KinKi Kidsについて

私はこのブログで音楽のことを書いている。毎日更新しているので、ネタを常に探している。ネットにあるような情報をそのまま横流しするのでは私が書く意味もないから、自分の体験を探る。すると、結局90年代の日本のポップスに行き着いてしまいがち。

私は1986年生まれだ。自分の思春期くらいまでのことを思うと、刺激を多く受けたのは自然に90年代の自国の音楽が多くなる。なかでもKinKi Kidsは私の記憶にある思春期までのこの国の音楽のある割合を占めた人たちだと思う。

堂本剛堂本光一のユニット。ふたりの苗字が同じなのはたまたまだそう。誰もが実の兄弟だと思ったのではないか。本名なのだと知って、あらためて「へぇ」と思った。

彼らのレパートリーで、ドラマとのタイアップ曲があった。『Hey! みんな元気かい?』(2001)(先日このブログで取り上げた)は、堂本剛が出演する『ガッコの先生』の主題歌だった。これが放送された時期、私は思春期真っ只中の少年だったのだ。

全部だきしめてについて

全部だきしめて』は、『LOVE LOVE あいしてる』というテレビ番組の主題歌だった。吉田拓郎の作曲。主題歌として書き下ろされたものだとは知らなかった。KinKi Kidsに歌われてヒットしたそれは、吉田拓郎のセルフカバー集『みんな大好き』(1997年11月1日リリース。「吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS」名義)で、KinKi Kidsのものよりも先にリリースされている。それからKinKi Kidsのシングル『全部だきしめて/青の時代』(1998年7月29日)リリース、という経過だ。

作詞者 康珍化

作詞者は康珍化。静岡県出身で、ポップスや歌謡の詞を書く。短歌を詠い、早稲田大学短歌会に所属した人でもある。

サザンオールスターズ桑田佳祐が監督した映画『稲村ジェーン』(1990)の脚本を担当したのも康珍化

岩崎良美が歌ったアニメ『タッチ』(1985)テーマ曲『タッチ』の作詞者も康珍化

上田正樹が歌った『悲しい色やね』(1982)の作詞者も康珍化

BoAの『メリクリ』(2004)の作詞者も康珍化

KinKi Kids作品だと『雨のMelody』(1999)の作詞者も康珍化

参考:Wikipedia

私の知る多くの作の生みの親だったとようやくいま、まともに知りはじめた。私の中に築かれつつある、康珍化像。

歌ってみた体験について

私は、音楽を体験として味わい、深く知る手段として、自分でも弾き語りしてみることにしている。それを撮影してYouTubeで公開する。そうすることで、背筋が伸びる。そうでなけりゃ、ある水準まできちんとやりきる自信がない。せめてその曲を味わった実感を主観的に得られる最低限を基準に、確実に音楽を味わった体験を積むための仕組みなのだ。だから毎日更新している。そういう「リミット」、締め切りを設け、定期で取り組むことで自分を律している。

で、『全部だきしめて』に挑戦してみた。この曲は前から知っていたけれど、Aメロの歌詞の乗せ方が難しそうで、なかなか手が出なかった。今回、自分で挑戦してみてもその印象はそのままだ。メロのリズムのはめ方がむずかしい。

一方で、サビが歌いやすい。この開放感とのメリハリが肝。いいサビだと思う。

些細な気付きなのだけれど、サビの前半でⅢのコードをマイナーでつかって、サビの折り返しでⅢのコードをメージャーでつかっている。コード進行好きの私はこの細部のつくりに、作曲の吉田拓郎の手技を思う。Bメロの入り口のコードがⅢM(メージャー)なのも巧いなと思う(ご本人はあまり意識せずにコードを選んでいたりして……?? それも含めての手技だ)。

歌詞について

サビのフレーズ“全部だきしめて”の包容力。2回目のBメロの歌詞なにかをひとつ失くした時に 人は知らずになにかを手にする きみのためにできることを あれからずっと探してる (『全部だきしめて』より、作詞:康珍化)このラインが私は好きだ。ものの真理を言い当てている。等価交換。すべてを得ることはできない。何かを選ぶことは、何かをあきらめることだ。あなたのために私が何かをするとき、私はほかを切り捨てることになる。いま、この文章を書くことで私はほかを断っている。これを読んでくれているあなたは、他(た。誰)を断って読んでくれている。ありがとう。

