『歌はともだち』(教育芸術社)という歌本をぱらぱら捲っていると、目にとまったページがありました。
『にんげんっていいな』(作曲:小林亜星、作詞:山口あかり)でした。おたまじゃくし(音符)に力がある。なぜかわかりません。そう感じたのです。
「読みやすさ」なのか。同音連打の冒頭。Gメージャー調で、音程はシ。曲中で一番高い歌メロの音程はサビまで温存しておくというのは作曲のテクニックだと思っていましたが、ドあたまから歌メロ中で最高に近い音程を使用し、Bパートに突入する直前の”夕やけこやけでまたあした”の“またあした”のところでさっさと最高音程を登場させてしまいます(先程のシより半音高い「ド」)。
Bパートの入り“いいな いいな”の歌い出しの音程はソ。冒頭の歌い出しよりも長3度下の音程で入ります。はじめの“いいな”はソ・ファ#・ミと下行の順次進行。続く“いいな”はファ#・レ・シと下行の跳躍で、分散でBmの和声音をとります。ここのコード進行が
|Em|Bm|C|Bm Em| (“|いいな|いいな |にんげんって|いいな|”)
となっています。なんだか、シンメトリーに見えませんか? 4小節目のみひとつのコードにあてがう時間の長さが短いですが、ほぼ左右対称です。EmはGメージャー調においてⅥの和音、トニック。BmはⅢで、トニック(T)もしくはドミナント(D)。Cはサブドミナント(S)です。この部分を機能で置き換えると
|Ⅵ(T)|Ⅲ(TorD)|C(S)|Ⅲ(TorD) Ⅵ(T)|
帰結感の薄い、情緒の振れ幅をうろつくようななんともいえない表情の音楽です。「くまのこ」か「もぐら」の目線でしょうか。
“ほかほか” “ポチャポチャ”の部分では、それまでで一番音価の小さい、細かい割り付けの音符(16分音符)が出てきます。
急に出た16分音符+擬音語・擬態語で印象づけています。「音程の高さ」によるハイライトはAパートでさっさとつくってしまい、リズムの緩急によるハイライトでBパートを魅せている巧みさがあります。
この曲のことを私はかつてから知っていましたけれど、今回あらためて歌詞を眺めていちばんのけぞった部分が結びの一文。
“でんでんでんぐりがえってバイバイバイ”(『にんげんっていいな』より引用、作詞:山口あかり)です。
なんというか、唐突。直前のフレーズは“ぼくもかえろ おうちへかえろ”ですが、自分も家に帰ろうという意志が“でんでんでんぐりがえってバイバイバイ”という表現で世に出てくる奇跡。
「さようなら」を意味することば(“バイバイバイ”)が最後につくのわかります(それでも“バイ”が1回多い。愛らしいです)。
どうして急に“でん でん でんぐりがえって”しまうのか…!!!
この歌詞に私は驚きと感動のあまり、その場でひとり、しばらくの間、自分の手で顔面を覆って動けなくなりました。
人間の営みがうらやましくなってしまった、動物の目線でしょうか。じっとしていられない弾むような気持ちが表れているともとれます。それにしたって、“でんぐりがえって”しまうなんて…!!!
私はでんぐりがえしが好きです。家のふとんや、たたみの上で無意味にやってしまうことがあります。記憶にありませんが、子どものときにも多分さんざんやったと思います。そんな「童心」ならぬ「童体」があらわれています。
そう、「心」に秘めるようなものでなく、「体」にあらわれてしまう。心と体は表裏であるともとれます。そんな表現と解釈すると、私はこの作詞を天才の筆致とおののくばかりです。しかも、“でん でん”の部分で音程も長6度跳躍しています。メロディ(体)に、弾む心が宿っています。小林亜星が音楽で表現するキャラクターの無垢と愛嬌。感服です。
青沼詩郎
【原曲について】
1984年〜2003年中の『まんが日本昔ばなし』エンディングテーマ。中島義実、ヤング・フレッシュが歌いました。作詞:山口あかり 作曲:小林亜星。
『にんげんっていいな』を収録したオムニバス『コロムビアキッズ こどものうた 魔進戦隊キラメイジャー・ベイビーシャーク』。原曲の中島義実、ヤング・フレッシュと違いますがこちらも良いと思いました。この記事冒頭のYouTubeリンクがそうです。
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『にんげんっていいな ギター弾き語りとハーモニカ』)