奥深き受容の世界

心の中では違う意見を持っていても、相手を尊重するがゆえ、「オッケーだ」「わかりました」と答えることがあると思います。

相手への尊重なのです。こちらの心の中では、反論を持っていることもあります。でも、あえてそれをしないのです。相手の意思を尊重して、相手の主張なり意見なりを、受け入れてあげる。「オッケー」だと。

「受け入れてあげる」というと上から目線みたいですがその意図はありません。こちらも、こちらの意思は他者に受け入れてもらえたほうがうれしいのです。

「やってみる」ことが重要です。

子供は、自分がうれしくてかきあつめた知識を宝物のように思っているところがあるのではないかと思います。子供といっても、中学生や高校生、あるいは大学生、あるいは大人でも一生そうかもしれません。その人が、「いまはこれが一番だ!」「最高だ!」と思った通りにやって、実際にやってみてどんな問題や支障が生じてくるかを実体験として見知って、学ぶのです。つまり、その学びを含めて「オーケイ!」になるのですね。

その人の意思が上を向いて、嬉々としてひた走り出そうとしているとき、他者が「それをするならもっとこうするといいよ」「きみのやろうとしているやりかたにはこの視点が欠けているよ」などとマウンティングをしたり、頼まれてもいない監督職やディレクター職やプロデューサー職に勝手に就いてはいけません。主体だったはずの子は、みるみるつまらなくなって、そっぽを向き出すことうけあいです。

相手を観察していて「(このまま走ったら、きっとこうなるだろうな)」と思っても胸にしまい、「オーケイ! やってみせて」とうなずく。これも、愛や尊敬の一種なのではないかとおもいます。

もちろん、相手の視点の欠如ややり方の欠陥を容認したり黙認したりすることで、とりかえしのつかない致命的な悲劇を招くとか、挽回し難い損失を招くとかしそうな見通しがあまりにも濃厚なのでしたら、それを全力で止めたり、方向修正を提案したりすることこそ、周囲の親しい人の真の役割であり、それこそまた愛や尊敬の最たるものであるとも思います。

「オーケイ!」って、単純なようで奥深いですね。

Okay! 曲についての概要など

作詞・作曲:Ken Howard・Alan Blaikley。Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich(デイヴ・ディー・グループ)のシングル(1967)。

Okay! Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tichを聴く

ドチャドチャしたグルーヴ感がたまりません。そしてエスニックな楽器の響きのたまもの。なんなのでしょう、この魑魅魍魎有象無象ある感じ。

声のサウンドはビーチボーイズみたいです。爽やかな響きがあるのです。

でもこの、アコーディオンみたいな鍵盤ハーモニカみたいなのなんなの。3分割した張り付くようなジットリしたイヤらしいモチーフなんなのー!ボーカルもなんか一緒になって3分割のスキャットみたいなのやっていますね。

右側にエレキギター、ベース、ドラムなんかが寄っていて、左側にピアノ、リード類(アコーディオンだか)、謎の複弦系の竿物?。正面にボーカル類。定位づけは結構はっきりさせていつつも、それぞれ左右でドッチャリしています。なんだか可笑しみなのです。

複弦っぽいサウンドはマンドリンのデカいお化けみたいな感じもすのですが、なんの楽器なのかわかりません。ふいご系リード楽器のサウンドとあわさって、おどろおどろしい。昭和のホラー漫画のオープニングみたいな感じもします。サウンドのおかしみが、『Okay!』というシンプルなメッセージとまるでちぐはぐ。失恋で精神分裂しちゃったのでしょうか。すごくおかしみがあって味があります。好きなサウンドです。

オーケイ! ザ・カーナビーツを聴く

サウンドがいくぶんすっきりしています。どこに何の楽器があるのかわかりやすい。パート編成がGSバンドに最適化された感じのアレンジです。でも声などが結構重なってきて、ニギヤカな様相もあります。原曲も高めに思えますが、さらにキーをちょっと上げているでしょうか。

間奏でなんだかハイ!ハイ!と合いの手を入れ出しますし、叫んでいる人がいますし、なんなのでしょう。動物園かよと思います。ザ・ダイナマイツの『真夏の夜の動物園』を思い出しますね。

“たとえ太陽が 二度と出なくても OK 君がいれば OK 愛があれば OK 何もいらない”

(ザ・カーナビーツ『オーケイ!』より、作詞:星加ルミ子)

さすがに笑ってしまいました。さすがに太陽は出ないと人類、いえ、地球規模でヤバい。世界の終わりです。オーケイ!じゃないでしょ! というツッコミは胸にしまって「……っ、うん、オ、オーケイ!」といってあげるべきでしょうか。あるいは全力で止めるべき場合でしょうか。

それくらいの愛を歌っている、という表現ですよね。太陽が出なくても……は、もののたとえです。でも、「本当に太陽が出なくても!」くらいの重苦しい質量感はありません。ツッコませるところがB級グルメみたいに楽しめるグループ・サウンズの魅力のひとつだと思います。

ツッコミどころをつくるのは、アルバム曲ならなおさら理解と受容がたやすいですが、これ、ザ・カーナビーツとしてはシングル曲でもあるのですね。良い時代です。もちろん、現代であっても表現者は自由にやったらいいと思いますが。

青沼詩郎

参考Wikipedia>デイヴ・ディー・グループ

参考Wikipedia(en)>Okay! (song)

参考Wikipedia>オーケイ!

歌詞とその翻訳の参考サイト 名久井翔太の音楽文章ラジオ>Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick and Tich – Okay 曲中、主人公と君以外の第三者……「彼」の登場で主人公の恋はただの幸せ物語でなくなるのがよく伝わってきます。思えば、楽曲の演奏、歌唱、サウンドが「元気すぎ」ます。失恋の「やぶれかぶれ」の表現だと解釈すると腑に落ちます。短調のニオイの強い、独特のスパイシーさ漂う響きは、精神が失恋の痛みで分裂してしまうみたいな感情の表現だったりして。

『Okay!』を収録した『The Legend of Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich』(2002)

『オーケイ!』を収録したザ・カーナビーツの『コンプリート・シングルズ』(1999)

『オーケイ!』を収録した『ファースト・アルバム&モア』(オリジナル発売年:1968)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Okay!(Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tichの曲)ピアノ弾き語り』)