まえがき ラジオのバトン
TokyoFMのラジオ番組『Blue Ocean』が先日(2023年6月12日~16日)、“2秒でアガる!神曲ウィーク”なる企画でリクエスト曲を募りました。月曜日から木曜日まで毎日違うお題を設定し、曜日ごとにさまざまな「〇〇神曲」がリスナーから寄せられました。
「のりもの神曲」のお題のもと、自転車、車、船、馬、ロケットなどさまざま思いつく中で思い至ったひとつの曲がThe Beatles『Yellow Submarine』。こちらに思い至ったリスナーは私のみでないようで、オンエア曲に採用されていました。
黄色い潜水艦は一般に“のりもの”としてはだいぶ奇抜かもしれません。「のりもの」のコード(おきまり、お約束)のもとに思いつく曲っていっぱいありますね。
The Beatles『Yellow Submarine』
The Beatles『Yellow Submarine』リスニング・メモ
The Beatles『Yellow Submarine』。1966年、『Eleanor Rigby』との両Aシングルとしてリリース。アルバム『Revolver』(1966)に収録。作詞・作曲:Lennon-McCartney。
リンゴ・スターの歌声と、リズムの基調となるアコースティック・ギターの響きが相まって、素朴であたたかな風合い。どことなく悠長で、平坦な日常と感情が水平線まで続くかのうよう。ワークソングのような趣を感じます。コーラス部はドラムスの類がシンプルなビートをズン、カン、ズン、カンと背中を押すように強く打ち出します。
途中でのせりふの応酬や、コール・アンド・レスポンスする声の類にはどこか緊張感もあります。管楽器がジョークのように華やかし、散っていくかのようにフェードアウト。素朴なアレンジに印象のハイライトをふんだんに設けます。遊びだけが服を着て仕事をし始めたかのようです。
最初の2コーラスは引き締まった音像の太鼓類ですが、最後のコーラスでビーターを手に持ち演奏する“大太鼓”ふうの、響きのあるリズムが加わります。鼓面が波打って振動するのを想像させる、地道な響き。俺もサボらせろ!と、歌って鼓笛する列がどんどん長くなるかのようなエンディングです。
コーラス部の平坦なメロディからして、シンガロングや歌い易さを想定したソングライティングに思えます。水のほとばしる波音、チン・カンとガラス質や金属質の何かが衝突する音、フィルムが声で震える楽器“カズー”のよう音色、船室の壁を越えてパイプで何かを伝令が叫び合うようなせりふの応酬。話し声、歓声、笑い声、鳥だかインディアンだかを真似たような声だか笛だか。動力機関がアイドリングするような音、圧力の抜けるような音。
素朴な楽器編成とシンガロング、効果を図る多様な音楽的・非音楽的な音の集合の対比がポカンと広い海や空、心の空間を思わせる『Yellow Submarine』の絶妙なところです。
戦闘手段としての潜水艦
潜水艦が乗り物かと言われると、そうだといえる部分とそうでない部分があるでしょう。乗り物で思い出す神曲として“自転車”をモチーフにしたものを真っ先に思い出すその瞬間に、同時に反対の“遠いもの”を考えている私がいます。
潜水艦が一般的な交通手段かと言えば明らかに否であり、ひどく特殊なものです。人が乗る(ことができる)かと言えば答えは“可”ですが、人が乗ること自体が目的かといえば否でしょう。人間の移動を主たる目的として用いるものでもなく、概ね兵器に属するものであり、敵に極力気づかれることなく敵を破壊するためのツールかと思います。気づかれないように行う偵察などにも有効なのかもしれません。深海の生物や海底環境の調査や究明のために潜行する乗り物もあるでしょうが、そういうものは“潜水艦”と呼ぶにはちょっと違うかもしれません。
脱線コラム アルバム収録曲をシングルにするか問題、作家の投げ分け
シングル曲とアルバム収録曲を分別してきたビートルズのそれまでの方針としては『Yellow Submarine』は異例だったようです。
Wikipediaを見るに、アルバムのみに納められた特定の魅力的な楽曲は他のアーティストのカバーの標的になるようで、それに対する対抗策としてビートルズとしては異例の、アルバム収録予定曲のシングル化を決行した向きが読み取れます。
