エンピツが一本 坂本九 曲の名義、発表についての概要

作詞・作曲:浜口庫之助。坂本九のシングル(1967)。1967年10月〜11月に『みんなのうた』で放送。

坂本九 エンピツが一本を聴く

クリスピーなエレキギターが九ちゃんの歌唱を祝福します。ハネたかろやかなリズムで表拍がころがり、裏拍がはねます。チッチッチッチ…ハイハットが軽い。

グロッケンが頭頂部をきらりとかがやかせます。とがったり、筆記してまるくなったりしたエンピツの先端を思わせます。フルートのオブリガードがかるい気持ちをあらわすようにオブリガード。みずみずし風が通り抜けるようにストリングスが幅のある帯をこすったような…横に寝かせたクレヨンで青空の水色を引いたみたいなサウンド。これらを背中にひきつれて、九ちゃん(愛称で失礼)の唄声がかるく子音をはずませ息吹をあたえます。グロッケンとフルートの上行音形がぴたりと重なるエンディングが潔白。

歌詞を味わう 心象を描く普遍的な道具

“鉛筆が一本 鉛筆が一本 僕のポケットに 鉛筆が一本 鉛筆が一本 僕のこころに 青い空をかくときも 真赤な夕焼 かくときも 黒い頭のとんがった 鉛筆が一本だけ”(『エンピツが一本』より、作詞:浜口庫之助)

最初はとんがっているのです。景色に出会う新鮮な気持ち、無垢な、まだ何の線もひきはじめていないエンピツはトガっている。そんな書初めを感じさせる一番は青や赤といった、空がみせる対比の利いた色彩を描きます。黒一色の鉛筆であっても、どこまで色を表現できるか? 挑戦です。

“鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のポケットに 鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のこころに 明日の夢をかくときも 昨日の思い出 かくときも 黒い頭のまるまった 鉛筆が一本だけ”(『エンピツが一本』より、作詞:浜口庫之助)

夢を描くときにはまだとんがっていたかもしれない鉛筆も、思い出を描きはじめる頃にはカドが、先端が丸まってくることでしょう。僕の心の指先を表現した一番であらば、二番は君の心の表現ツールにもなりうるのを代名詞の置き換えで表現します。

“鉛筆が一本 鉛筆が一本 僕のポケットに 鉛筆が一本 鉛筆が一本 僕のこころに 小川の水の行く末も 風と木の葉のささやきも 黒い頭のちびた 鉛筆が一本だけ”(『エンピツが一本』より、作詞:浜口庫之助)

空の色彩の対比、それから思い出や夢といった広く自由な観念を1~2番で描き、3番では小川や木の葉といったあなたの近くにあるかもしれない具体物の風景を描きます。空の偉大な色彩を、夢や思い出を、たらふく描きつづけてきた鉛筆はこの頃にはちびてくる(短くなってくる)。表現の達人が至る、森の隠れ家や別荘のような心象を想起します。

“鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のポケットに 鉛筆が一本 鉛筆が一本 君のこころに 夏の海辺の約束も も一度逢えない 淋しさも 黒い頭の悲しい 鉛筆が一本だけ”(『エンピツが一本』より、作詞:浜口庫之助)

どの季節の歌であってもよいですが夏と特記する四番。心のなかの夏。逢えた、約束が果たせた夏をもう一度と所望するか、あるいは果たされなかった約束への際限のない後悔まじりの回顧を反芻する心のなかでだけ繰り返す夏の海辺でしょうか。淋しさ、と具体的な感情を書くことで、「黒い頭」が鉛筆ではなく主体の頭頂部そのものの直喩のような印象をもたらします。鉛筆は思想心情の表現の道具であったはずですが、客観した主体の投影先そのものであった、という言葉(詞)の手品の種が明かされるよう。すり減って短くなっていくのは表現者の余命です。このちびていく一方の鉛筆で、あとどれだけの太陽と地平の色を描けるんだろう。あなたとの思い出を残せるんだろう。家の前の何気ない風景を書きとどめられるんだろう。童心の自由な想像から人生哲学、翳っていく命のせつなさまで薫ります。鉛筆が
誰でも一度は握るであろうありふれた一般的なモチーフであるのも本曲の優れた着眼点でしょう。

情報を残したり伝達したりする道具はもっぱらスマホやパソコンばかり。庶務・事務・雑事に使うにしてもせいぜいボールペン。久しぶりに鉛筆を握り、心の原風景の扉を叩いたら誰が出る? どんな景色が広がる? 鉛筆の周囲には思考がついてまわります。

個人の肉体あるいは精神そのものもまた人生を描く道具:鉛筆です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>浜口庫之助坂本九

参考歌詞掲載サイト>えんぴつが一本

坂本九音楽事務所 公式サイトへのリンク

『エンピツが一本』を収録した『坂本 九 ベスト~心の瞳』(2017)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『エンピツが一本(坂本九の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)