードというのは、数えきれないくらい存在している名曲の共通点だ。もちろんⅠやⅥはじまりも多い。それ以外はやや少数派になる。

「Aメロ・Bメロ・サビ」みたいな、いわゆる「J-pop定型の構成の曲」の場合は、サビとメロの「両方」に「Ⅳはじまり」を採用してしまうと、冗長感が増してしまうことがある。その場合は、Aメロとサビでは「Ⅳはじまり」を採用しつつも、あいだに挟むBメロのはじまりには「Ⅳ以外を用いる」など、工夫する。そういう目線で名曲を聴くのも面白い。

ちなみに『Raspberry』のように、メロもサビも同じ「循環するコード」を基調にしている曲は、コード進行以外の要素で変化を出すことになる。むしろ、コード進行の定型があるおかげで、上層での遊びが楽しめる構造でもある。

ベース

刺繍音と経過的な半音進行を組み合わせたフレーズでコード進行を支える。支えつつも、「夜のマチの、馴染みの場所をうろうろする」みたいなフレーズだ。真似したくなる。

ベースフレーズの模倣(ギター)

ドラムス

4つ打ちのキック。クローズドハイハットの刻み。メロ冒頭の8小節ではスネアを抜き、次の8小節では2拍目と4拍目でスネアを打つ。段階的に場面転換を演出している。サビでは裏打ちのシンバルのサスティンを豊かに。ダンスビートの鉄則かつ定石(鉄か石か)。音源では「骨格」を堅守した印象だが、ライブ映像を見るとそのイメージが一蹴される。パワフルでグルーヴィだ。ゴーストノートも存在感が強め。音源のほうもよく聴くと、フィルインのタッチ、ダイナミクスグルーブドラマー吉田佳史さんの個性を感じる。

むすびに

ぐずぐずと分析的なことを述べてきた。

だが、このサビのワンフレーズが、私に示す。

“ラズベリー踊ろうよ” 

まどろっこしいこと全部ぶっ壊して、楽しんじゃいなよ!

コードがどうだとか構成がどうだとか、私のツマランうんちくは全部忘れていい。

理屈とか論理とか、みんな置いてきていい。

“ラズベリー踊ろうよ” 

これが、この曲の魂だと思う。

どうぞ、刺激に満ちた夜を。

後記

論理やら理屈やらは、過去の集積だ。

それに対して、「いま」感じて、ぽっと生まれるものがある。(いや、これも論理や理屈の「ブラインドタッチ」かもしれないけれど)

冒頭の、林さんのツイートでの「発明」ということば。その真意を汲み取れるほど、恥ずかしながら私はトライセラの歩みを深く知らない。けれど、なんかホラ、そういうことかなって思いました。 “ラズベリー踊ろうよ” つまり、これです。

ありがとうございました。

青沼詩郎