序文 信濃の国(長野県歌)団結と繁栄の大河ロマン
長野県の県歌。正式な制定は1968年。長野県民はみんな歌える、との通説あり。
意味を知らずに、ひらがなだけを起こして読んでいくとどこからどこまでが一単語なのかがわかりづらく、謎の呪文を歌っているような気分にさせます。ことばづかいの質感が、現代を生きる私の日常のことばとはかなり違うからです。単語にしても、語末にしても古語や文語っぽい質感だったりしがちなのです。
しかし近寄って意味を知ってみると、その歌の心、意図することが、この歌に当時の人が託したかった想いが伝わってきてその魂をうかがい知ることができる魅力に気づきます。
長野県の地理や暮らしぶり、特長などの概要。山(含む活火山の浅間山)、河川が国の基盤であること。林業(木曽のヒノキ)、水産(諏訪湖)、穀類、養蚕など多様な産業を担う個々の営みが国の命づなであること。旅行や観光、温泉休養に向く各地があり、詩歌にも詠まれていること。学問、武芸に秀でた偉人を輩出し、川の流れのように尽きぬ高名が現代に届いていること。ヤマトタケル伝説と19世紀末の信越線開通の時事を貫く一本道の歴史を鉄道や河川の軌道、山岳の高みに重ね見ること。6番まである歌詞を通してこれらが団結して歌われるべしとの想いが伝わってきます。

信濃の国の多様で豊かな土地柄を音楽の意匠上でも表現するように、歌メロディ(歌いまわし)は箇所によってまさに変幻自在。小さな楽節の単位で多様に音価が移ろったり、きびきびと音程の上下が切り替わったりします。なかでも4番に差し掛かる際の、まるで『オールド・ラング・サイン(別れのワルツ、蛍の光)』にも似る、高所や遠くを仰ぎ眺めるようなテンポの緩みを含む曲調の変化が本曲の大きな特長・アイデンティティになっています。曲の全長を通して歌うとおおむね6分を超える所要時間にもなります。まさに長野県のサーガ、大河ロマンではありませんか。
信濃の国(長野県歌) 曲の名義、発表についての概要まとめ
作詞:浅井洌、作曲:北村季晴。1899(明治32)年、長野県師範学校教諭の浅井洌(あさい・きよし)が作詞。1900年に同校教諭の北村季晴が作曲。教育の場にも及びつつあった日清戦争の影響を遠ざけようと作った、「地理歴史唱歌」6作品の一つだったといいます(“郷土唱歌”とも)。戦前・戦後にわたり歌われて来ましたが、県歌としての制定は1968年。
ひらがなでつづる古語の文字列は厳しい
デイサービスで演奏の機会をいただき、『花』(瀧廉太郎・武島羽衣)を演奏しようかというとき、その歌詞の意味のわからなさに戸惑った記憶があります。
唱歌をネットやテレビやラジオなどのメディアから流れてくるのに触れて知る、というケースもないとはいえませんが、楽譜や歌本に載っているものや歌詞カードを差し出されてさあみんなで歌いましょう、といった具合に、学校や公共施設などその地域・地元での学習活動や催し物の機会に出会ったり楽曲に触れたりするケースが多いのではないでしょうか。目から入る楽譜ではなく耳から入る商業音楽とはだいぶ出自や質感の異なる畑のボーカルミュージックだといえます。
私の妻の出身地が長野県であるご縁で、近頃は『信濃の国』を演奏する機会をいただきました。長野県のホームページが県歌として楽譜を公開しています。さっそくダウンロードしてみましょう。
ピアノの伴奏と歌の旋律の五線譜は、通常歌詞がひらがなで記載されます。どの音符に対してなんの発音をすればいいかを明瞭に記すことができるため、通常ボーカルミュージックの五線譜はそうした「ひらがなの川」が1番から楽曲の長さにしたがって何番までも各一列にならんでしまいます。
これが、現代つかわれている言葉づかいで歌われるものであればさして問題はないのですが、先にあげた『花』にせよ今回の『信濃の国』にせよ、ことばの質感が現代日常会話で用いるものとはだいぶ質感が異なります。そうした言葉たちをすべてひらがなでつづられてしまうと私はまいってしまいます。ただでさえ言葉づかいやその質感が現代私が日常で用いる口語とは乖離があるのに、それをひらがなの解像度にされてしまっては、漢字のつづりなどから意味の察しが利く範囲がきわめて狭くなってしまいます。
