友達がこんなのあるよと教えてくれた。SUPER BUTTER DOGの『サヨナラCOLOR』という曲なのだけれど、忌野清志郎と一緒にやっている。
この曲はSUPER BUTTER DOGの2001年のシングル、アルバム『grooblue』に収録されている。
楽曲と同名タイトルの竹中直人監督『サヨナラCOLOR』(2005年)という映画がある。
SUPER BUTTER DOGの『サヨナラCOLOR』から構想がはじまったもの。
ミュージシャンの多い、普通ありえないような顔ぶれの出演者。その中の一人に、忌野清志郎。竹中直人の人脈か。SUPER BUTTER DOG『サヨナラCOLOR』が竹中直人を動かしたのならば、竹中直人もまた人を動かした。多くの個性的な人たちを含んだ集団を、お金や労力、あるいは形のわかりづらいもろもろのエネルギーで。
歌のことば
『サヨナラCOLOR』は、「すでに何かのプロセスを共有している集団」に響くメッセージを有しているように思える。
“そこから旅立つことは とても力がいるよ 波風たてられること きらう人ばかりで”(『サヨナラCOLOR』より、作詞・作曲:永積タカシ)
どこかへ向けて発つことには抵抗(波風たつことをきらう人たち)がある。それを打ち破るためのエネルギーがないと、やり込められて負けてしまう。
“でも君はそれでいいの? 楽がしたかっただけなの? 僕をだましてもいいけど 自分はもうだまさないで” (『サヨナラCOLOR』より、作詞・作曲:永積タカシ)
さも、語りかけられているその人が何かを願っていること、そのために行動を起こしたいと思っていること、このままでい続けるのは自分のそうした思いをないがしろにしてしまいかねないこと、それらを全部見透かしているかのような言葉に思える。
“サヨナラからはじまることがたくさんあるんだよ 本当のことが見えてるなら その思いを僕に見せて”(『サヨナラCOLOR』より、作詞・作曲:永積タカシ)
現状を変えることは、現状との別れ。自分の身の周りの環境を変えるのが難しいときや、それ(環境へのテコ入れ…破壊)が望ましくないとき、私はそこを経つかもしれない。それも「サヨナラ」の形のひとつ。
自分の本当の思いがわからなくて現状の流下に従うことはあるかもしれないけれど、どこか望む方向を、その対象を見据えているのに流下に甘んじては、流下する方向とそちらが違う方角にあった場合、どんどん私と「そちら」は引き離されてしまう。だから、旅立つ力で、私はここを破壊することなく、静かに出て行くべきなのかもしれない。それを「僕に見せて」と言っている「僕」って、本当は「自分自身」なんじゃないか? これは、自分の意志の歌なのじゃないか。
私のことは私、あなたのことはあなた、永積タカシのことは永積タカシにしかわからない。竹中直人のことは竹中直人にしか、忌野清志郎のことは忌野清志郎にしか…。
この歌が、みんな違った一人ひとりに響くわけは、そうした枠(環境)のかたち、条件、個性や特徴にとらわれない語りかけをしているからなのではないか。
だから、これを受けて、具体的な舞台設定や背景、登場人物や物語、その骨子を想像することは自然なことなのかもしれない。あなたにはあなたの『サヨナラCOLOR』があるはずだ。自分が出向いた先で、かつていた方角を眺望したとき…それはどんな色でどんな模様なんだろう。
一級ソラミミスト?
「サヨナラから」⇔「サヨナラCOLOR」とした発想に私が気付いたその瞬間は「ははん(なるほど、うまいな)」と思った。ちなみにアルバム『grooblue』にはたとえば『日々GO GO』という曲があって、まるで「Here We Go」に聴こえる。ソングライター・永積タカシはこのテの洒落と遊び心の達人なんだと思う。
青沼詩郎
ご笑覧ください 拙カバー
“映画を作らせてしまうくらいの曲を書くというのはどんな感じなんだろう。特別な感じがするんだろうか。
なんでもかんでも最近の曲にはMVがついてるから、どの曲も小映画がついてるみたいな感じだろうか。いや、こんなことが言いたかったんじゃない。
竹中直人を動かしてしまって、同名映画を作らせてしまって、ほかにもたくさんの人を動かしてしまって、カバーもたくさんされている。
『家族の風景』と並列したくなるけどそちらはハナレグミ、こちらはSUPER BUTTER DOG。
2001年にシングルで発表、同じ年のアルバム『grooblue』にも収録。
忌野清志郎とのコラボレーション音源の配信が最近解禁されたとのこと。
映画には忌野清志郎はじめ、豪華な顔ぶれが登場するよう。普通ありえない面々。竹中直人の人脈か。未視聴なので見てみたい。”