私がaikoを思い浮かべたとき、最初に出てくる曲が『ボーイフレンド』。
いえ、なんならaikoを思い浮かべることなく、音楽のことをぼんやりと考えているだけでもこの曲が思い浮かぶことがあります。
それくらい印象を残す曲。
やっぱり、サビの出だし付近の独特な響きでしょうかね。引っ掛かりがある。ある時代のJ-Popだとか女性ボーカルものだとかいうくくり抜きにして、この曲はオールタイムでベストなヒットだと思います(語彙崩壊)。
私がaikoと直接・間接のつながりを何か持っているわけでもない。ただ、この曲が出て、あるタイミングで聴ききました。世に出ている・流通して受け入れられているものたちのひとつ、くらいの認識で、なんとなく手繰り寄せて聴いたことがあるというだけでした。
最近このブログで記事を書いていて、音楽のことを頻繁に思います。というかいつも考えている。頭の中のメモリを探ると、ある時代のこの国のポップミュージックが表層に浮かぶことが多い。やっぱり私は時代にしばられている?
「時代」は、インターネットのアーカイブが、というか情報の革命? が崩壊させてしまいました。というのも、「いつの時代の」「どんな地域の」といった、その音楽のもつ背景の制約をすべての者に飛び越えさせてしまうのです、その人がネットユーザーでさえあればね。
私が何を言いたいのかとひとことすればつまり「頭の中の音楽を手当たり次第に味わい直している」。というだけのことなのです。まどろっこしい奴ですみません。
aiko『ボーイフレンド』を思ったとき、やはり強く立ち上がるのはサビ頭のあの響き!“Ah テトラポット登って”(『ボーイフレンド』より、作詞・作曲:aiko)のところの響きです。
私は、着目した音楽について記事を書くという「味わい直し」をしているとともに、自分でも歌ったり演奏したりしてみる、という方法でも味わい直しをしています。ここ数ヶ月の話。
で、自分でもこの曲をやってみる。
するとわかったのが、
・サビの頭の歌メロ「Ah」の音程は、そのときのコード(和音)の根音に対して9度(転回すれば2度)の関係
そう、「Ah」のところの歌の音程は、乗っかっている音なのです。その和音の中では、和音を「構成する重要な音」というよりは、ストレンジャー。派手さや色味を付加する、特別なおきゃくさま。新鮮な風を吹かせる存在なのです。
それでいて、この曲の調(原曲:Gメージャー)の音階における三番目の音、仮にこの曲をCメージャーとすれば「ミ」(原曲はGメージャーなので「シ」ですが)の音なので、主和音「ドミソ」(Gメージャーならソシレ)にふくまれる、主調に対してなじみのある(調和した)「フツーな存在」なのです。
調和のある「フツーな存在」を、コードの設定ひとつで「特別で、新鮮な風を吹かせる存在」に位置づけている。シンガーソングライター・aikoの妙技です。
・歌 “テトラポッド登って” のところはブルーノート
先程の9度の妙技の次にすぐ出てくる部分、歌詞が “テトラポッ…” のところですが、これはこの曲の調の音階における第三音をフラットさせた音です。これをブルーノートと私はよびます。
ドレミファソラシドなら、三番目の音「ミ」にフラットをつけて(半音下げて)「ミ♭」にしてしまっているのです。
しかもこの音程をうたっているときのコード(和音)は、Ⅴ。緊張感のつよい、「ドミナント」です。Cメージャーなら「ソシレ」。その構成音(第5音)である「レ」をねじまげて半音高くし、「レ♯」にしたととらえれば、#5(シャープ・ファイブ)。増音程の和音。音階の3音「ミ」を♭させた「ブルーノート」と異名同音程です。
コムズカシイ話をわかりにくく熱弁しました。つまり、「スゲーへんてこで緊張感の高い強烈な響き」なのです(はじめからそう言えやぁ〜)。
「9度の妙技」につづけて、必殺のブルーノート。このゴールデンコンボでaikoはボーイフレンドたち(?)をバッタバッタと葬り去って(?!)しまうのです!!
MVが珍妙で楽しい。B級な謎の近未来感とオールド感。
最後に立ちはだかったボーイフレンドたちの仇(?)は…まさかの「自分(aiko)」?
「異時代の(相容れない)自己」を対立させたかのようなオチ。ここから次の物語が始まるかのよう。
私のような小男子はもうハンズ・アップです。
青沼詩郎
aiko 公式サイトへのリンク
Biographyがめっちゃ細かい。ちょっと主観風で日記風で楽しい。
『ボーイフレンド』を収録したaikoのアルバム『夏服』(2001)
ご笑覧ください 拙演