私のような不勉強もののためにか、長野県のホームページは漢字を適切に用いた本来の歌詞(作詩)と、さらには現代の言葉にしたらどういうニュアンスになるかの資料を公開してくれています。長野県人の勤勉な傾向(?)を映してか県のホームページ(ホーム > 県政情報・統計 > 県概要 > 県歌「信濃の国」)もきわめて勤勉で助かります……。せっかくのこの機会に『信濃の国』の歌詞が描く世界において、現代の言葉づかいを基準にすると少し気になったり疑問符が浮かんだりする箇所にクロース・アップしてみましょう。
信濃の国 歌詞(1番) 海はなくとも万ず豊か
“信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき”(『信濃の国』1番より、作詞:浅井洌)
「じっしゅう」。まず「じっしゅう」の発音から、十の州(くに)という意味の「十州」を瞬時に想い起こすことが私には絶望的にムリです……。そんな私の不勉強をここでとりもどしましょう。十の州はすなわち「越後、越中、飛騨、美濃、三河、遠江(とおとうみ)、駿河、武蔵、上野、甲斐」のことです。全部読めますか? 私は「遠江」の読みを初めて認知しました。「とおみ……?」じゃないんですね。
廃藩置県以前の州(くに)がひしめいた時代が地名に残ります。こういった固有名詞が日本史への手がかりをくれるので大事にしたいですね。州(くに)が集まって国(くに)、すなわちここでは「信濃の国」になるんですね。信濃は広いだ!
「いやに○○だ」(やけに、やたらと、とっても○○だ)という言い回しは私の日常会話でもわかる気がしますが、「いや○○」といった具合に「いや」+形容が「に」を介さずに直接くっついてしまう使い方は斬新です。「いや高く」「いや遠し」と歌われる『信濃の国』1番。
松本、伊那、佐久、善光寺と、長野を観光するならおさえたい地名が踊るのでこのあたりは私にもわかりよい固有名詞ですが、「伊那佐久」と直接くっつけて歌われてしまうと「稲作」の発音と似てしまって「松本(における)稲作」と歌っているのかと混乱する県歌弱者な私です。善光寺がすかざず続くので、まぁ稲作の線は屁理屈かもしれません。
平野のこと、開けていてまっすぐでなだらかな勾配、斜面が稀な範囲がある程度広く続く土地を「たいら(平)」と歌っているようでしょうか。ここでは意図していないかもしれませんが「たいら」と訓読みで歌うことで、平野(へいや)などと歌うよりもよっぽど平和を連想させます。
海なし県であることも土地の特徴の定番の語り草でしょう。「物さわ」はまったく今の私の日常会話にはない表現。「物多(ものさわ)」と書くよう。物が多い状態。庫に物資が多い状態の表現だそうです。海はなくとも物産が豊かである、と『信濃の国』では意訳されるよう。
ありとあらゆるいろいろなことをさして「万(よろず)」と表現するのは現代の会話では稀でしょうが、ファンタジーものの漫画やゲームで「よろずや」なるものに触れたことのある昭和後期~平成~令和育ちの方は一定数いるのではないでしょうか。
「よろずたらわぬことぞなき(万ず足らわぬ事ぞなき)」の発音を受けて、信濃での暮らしにおいて、不便や不足することなんて何もないんだな! と瞬時に意味を理解するのは私には絶望的です。県のホームページさん、ご解説をありがとうございます……
途中で曲調がゆったりする
長野県ホームページが公開している「信濃の国」斉唱(日本語版)音声データを参照する【作成:公益社団法人長野青年会議所、歌唱:長野少年少女合唱団(2005年)】
2番の歌詞は信濃地域の山岳や河川、3番の歌詞では諸産業や諏訪の水産への敬いを表現します。『信濃の国』が特徴的なのは、4・5番で曲調ががらっと変わることです。まるで『蛍の光』、あるいはその参照元たるアイルランド民謡の『オールド・ラング・サイン』のような、遠くの景色(歴史)を仰ぎ見るような雰囲気になります。テンポが落ちるのです。楽譜にリタルダンド(poco rit.)が書いてありますね。BPM=112~116(誇りをもって力強く)と指示された冒頭から一変、楽想がLegato(♩=92)になります。