ここを私は興味深く思います。魅力的な特定の楽曲において、オリジナルアーティストの音源が収められたアルバムを買うよりも、その魅力的な特定の楽曲のみをシングルで手軽に聴けさえすれば、オリジナルアーティストのパフォーマンスでなくとも良い、すなわちオリジナルアーティストのアルバムを買うほどでないがその楽曲に関心の強いユーザーはカバーアーティストのシングルを選びうる、という消費者心理があるように読めるという点です。
もちろん、そもそもカバーバージョンが唯一無二の魅力的なパフォーマンスになっていれば、オリジナルアーティストのシングルの有無に関わらず価値を感じるでしょう。
シングルはたとえその曲をアルバムに収録予定であっても、出せるならば出した方が、ユーザーにとってはメリットになると私には思えます。単曲のみを買う自由と、単曲を含んだアルバムを選ぶ自由が生まれるからです。シングル曲をアルバムに入れてしまうことでシングルの方に価値がなくなってしまうという観点があると思いますが、選ぶ自由を提供している以上、「価値がなくなってしまう」は、私としては言い過ぎかなという気がします。オリジナルアーティストが、シングル曲をアルバムに入れないメリットはなんでしょうか。
アーティストがシングル曲をアルバムに入れない理由は何か
そもそもシングル化しなければ、そのシングル候補だった曲に関心が強いユーザーが、そのシングル候補だった曲を聴きたくて、高価なアルバムを買ってくれる点でしょうか。
ここで、そのユーザーがそのシングル候補だった曲のみに関して関心が強く、そのシングル候補だった曲以外のアルバム収録曲に関心が薄い場合、シングルが存在することによって、シングルのみの購入に流れる可能性があります。無理をして単価の高いアルバムを買う必要がありません。なるほど、ちょっと無理をしてでも高い方のアルバムを買ってもらったほうが潤うのであれば、アーティスト側に、アルバム収録曲をシングル化しない商業的なメリットがある気がします。
商業面で考慮しうる点は、シングル化すればそれを買うが、単価の高いアルバムのみに収録しシングル化はしないのであれば、そもそも購入自体を諦めてしまう層がどれほどいるかです。
シングルのみで満足する層としては、軽めのファンか、どうしても経済的にアルバム価格を捻出不可な人が考えられます。ビートルズの人気や認知度を思えば、このようにライトな出費に限る層が数多く存在した可能性もあるでしょう。こうした層へのリーチが、アルバムの購買動機を奪う(かもしれない)こと以上にメリットとなるのであれば、シングル化は吉であるはずです。
同様に考慮に入れるべきなのは、アルバムがシングル曲の両面曲を網羅していようとも、アルバムとシングルの両方を買ってくれる大ファンの存在です。絶対数としては限られた人数だとしても、こうした手厚い層を獲得することはアーティストの命題といえそうです。ビートルズならば、この層も限られるどころか、大変多くいた(現在に渡り、存在する)のではないでしょうか。
このように、生産・流通など採算の問題はあれど、シングル曲をアルバムに含める(アルバム収録曲をシングルカットする)のには、メリットが多い気がします。アルバムを出して反応を見てからのシングルカットであれば、よりコスト回収のリスクが少なく、アルバムを買うほどでないライトな層へのリーチを確実に行えそうに思えます。日本の業界にありがちな、シングルをいくつか出してからそれらを含めたアルバムを出すやり方は、アーティスト(生産側)の最新の状況をタイムリーに追い、アーティストとストーリーを共有したい手厚いファンに向く戦略に思えます。あるいは、アルバムに至るまでに注目度を醸成する効果があるでしょうか。
作品のアイデンティティを至上に扱うアーティスト(作家)の価値観
レコード業界内の常識や習わしに関して私は門外漢で、有識者未満甚だしい輩です。そんな私でも思い至る観点があるとすれば、作家としての投げ分け、すなわち積極的に作品のアイデンティティを確立する価値観です。
