横恋慕(よこれんぼ)という表現がありますね。「かくれんぼ」は、斯く(「かく」≒このように)+恋慕(れんぼ)という解釈も面白いかもしれません。
お茶の間へ帰れ
はっぴいえんどの“ゆでめん”が愛称のファーストアルバム収録曲。
「私は熱いお茶を飲んでる」のフレーズに何度でも戻ってきてしまいます。堂々巡り。マイナーコード、ナチュラルマイナースケールの感覚で同じ景色に延々と回帰します。カタルシスのサスペンド感が、物欲すらもカラカラに乾かして地面の凹凸を延(の)してしまう圧倒的モノクロ感。
ABメロ・サビ様式の数多のポップソングは構成に起伏がありますが、対照的に本曲の印象はまるで1コマ漫画のようです。つけいるスキがない。黒と白、墨だけで描かれた日本画のようなおそろしい切れ味があります。あるいはボトっと墨汁を大胆に無作為に垂らし散らしたような、感情の所作、理性の弁圧すら極力排除したような強いコントラストで日本の音楽史にポカンと浮かび存在が際立ちます。
作詞が先の制作方法がはっぴいえんどの諸作品の特殊性の一因でしょう。日本語のロックは成立するか云々いう議論があったといいますが、制作方法からして詞(日本語)を尊重するスタイルなのです。英語の本場の(?)ロックと同じ制作方法をとっていては英語のロックの焼き回し、劣化再生産にしかならないのもある意味当然といえますから、日本語の詞先による作曲法こそが日本語ロックを成立させる手法として然るべきものであると、はっぴいえんどを聴き直すたびに今更ながらしみじみ当然の納得感が込み上げます。本曲『かくれんぼ』にしても16分割で譜割りがなかなか細かい。詞先方式の制作でもなければなかなかこういった節回しは出てこないでしょう。詩吟や民謡のような和物的節まわしを感じます。大滝さんの歌唱の質感も独特の粘度をまとい、バンドのからからと乾いた竿物楽器やドラムのアクセントの上をとろとろと滑っていきます。
かくれんぼ はっぴいえんど 曲の名義、発表の概要
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一。はっぴいえんどのアルバム『はっぴいえんど』(1970)に収録。
はっぴいえんど かくれんぼを聴く
耳を覆うような質量のベース、ぼつっとキックドラムの輪郭が私の意識にかむさります。
右にアコギ、左にエレキ。まんなかにベースとドラムとボーカル。奥に「は、ぁあぁぁ……」とバックグラウンドのボーカル。
各楽器の定位がきっぱりしています。絶対的な個の輪郭。同一の曲を組み立てる同士であっても馴れ合いはしない、溶け合うことなく同居・共存するサラダボウルのよう。
ドラムのハイハットを触るようなダイナミクスの繊細さ、しゃべる・語彙をうかべるようなニュアンスまで解像度高く吹き込まれています。しゃわしゃわと右のアコギの響きが不気味でサイケ。
バックグラウンドボーカルの「は、ぁあああ……」というモチーフが少し遠くて残響をまとっていて「かくれんぼ」感があります。聴き手からすこし離れたところで「ほうら、こっちだ」「みつけてごらん」とでもいう鳥のごとし。
ずっとDmとGをくりかえしているみたいなコード進行です。途中で“もう何も喋らないで そう黙ってくれればいいんだ 君の言葉が聞こえないから”のところで全音上の調にいきますが、進行のパターンが全音上にずれただけで同じ紋様が繰り返されており、やはり堂々巡りの印象に同じ。ぼくらはどこへも行けないんだ、どこへでも自由に行った気になって結局は輪廻の一部なんだと私は悟ります。そのすべてがすっぽりおさまってしまう、俗世間から隔絶した熱いお茶をすする私室のポッカリ感がはっぴいえんどの存在感にそのまま重なります。楽曲とバンドにフラクタル、マトリョーシカ的構造が見出せます。
青沼詩郎
『かくれんぼ』を収録したはっぴいえんどのアルバム『はっぴいえんど』(1970)