このゆったりした曲調のもと、4番では諸々の名所が詩歌の題材にもなっていること、5番ではゆかりのある武芸の偉人を輩出している名誉を山や川の悠久なスケール感に重ねて歌います。
日本古事記から現代(当時の時事)にまたがる対比がタフで勤勉な県民性を象徴する ~信濃の国 6番の歌詞~
“吾妻はやとし日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓井山 穿つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道 みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い”(『信濃の国』6番より、作詞:浅井洌)
元の曲調をとりもどして最後となる6番の歌詞ではヤマトタケルノミコトと碓井山にまつわる伝説を挙げます。かたやこの唱歌が提唱された当時の「当時性(時事)」ともいえたであろうか、信越線の機関車の通り道として掘られた26のトンネルをすかさず対比させます。太古のこの国(この地域)の神話……日本書紀や古事記と、19世紀末期の時事の対比によって、信濃の国のまっしぐらで悠久な歴史の延長上に現代にわたり繁茂をつづける生命力、機関車のような底力の強さ・タフネスを思わせる妙があります。
廃線ウォーク>信越本線の歴史(Webページ)が信越本線について、横川~軽井沢間の11.2kmが1893(明治26)年に開通、そしてこの区間にくだんの26のトンネルがあると説明します。とにかく急こう配で険しい区間なんだそう。上記の11.2kmの区間の工期が1年半だったとも説明していますが、まっしぐらな努力で確かな成果をあげる仕事ぶりと信濃の国が要する働き手たちの気風を、当地の鉄道の歴史や古事記の描写によって強く裏付けるのがこの6番の歌詞の味わいでしょう。線路の観念とたゆまぬ努力をひもづけます。
昔の人たちの努力のうえに成立する、今この瞬間を生きる私たちの確かな強み。盤石で安心な後ろ盾があるんだからあなたは振り返らずにまっしぐらに機関車みたく己の人生を駆け抜けなさない!と励まされる気分がして、じわじわと感動がこみ上げてくる『信濃の国』の歌詞が尊いです。
後記 戦の士気のための団結なのか、地域の平和を志す賛辞なのか
“当時は教育の場にも日清戦争の影響が及んでおり、これを心配した同会が戦争とは離れたテーマを教材とすることを目的に長野師範学校の教諭に作成を依頼したもので、「地理歴史唱歌」6作品の中の1つでした。” 長野県ホームページにおいては『信濃の国』は上記のように説明されていますが、
“本来の地理唱歌という枠を超えて、地域全体の共同体意識を喚起する歌として歌い継がれてきた。時代はまさに日清戦争・日露戦争の狭間の時期にあり、国家主義的地域ナショナリズムを鼓舞する目的も存在した” Wikipediaページには上記のような説明が書かれてもいます。
長野県ホームページが説明する『信濃の国』のアイデンティティとWikipegiaが語る『信濃の国』のいち側面には、歌に期待する機能面において一見相容れない(矛盾した)方向性が存在するようにも思えます。
戦争に勝ちにいく団結を煽るのか、あるいは戦争の匂いを嫌い、地理や郷土の豊かさ・歴史に目を向けることで平和を志すのかは、まるで方向性が違うと私には思えます。
このように歌の解釈あるいは歌が発揮する機能においても多面性があるのが『信濃の国』の特異な……まるで長野県のような“広さ”に通じているのでしょう。人間はつくづく、ひとつの(あるいは多様な)事実を個人各々の都合のよいようにまるで異なる解釈をほどこしうる……との皮肉・風刺さえ私は見出してしまいます。長野の歴史や地域資源は豊かで実り多く、美しい。その事実をふまえて、何を志すのかについては、ひたすらに平和と多様性の共存であってほしいと私は思います。
青沼詩郎
PE’Zのカバー(2013年『故郷のジャズ』収録)がある
PE’Z『故郷のジャズ』(2013)。原曲を丹念に模写したカバーか? と思いきや、いやまさか。ホーンとガピガピと狂い咲くエレキギターが吠えまくり、3分で済みます。原曲はフルで6分半近くとおそろしく長い。それもまた粘りづよい県民性のあらわれでしょうか(:D)