演奏した思い出
斉藤和義『歌うたいのバラッド』を結婚式で歌ったことがある。
誰の結婚式かというと、当時付き合っていた女性のお姉さん。
私とその女性は付き合いがとても長いとか、もう婚約しているとかいうわけでもなかったけれど、招待してもらって、演奏と歌唱までしたのだ。しかも、私の席は親族席だった。あらゆる招待客の、どのカテゴリからも外れた存在だったのだろう。新婦の妹の「ご友人」という扱いだった。「恋人」「彼氏(彼女)」とかいう肩書きはないみたいだ。婚約でもしていない限りは、「友人」なのだ。事実婚とかの場合どうなるのだろう。
話がそれた。つまり、私の恋人のお姉さんの披露宴で私は斉藤和義の『歌うたいのバラッド』を歌ったのである。私の恋人だった女性、つまり新婦の妹さんはフルート奏者だったので、フルートパートを私が編曲して譜面にして渡して一緒に演奏した。今よりもだいぶ下手だったと思うけど、私は「友人」にしてはよくやったのではないか。同時に、よくそのような機会をくださったとも思う(その節はお世話になりました)。ちなみにそのときの恋人だった女性は、現在私の妻。お世話になり続けている。
愛のいろいろ
愛は、一瞬の感情の高まりだ。
…と言ったら、「それは違う」と言われそうだ。
現に、私の中の私の人格も反論を唱えている。
愛は、結果的に継続している関係、事実の積み重ねにともなうものだ…
と言っても、まだ言い切れない。言い切れないから愛なんだ。
それでも言い切れた気がしない。
愛はいろいろで、さまざまで、かくかくしかじかだ。
“短いから聞いておくれ 「愛してる」”(斉藤和義『歌うたいのバラッド』歌詞より引用、作詞・作曲 斉藤和義、1997年)
そう、「短い」。それを表現したできごとは、一瞬で去ってしまうかもしれない。
それもまた、愛の一面と思う。
もちろん、時間的な幅にまたがる、広く、長く確認できるかたちをした「愛」だってあると思うけれど。
2本のギター
斉藤和義といえば、曲も歌詞もいいのは置いておいて、ギターだ。
この『歌うたいのバラッド』にもギターがふんだんにつかわれている。
アコースティック・ギターのコードストローク。
サビで歪んだトーンのエレクトリック・ギターのバッキング。
クリーントーンのアルペジオのエレクトリック・ギターも大サビ後のサビで聴こえてくる。
そしてスライド奏法(ボトルネック奏法?)を用いたリードトーン。
まったくおなじフレーズを重ねて、「ダブリング」の効果を出しているのだけれど、これが、エンディングで途中からパートがわかれる。6分台前半くらい〜の部分だ。
一本は、主音(レ)にとどまってずっとその音を鳴らしている。
もう一本が、ユニゾンを離れて自由に動きだすのだ。
ここに私は感動してしまった。
愛は、ずっと「同じ」じゃない。
ずっと「同じでいること」でもない。
ときに、ちがったことをしながら、ちがった場所にいながら、それでも同時に世界に存在する両者の関係。
2本のギターのアレンジから、そんなことを想像したら私は涙腺にキてしまった。
愛は、別れを含んで愛なのかもしれない。
青沼詩郎
『歌うたいのバラッド』を収録した斉藤和義のアルバム『歌うたい15 SINGLES BEST 1993~2007』(2008)
『歌うたいのバラッド』を収録した斉藤和義のアルバム『Because』(1997)