橋幸夫・吉永小百合のシングル曲(1962)。作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正。

楽曲の映画化

この曲をもとに作られた映画が翌1963年に公開されています。楽曲の映画化はこのブログで取り上げたことのあるものでいうと『夜明けのうた』『サヨナラCOLOR』が思い浮かびますが、世の中にかなりの数あるような気がします。この共通点で作品を巡ってみるのも面白いかもしれません。

映画を作らせてしまうほどに作り手の意欲を刺激する楽曲だという場合と、すでに人気のある俳優や歌手のヒット曲との相乗効果を利用してさらなる商業的な成功を重ねようと狙う場合(あるいはこれから人気者にしたい新人・無名の人を押し出す場合)ほかが考えられます。

1960年代はどんな気風だったのか……そのにおいや肌ざわりはどんなものだったのでしょう。生活の中で、みんなが同じテレビ番組を見て、同じ歌手の同じ曲を聴き、国民の多くが知る「人気者」「有名人」がいたはずです。

そういう状況において、ある曲がヒットした場合、「これで映画をやれば同じように売れる」と確信するのは自然な流れに思えます。その確信に従って、制作そして公開に至るのはもはや慣性の法則?! ……は言い過ぎでしょうか。

私は『いつでも夢を』が映画になった経緯を知る当事者ですらありません。この曲の実際の背景を語るには不適合者です。単に「いろんな経緯で作品(音楽)が作品(映画)を生むこともありそうだよね」という想像をお話ししたまでです。

曲について

歌の音域

デュエット曲です。男声と女声が、同じ音名をオクターブ違いで歌います。1番ヒラウタを男声、2番ヒラウタを女声、各コーラス(サビ)は男女一緒に歌います。

歌い手に必要な音域は1オクターブ+5度。Cメージャー調だったとしたら、ラ〜1オクターブ上のラを越えてミまで出てきます(オリジナルと思われる音源で橋幸夫・吉永小百合が歌うのはBメージャー調。音域はソ♯〜およそ1オクターブ半上のレ♯)。

男声と女声の間で、ある曲をそれぞれ歌いやすい音域に調(キー、高さ)を移す場合、ざっくり5度の移調を基準にすると無難です。たとえば女声の曲を男声で歌うなら5度下げる、男声の曲を女声で歌うなら5度上げる、といった具合です。もちろん曲によりますし、歌い手によります。

デュエットソングの音域考

話を戻しますが、『いつでも夢を』は男女がオクターブ違いで歌います。でも前段でお話ししたように、男女の声域の違いは(メッチャ乱暴に言うと)ざっくり5度。

つまりです。デュエットにおいてオクターブ違いで歌うというのは、両者の妥協点なのです。具体的に申しますと、男声はわりと低い音域を要求され、女声はわりと高い音域を要求される……と私は考えます(クラシック・ヴォイスだとちょっと事情は別かもしれませんが)。

これがもし、

・歌メロの音域が1オクターブくらいにおさまっている

・男女の歌メロが全てにわたってオクターブ違いのユニゾンではなく、要所でハモりになる(違う音程を歌う)

といった条件だったら違ったかもしれません。そこまで広い声域がなくても、より安定した響きを全編にわたって得やすいのではないでしょうか。

『いつでも夢を』は、歌メロに細かい割り付けの音符が登場しません。ゆえに、旋律の動きを滑らかにつなぎやすい(レガートで歌いやすい)。変化を出す方法を細かいリズム割りに求めないかわりに、弓なり・山なりのメロディラインのカーブの雄大さ・優美さを、広めの音域にわたって展開することで音楽の豊かさを得ています。

ですから、この歌の音域を1オクターブに収めて、なおかつ細かいリズムの割り付けを制限して旋律を書いた場合、ちょっとつまらなくなってしまうかもしれません。もちろん音楽の可能性はいつも私の想像を凌駕しますから、工夫と発想次第でどうにでもなるとも思います。

男声・女声が完全にオクターブ違いのユニゾンというのは、歌の覚えやすさの面で抜群です。もし、この曲を違う音程のハーモニーを含んだデュエットソングにしてしまっていたら、ハードルがあがってしまって、ここまで親しまれていなかった可能性もあるのでは? と私は思います。

オトコもオンナも分類がむずかしい存在もそれ以外も、それぞれが個性的で別々の存在であるけれど、それでも協調して、誰もが夢を持って生きていける……かどうかは定かでありませんが、『いつでも夢を』は理想を表現しています。夢がありますし、夢をかたちにした作品です。

当時の世の中、多くの人がきっとテレビを見たでしょう。大衆が愛着を寄せるキャラクターたる橋幸夫・吉永小百合を通して、美しい理想の歌にたくさんの人が触れ、楽しみを共有したのではないでしょうか。主役の二人以外にコーラス(複数の歌い手による重唱)が含まれているのが大衆の鏡に思えます。

吉田拓郎のアルバム『こんにちわ』(2001)収録のカバー

男女混声のハーモニックなアカペラ(参考:Wikipedia)のイントロから4つ打ちビート調。パカパカと馬が駆けるような軽快な16分リズムはラテンパーカス、ボンゴでしょうか? ダンス音楽を取りいれたポップソングのマナーといわんばかりに、安定した恒久なビートの上でハーモニーや音数・音の質量を移ろわせていきます。吉田拓郎なりの、柔軟に時代相応のスタイル……形式、マナー、おきまり、流行りをおさえる柔軟で大きい器量を思います。

山口百恵『夢先案内人』……『いつでも夢を』へのアンサーソングか

ボーカルメロディの歌い出しのモチーフがそっくりです。こちらは山口百恵の1977年のシングル曲、作詞は阿木燿子、作曲は宇崎竜童。

曲名に含まれ、主たるテーマかつモチーフとして扱われる“夢”。間違いなく、先駆ける名曲たる『いつでも夢を』を意識したアンサーソングと思えます。ビート、曲調やサウンドの質感、歌唱のやわらかさなど、丁寧に真似て取り入れ、敬意を払っているのを感じます。山口百恵ならば、国民的な象徴が1962年に放った傑作に応答する新しい時代の象徴として相応しい存在であったであろうことを想像します。

吉田拓郎のカバーにも感じましたが、ラテンパーカスが軽快なリズムを添えます。バックグラウンドボーカルのハーモニー、伸びやかでクリーンなのにあたたかみのあるエレクトリックギターのトーンと相まって、リゾートチックな“夢”の質感が出ていて素敵です。いついかなる時代・環境においても、ヒトは夢を見たいのかもしれません。

青沼詩郎

『いつでも夢を』を収録した『吉永小百合ヒットソング集』(1962)

『いつでも夢を』を収録した『吉永小百合よみがえる歌声~この道は長いけど 歩きながらゆこう~』(2011)。東日本大震災の支援を目的とした企画盤。

原由子のカバー集『東京ダムレ』(2002)に原由子が桑田佳祐とともに歌った『いつでも夢を』が収録されています。キーはAメージャー調(橋幸夫・吉永小百合よりちょっと低め)。原由子の個性ある鼻腔〜口腔付近の響き?、桑田佳祐のお腹〜胸に響く声の協和が堪能できます。間奏で聴こえるせりふは「ひかちゃん」「かっちゃん」でしょうか。映画『いつでも夢を』の登場人物「ひかる」と「勝利」を再現した遊びなのかもしれません。

ご笑覧ください 拙演