MD。もう聴かないけど捨てられない

絶対的な音程、特に「ある調性」の響きを思い出すのに、頭の中に再生してガイドにする曲が私の中にある。

世に、「絶対音感」と「相対音感」があるといわれる。ざっくり言うが、絶対音感は比べる基準となる音がなくても、ある音程がどの固有の音程なのかを認識する音感だ。対して相対音感は、基準となる音と比べて、相対的に音程の距離(高さ)だとか関係を認識する音感…とでも言うのか。(説明が難しいな、不正確かもしれない。)

多くの人は、「絶対」と「相対」の音感を、中途半端に複合で持っていると音楽大学の講義で聞いた。おそらく私もその部類に入る。完璧な絶対音感も完璧な相対音感もない。4歳からピアノをやっている割にはそんなもんである。練習、不真面目だったもんな。(そこ問題と違うか。)とにかく平凡人な私なのだ。

で、そういうことがあって冒頭のフリにもどる。ある音のピッチ、ある調の響きというか音の高さを探すために、私は特定の曲を思い出すことがある。

で、その中でいちばん真っ先に思い浮かぶ曲が、ウルフルズの『バンザイ~好きでよかった~』。これを私はG(ソ)の音程、もしくはGメージャー調を思い出すときに頭の中で参照する。

歌い出しの“イェーイ”がG(ソ)だ。強起(フレーズが1拍目からきっかりはじまること)だから特にわかりやすい。「ソ」といえば、私の中ではこの曲なのだ。

『バンザイ~好きで良かった~』には思い出がある。高校のとき軽音楽同好会で私はバンドをやっていた。1年生のときは4人編成でバンドを組んでいて、私はギターを弾いていた。そのとき、私たちのバンドのボーカリストが恋愛していて、彼が意中の女性に向けて歌うみたいにしてライブでこの曲を一緒にやったことがあったように記憶している。曲の存在自体が、もはや「ボクら同級生」の間で鉄板のネタであり、思い出話の草なのだ。

私はウルフルズのトータス松本のボーカルが大好きで、ずっと憧れていた。パワフルでソウルフルなんて形容を、彼に対して何万人が何万回これまでに使っただろうかわからないが、その通りだと思う。

私は先程述べたように、バンドを始めた当初はギタリストであって、もともとボーカリストじゃなかった。高校で4人編成でスタートした私たちのバンドだったけれど、ボーカリストは運動部と掛け持ちの活動だった。やがてボーカリストは運動部を優先して、軽音部室(部じゃなく同好会だけど。部室の正式名称を音楽棟会議室といった。「音楽棟」のある高校だったのだ。当時はただ無感謝に恩恵を享受していた。いま思うと貴重だし、ありがたい。)を去って行った。

それから私たちは、ベース氏が同時にメインボーカルをやるスリーピースバンドになった。Hi-STANDARDのコピーをさんざんやった。それからいつしか、私もギターと同時にメインボーカルをやりはじめる。その頃くらいから、自分たちでオリジナルをつくってやるようになった。

思い出語りになってしまったけれど、『バンザイ~好きでよかった~』は私の時代往来の起爆剤なのだ。で、何が言いたかったかというと、私は音楽を他のパートで始めてあとからボーカルをやるようになった人間で、自分の歌が本当に下手だと思っていたし、自分の声にもコンプレックスがあって大嫌いだったということだ。くぐもって通らないし、音域も狭かった。それで、トータス松本のパワフルでウォームでホットでソウルフルな歌が大好きだったのだ。

ウルフルズの『かわいいひと』ほかいくつかの曲をコピーしてひとりで歌ったりもしていた。高校2年生の頃から、私は軽音楽同好会とフォークソング部をかけもちした。(ここでいう「フォークソング」の定義は主に演奏編成や形式のことでしかなく、部員たちはロックでもポップでもR&Bでも、好きに選んで歌っていた。もちろん、私や彼らの中に本質的な意味でのフォークソングへの愛がなかったとは限らない。)『バンザイ~好きでよかった~』も自分で歌ってみたけど、この頃の私は、声をちゃんと響かせられる声域がせいぜいF(ファ)かF#くらいまでだった。『バンザイ~好きでよかった~』の超重要なトーン、G(ソ)の音程の保持は私にはハードルが高かった。

軽音楽同好会やフォークソング部で刺激を受ける中で、高い声が出せるボーカリストがうらやましかった。多くの人が出せる声域が自分にはないと思っていた。繰り返すけれど、コンプレックスに思っていた。自分で自分の歌をつくるようになる動機は、そこにもあるのかもしれない。そのくせ、その後に渡って、私は自分にとって高くて苦しい音域を含む曲をさんざん作った。おかげで訓練になったし、出せる音域が広がった。あの頃よりは、程度だけど。

個性が違うのに、自分の声で無理にソウルフルぶるのが必ずしも良い表現を生むとも限らない。自分にないものだから憧れるのかもしれない。確かに声域は、広く高いところまで表現に使えると注目されやすいと思う。でも、身長が高い・低いみたいに、それを良いとか悪いとかと紐づけるのは個人を潰しかねない。誰もが、自分の声で魅力的な表現ができると思う。他人の声による他人の表現に自分をはめようとするから苦しいということが、当時の私には分かっていなかったのかもしれない。でも、ないものに憧れるからついそっちに行きたくなる。それは、今でもやりがちなモーションだ。近年の私はブルーオーシャンという言葉を覚えた。(だから何?)そう、自分だけの海を泳ぎたい。誰にとっても普遍な、ドレミファソラシで。『バンザイ~好きでよかった~』が、私にとってのG(ソ)の象徴であるように。

青沼詩郎

ウルフルズ オフィシャルサイト : ULFULS.com
https://www.ulfuls.com/

ご笑覧ください バンザイ 〜好きでよかった〜 カバー