作品として、“これは独立した作品である”とか、“複数の曲がまとまることで、ひとつを成す作品である”といった位置づけを主体的に施し、あるいはそれに忠実に沿った作品・制作活動を尊重する方針です。制作動機や目的を明確にして創作することはアーティストにとって当然のことであり、わざわざ言うまでもないことかもしれません。一方で、作品の使用用途はともかく赴くままに生み出すのもまた、数ある面のひとつとはいえ作家の常でしょう。
アルバムにするかシングルのみとするかを決めずに制作した曲について、その単曲が他の複数の曲とまとまりを成してストーリー性やつながり感・関連性を打ち出せるものであり、尚且つ単曲のみを取り出しても確固たる個性の強さがあるものならば、アルバムに含める予定(前提)のもと、シングルとして出すのも良いでしょう。
反対に、その単曲の個性がアルバムに溶けず、含めてしまうことでアルバムの複数の曲の連帯感を分断したり、統一感を損ねる場合があります。アルバムを作る意図で作曲していても、ふとそういう曲が生まれることもあるでしょう。もちろん、アルバムのための曲かどうかを問わないところで生まれ、個別に作曲したものを集めて、なお全体として統一感を出し、オリジナルアルバムとしてまとめうる場合もあるでしょう。
加えていえば、そもそも“ごみごみとした”、“雑多な”アルバムも数多あります。そういったもので、強烈な光彩を放つ魅力的なものが少なからずあります。
極論してしまえば作家側がどうしたいかですし、商業音楽であれば、業界側との合議の結果、落ちるところに落ちるのでしょう。そういう世界もこの目で見たいものです。潜るだけ潜ったら浮かびたいですね。
余談 演奏の高揚 『ビートルズを聴こう – 公式録音全213曲完全ガイド』をみちしるべに
私がビートルズを聴き直すときによく参照する『ビートルズを聴こう – 公式録音全213曲完全ガイド』(著:里中哲彦・遠山修司。中央公論新社、2015年)。『イエロー・サブマリン』が童謡として書かれつつもそれらと一線を画すのは卓越したアレンジにある旨を評しています。水を吹いてブクブク鳴らしたり、合いの手のボーカルが遠くから聴こえたり、大勢の合唱が加わっているのも、ジョン・レノンがレコーディングに対して乗り気だったり、メンバーの関係者・身内・つながりのあるミュージシャンなどがオーバーダビングに参加するなど内輪を巻き込んで制作過程の時点で盛り上がりを見せたりしていたことが紹介されており、楽曲の成功が当時から目に見えていたように思わせます。
私も曲書きのはしくれとしては、作っている時点で“楽しい”のに勝る吉兆はないと思います。ザ・フォーク・クルセダーズの傑作に『帰って来たヨッパライ』がありますが、あの楽曲の「悪ノリが悪ノリを呼ぶ(良いノリが良いノリを呼ぶ)」ような目まぐるしく奇天烈なアレンジも、作る過程が楽しく、発想が芋づるのように連なって加速したのではないかと想像させる向きがあり、『イエロー・サブマリン』の制作過程の盛り上がりと重なる様子を勝手ながら想像します。『帰って来たヨッパライ』の中にもビートルズの『グッド・デイ・サンシャイン』の引用がありますし、ザ・フォーク・クルセダーズの面々がビートルズ好きだったことが想像できます。
お笑いや音楽のライブでもレコーディングであっても、ステージやスタジオで演者がノって名演が生まれます。アウトプットとモニタリングを同時進行し、出音や会場の反応(客の前であろうと、関係者だけのスタジオであろうと。)の吉兆が積もり、高まる集中・緊張・快楽の頂点を乗り熟すには、経験や技量や鋭く反射するための心身のコンディションの良さすべての相乗が必須だと思います。どんなにプログラミング(打ち込み)を駆使した素晴らしい楽曲が日々生まれようとも、人間が演奏する音をパックした記録物としての音楽を私が最も好む理由です。
青沼詩郎
The Beatles『Yellow Submarine』を収録したアルバム『Revolver』(1966)
『イエロー・サブマリン』サウンドトラック(1969)
『ビートルズを聴こう – 公式録音全213曲完全ガイド』著:里中哲彦・遠山修司。中央公論新社、2015年。
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Yellow Submarine(The Beatlesの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)