『全部だきしめて』の歌詞が巧妙なのは、喪失のほうに視点があることだ。積極的な選択の代償は、納得し、心の準備を済ませて手放すものである場合が多いだろう。一方、それまで自分の胸の内や手元にあるものが突然ぽっかりなくなってしまうとき、その喪失に備える猶予はない。失うと同時に、知らずに何かを手にしていることに気づくような平静さが、果たしてそのときの私にあるだろうか。卑屈になり、自己憐憫に溺れ、喪失と引き換えに得たものを実は己の掌に握っていることに、いつまでも気づかずにいるのかもしれない。得ると失うもまた、表裏一体なのだ。

むすびに

吉田拓郎の存在は大き過ぎる。『全部だきしめて』に私がはじめて親しんだ頃、私の吉田拓郎への知識は皆無だった。

聞き及ぶに、吉田拓郎の一面はフォークの巨人かもしれない。いっぽうで、フォークは他者が勝手に吉田拓郎に付したラベリングでもある。吉田拓郎自身が「これがフォークだ」なんて、いつ言っただろうか。おそらく彼は言っていないと私は思う。でも、当時の私は何も知らないから、「へぇ、このキンキの全部だきしめてを作曲した人、なんかフォークのすごい人なんだね」といった雑な認知をひとまず更新することになる。これが、当時の私にとっての吉田拓郎に対する漠然とした認知。「フォークの巨人・吉田拓郎」みたいな、遠くて広くて、漠然としたイメージだ。

あの頃から25年近い時間が経とうとしている(この記事の執筆時基準で)。ここ近年、私は好んでかなり吉田拓郎の作を聴いている。ほかの歌手への提供曲やそのセルフカバーなども積極的に聴く。吉田拓郎に対してフォークのラベルを付して満足してしまうのがいかにナンセンスかが、今ならいくらか身をもってわかる。コードのつかいかた、メロディやリズムの尖らせ方・磨き方、楽器やバンドの編成、それらで築くサウンドの質感は、ある狭い時代においてもてはやされた意味でのフォークを悠然と超越する。

いっぽうで、それらの経過をすべて含んだ上で吉田拓郎が至ったあのテレビ番組『LOVE LOVE あいしてる』で私も見たような……多すぎず少なすぎずのグループを率いてギターをかき鳴らし歌うイメージは、ある狭い時代におけるフォークの良かった面と影が重なるところもある。

小学生くらいだった私が思う「吉田拓郎ってフォークの巨人なんだな」というざっくりとした感慨と、今の私が思う「ええ、吉田拓郎は正真正銘のフォークの巨人です」は、まったく違った解像度を有しているようでいて、重なるところもある。こうやって、時代が吉田拓郎を引っ張り回しているような、吉田拓郎が時代を引っ張り回しているようなどっちにも思える興味深いムーブメントが、ずっと私の身の回りに続いているのだ。作品を通してそれに立ち会えたことをありがたく思っている。

フォークと書いて音楽と読むのもいい。音楽と書いてフォークと読むのもいい。ロックともニュー・ミュージックともシティ・ポップとも、言いたいやつに言わせればいい。分類は便宜のためのものだ。分類に困るものをいかにつくってやるかに夢中でいられるくらいが幸せなのかもしれない。幸せかどうかは本人のみぞ知るところだけれど、吉田拓郎はそれを実践した最たる1人なのじゃないか。ぼんやりと見た巨像に、少しだけ色がついた気がした。

『みんな大好き』収録『全部だきしめて』。洗練とハッピーな輪を感じるチーム・サウンド。華もキャラもある豪華キャスト(Wikipediaサイトへのリンク)

青沼詩郎

KinKi Kidsのシングル『全部だきしめて』(1998)。

吉田拓郎とLOVE2 ALL STARSによる『全部だきしめて』を収録した『みんな大好き』(1997)。リズム隊(ドラムス・ベース)の明瞭で硬質なサウンド、それに乗っかるキーボードやストリングスなどのウワモノ。そしてゆるぎない美しい歌メロディ。リゾート地にいるみたいで夢のよう。こうした構築美に私としては『どんなときも』『遠く遠く』などの作がある槇原敬之のサウンドを思い起こす。特に関係ないかもだけど。

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『全部だきしめて ピアノ弾き語り』)