写真を撮ることについて忘れてしまったとりとめのないこと

昔知り合いになって友達になった人に、「20代のうちに死にたい」みたいなことを言う人がいました。私より2歳くらい上の友達なので、私やその人が20代だったのはもう8年とか10年とかそのくらい前(この記事の執筆時:2024年)になります。めっきりその友達には近年、会っていません。元気にしてるかな。

冒頭で述べた、その友達の当時の言葉の意図を推察するに、「綺麗なうちに自分の更新を止めたい」というような意味合いだったのではないかと想像します。その人は女性でした。

10代か20代前半くらいまでの若い人がそういうことを言うのは、確かにわからんでもない気もしますが、平静に考えて、容姿(あるいは肉体)の若さが自分から遠ざかっていっても、生きる価値はいっぱいあるのになと思うのが私の感慨です。たぶん、ずっと前にその言葉を彼女から聞いたときもそんな風に私は思ったんじゃないかなと想像しますが昔話なので当時の自分がどう思ったのか忘れました。彼女の言葉の真意がどういうものだったのかも、もっと他にあるのかもしれません。

ところでカメラは、人間の姿を記録しておく道具の最たるものでしょう。写真ですね。昔は紙での出力が主流でしたが、今は利用の段階でも圧倒的にデータになってしまいました。スマホで撮ってネットに上げるのに使うばかりです。

暗室で「現像する」みたいな行為はめっきり減ったはずです。プリンターから画像データを紙に印刷したものがガーっと吐き出されるのが私の中での「写真」のイメージの強勢になってしまいました。かつて私の母校の高校に写真部の部室があったので、「現像」するイメージもわずかながら記憶の端にあります。友人が写真部に所属していただけなので、私自身は「現像」をやったことがないのですが……。

カメラでフィルムに光景をやきつけて、それを写真専用の紙に「現像」するのですね(←※これが大間違い)。暗い部屋で赤色光を頼りに、なにやら液体に紙を浸すイメージです……合ってます?

「現像」は写真となる紙に画像をうつすプロセスではないそうです。私は勘違いしていました(参考リンク)。

「現像」の作業は現代ではかなり趣味的、あるいはたいへん専門性の高い行為に思えます。いつかやってみたいですね。どんな環境や物を揃えたらできるのかな。どこへ行ったらできる? 写真について無知すぎる私です。

スマホの画面に人が映り込むのはもはやなんとも思わなくなってしまいました。カメラのレンズを通った光景が人間の手間暇を経てフィルムや写真用紙を介して時間差で再現されるのはなんだか想いがようやく通じるみたいでロマンがあります。

いまのキミはピカピカに光って 曲についての概要など

作詞:糸井重里、作曲・編曲:鈴木慶一。斉藤哲夫のシングル、アルバム『PIKAPIKA』(1980)に収録。ミノルタ(コニカミノルタ)CMソング。

いまのキミはピカピカに光ってを聴く

斉藤哲夫さんの、言葉のはしばしを微妙にポルタメントさせるような歌唱が印象的です。適確な歌唱ですが、「綺麗」というよりは味、愛嬌がある、声のキャラの立った稀有な歌い手であるのを思います。フォークシンガーというイメージが私の中にありますが、1980年代くらいはこういうソロ歌手っぽい活躍をなさった時期もあるのかもしれません。『いまのキミはピカピカに光って』の作詞作曲は作家が別にいますが、斉藤哲夫さんのつくる歌が私はとても好きです。

サウンドの分離がすごいです。ひとつひとつのパートの輪郭が、ギュっと引き締まっている印象です。このサウンドの印象も、1980年代の幕開けを思わせます。いや、もっと前からそうだったのかもしれないけれど。

「右、左、正面」がはっきりしていて、斜め前があんまりない感じですね。そこにボーカルの残響感がふわっと漂う印象です。中途半端な「ななめ前」の定位は控えて、右、左、正面をはっきりさせる作り方って結構商業音楽の世界では定石だったのかもしれません。

タイトなドラムス、タツっと短いスネアが特徴的です。ベースもあわせて、太いというよりはとにかく引き締まっている。ストイックに思える程です。オルガンや伸びやかなリードトーンのギターがピーっと線を引っ張ったり、リズムギターがダウンストロークを押し出したりしますが、いずれもやっぱり輪郭がシュっとしています。

シンセだかの人工的で個性的なトーンが合いの手のように隙間に漂うのが、なんとも鈴木慶一さんを感じるところです。ムーンライダーズのサウンドを思い出します。この独特の人工的なトーンと生演奏と、メロディの人懐っこさや愛嬌、あるいは一筋縄ではいかないひねり方やフック感の融合が鈴木慶一さんらしさを私が感じるところです。

作詞が糸井重里さんですね。沢田研二さん『TOKIO』など有名です。言葉をつかって「そのものらしさ」をユーザーにとどける仕事として、コピーライターみたいな職は作詞にも向くかのようにも一見おもえますが、日々いろんな歌もの音楽を聴いておりますと、案外そういう「コピーライター畑を経験している人」は、作詞の畑においては俄然少数派であるのに気づくこの頃です。いるにはいますが、決して多くはない。糸井重里さんの作詞曲はほかに矢野顕子さんの『春先小紅』など思い出します。いずれも、仕上がる作品が特異なほどにユニークです。「歌もの音楽」みたいな集合に呑み込まれることのない引っかかりを持っています。「表現」のところで私の最も尊敬するうちの一人が糸井重里さんです。

“ナインティーン?たぶん19の輝きざかり エイティーン?もしや18はねざかり トゥエンティ?ひょっと20の花ざかり ナインティーン エイティーン トゥエンティ”

(『いまのキミはピカピカに光って』より、作詞:糸井重里)

キミを観察して年齢を推しはかっている主人公の胸のうちを描いているようです。キミの魅力にわくわくしたりときめいたりして、はしゃぐ気持ちを抑えているのか抑えられていないのか、「いくつ(何歳)かな」……と興味と好奇心がダバダバと阿波踊りしているような躍動感を覚えます。ああ、いそがし。

青沼詩郎

参考Wikipedia>いまのキミはピカピカに光って

斉藤哲夫 Official Home Pageへのリンク

参考歌詞サイト 歌ネット>いまのキミはピカピカに光って

斉藤哲夫のシングル『いまのキミはピカピカに光って』(1980)。宮崎美子さんが被写体のジャケットの光加減が絶妙です。一瞬、誰のシングル?……となる気分。

『いまのキミはピカピカに光って』を収録した『プラチナムベスト 斉藤哲夫 ライフタイム・コレクション』(2015)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『いまのキミはピカピカに光って(斉藤哲夫の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)