新沢としひこ(詞)・中川ひろたか(曲)が作った、童謡として有名な歌『にじ』(1990)を聴いていたとき。
これの歌詞に、「くしゃみをひとつ」というフレーズが出てくる。
どこかで出会ったことがあるなぁ、この句。
ちょっと記憶をさぐる。すぐ思い出した。細野晴臣『冬越え』だ。
細野晴臣 冬越え
『冬越え』は細野晴臣のアルバム『HOSONO HOUSE』(1973)に収録されている。
1972年6月に細野晴臣は白金台の実家を出て、狭山のアメリカ村に移住。翌年の2〜3月に、そこでホーム・レコーディングされたのが『HOSONO HOUSE』。
彼の住んだ建物はいわゆる米軍ハウス。建て付けの悪さなのか、窓からのすきま風がとても寒かったらしい。彼は石油ストーブで冬を乗り越えた。毎日給油と掃除をしたという。夏に移り住んで、そこで冬を経験。新年を迎え、2〜3月にこのアルバムのレコーディング。録音に入る直前の冬の体験がこの曲の発想元になったんだろうか。
歌詞のおかしみ
そんな細野晴臣の歴史を小さくでも踏まえて鑑賞すると、とっても可笑しくて素敵な歌詞。
白金台から狭山に移り住んだ流れを思うと、
“今では僕は田舎者 毎朝ニワトリコケコッコー”(『冬越え』より、作詞・作曲:細野晴臣)
が可笑しい。
狭山のアメリカ村にはミュージシャンや表現者、ものをつくるテの人が同時期にたくさん住んだという。バンド「エイプリル・フール」を細野晴臣と一緒に組んでいた小坂忠に至っては、細野晴臣のおとなりさんだったそうだ。
それを踏まえて
“来ては去る人の影 行き交うお茶と情 ひとさじのザラメ 紅茶と人の絆”(『冬越え』より、作詞・作曲:細野晴臣)
という歌詞。日々、近所の人そのほかが内外からやってきては交流した光景を想像する。米軍ハウスは建物のまわりに塀などがなく、行き来がしやすい。とても開放的な雰囲気なのだという。
また、クリスマスには住人の米軍関係の家族が細野宅のドアをノック。アコーディオンの伴奏でその場で賛美歌を披露し、細野にポインセチアを贈ったという。
(参考:門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』、Wikipedia)
そんな暮らしで音楽をやりつつも、とにかくひたすらに寒かったのだろう。その感慨が
“クシャミをひとつ クシャミをひとつ ただクシャミをひとつ”(『冬越え』より、作詞・作曲:細野晴臣)
というフレーズに込められているのではないか。
からだの感覚、その認知。暮らしの風景。それらが精細に私に下りてくる。感慨は「寒さ」に由来するのだとしても、人の交わりに生まれる摩擦は温かい。そんなことを思わせる、すてきな音楽。
青沼詩郎
『冬越え』を収録した細野晴臣のアルバム『HOSONO HOUSE』(1973)
『細野晴臣と彼らの時代』著:門間雄介
ご笑覧ください 拙カバー
青沼詩郎Facebookより
“『HOSONO HOUSE』(1973)収録『冬越え』。
“クシャミをひとつ”というフレーズの存在感よ。
コードもつかみどころのない感じでうろうろしてはⅣを経由してⅠに帰る。ドミナントを経由してⅠに帰る部分は当の“クシャミをひとつ”に入るときくらいのみ。このフレーズを反復するときに、半音でぶつかった8分音符のストロークが下行する。これがまるで小さな象が笑ってる声みたいに聞こえる。ホーンアレンジは細野晴臣にレコーディングエンジニアの吉野金次が加わっているそう。間奏は大所帯の楽団っぽくご機嫌。奇数小節も。引き算も足し算も効いた楽しい曲なんだけど、とにかく最後には“クシャミをひとつ”というフレーズがぜんぶ印象を持っていってしまう。憧れのフレーズ。こんな詞を書きたい。”
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