まえがき 巨大なタグづけ

私が高校生のとき、軽音楽同好会の先輩が『ジョニー・B.グッド』を演奏していた記憶があります。それからずっとあと、大人になってから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観ました。主人公が劇中で演奏したのが前途の『ジョニー・B.グッド』。膝を地面につけて熱演した主人公のマーティンの姿が記憶に残っています(私の覚え違いでなければ)。

古い音楽にはその時代の質感が残っていて、異なる時代にそれを聴こうとするにはいくぶんその質感の違いすぎる振れ幅におののき手が伸びないということがあります。

一方で、たとえばビートルズにしても、ずっと後世にも影響をなびかせつづけるアーティストがいます。現代を生きる人と、昔に源流のある音楽との間に接点をくれる、巨大なタグをくれる機能を図ってか図らずしてか担っているといえます。

ありがたいことに、その時代のメジャーなサウンド(単に、新しく発表されるものにおける多数派、という程度の意味です)の質感と比べると振れ幅が認められる異時代のサウンドにも、数度ふれ、期間を経て触れ直しているうちに、そういった抵抗感は無為であると気づきます。いえ、ある意味、質感の差異に覚える違和感は、私の感性が「とりあえず正常に機能している」ことの証拠かもしれません。

どんなものでも、数回に渡って、いくらか一定の期間に渡って触れ直していると好きになるよ、と。ただそれだけのことをいうための前書きをお読みいただきありがとうございます。

Rock And Roll Music Chuck Berryを聴く

で、チャック・ベリーつながりで『Rock and Roll Music』です。『ジョニー・B.グッド』を期待させてすみません。そちらはまた別の機会に。

作詞・作曲:Chuck Berry。Chuck Berryのシングル(1957)、アルバム『One Dozen Berrys』(1958)に収録。

絶妙なうねりがあります。ギター・ベース・ドラム・ピアノ・ボーカルでパートはすべてだと思うのですが、このうねりの由来は各パート間のビートの分割の捉え方が異なる点にあるのでしょうか。いえ、厳密にはそこまでおおげさに異なるという感じもないのですが、個性として、もうどうにも「そうなってしまう」、遺伝子レベルでの人類の多様さを思わせてくれるようなどうしようもない「個々のクセ」が合わさってこうなっている、とまで評したら言い過ぎな気もしますが、それくらいになにやら絶妙な個性のかけあわせによってこのうねりが出ているとしか思えないグルーヴ感なのです。

ちょっとハネている? それもそうだと思います。5度音と6度音を行き来する、「これぞロックン・ロール」なる定型の伴奏の特徴がハネているような感じがします。ギターか、ギターとピアノの左手の音域両方でしょうか。

図:第五音をシックスに動かしては戻しながら根音と一緒にストロークを連ねるロックンロールの典型。譜例は in E。

ピアノは転げ回るように高音域をピシャンピシャンと水滴を撒き散らすようなプレイもみせています。

ドラムの分割はコーラス(歌い出しのAメロみたいな部分)はあまり細かくない感じがします。ドン、タン、ドン、タンと1・2・3・4のシンプルな4つの分割が骨格で、あまり鳴り物も聞こえません。ドラムがこのように風通しよくしているので、他のパートの揺らぎが気持ちよくハマって「うねる」のでしょうか。もちろん、単に4分音符単位の分割の演奏であっても、演奏者が細かいを分割をどう感じるかで全体に及ぼすグルーヴ感の影響は大きいでしょう。

ベースはウッドベースなのでしょうか、モノラル音源ですし古い音源ですし、繊細な輪郭まではとらえ辛くもあります。ボムボムと4分音符で和声音を上行するフレーズで置いている感じです。感じる分割の細かさはドラムとおおむね合っている印象です。

ピアノのハネ方がいちばんはっきり感じられます。アタックが明瞭で、高い音域に音があるせいかもしれません。チャックのボーカルのハネ感も比較的わかりやすい。

細かいことですが、ゆらぎやうねり感に実は大きい影響を与えているのではと思うのは残響です。ピチピチとしたアタックの反射音みたいなものや、ボーカルやギター(あるいは全てのパート)の「こだま感」(ディレイ感、エコー感)が、うねりやグルーヴのゆらぎの正体のひとつだとする仮説です。これと、演奏の各パートにおける捉え方や表現の個性の振れ幅の掛け合わせがうねりの概観なのではないでしょうか。

聴くほどにクセになりますし直感的かつ刺激的で、こうして思案しながら書き出してみてもなおいっそう深淵な音楽に思えてきます。もはやベリー・ホリックに片足突っ込んだ私。なんだこのバイブレーションは! 純粋な衝動と感嘆を呼び起こします。

ビートルズを聴く

エッジの効いたギターのサウンドに、ジョンのするどい声が続けてぶつかってきて脳幹がぶっ飛びそう。聴いているうちに鼻血が出てきそうです。コーフンしますね。

ステレオでパートの分離がわかりやすいです。ブーミーなベースが接着をよくします。ドラムスのハイハットのラウドさ・ノイジーさもいい塩梅です。

ピアノが雄弁で、バンドに乗ってころげています。ジョージ・マーティンの演奏でしょうか。途中、1分45秒〜1分52秒頃、ピアノが落ちている? そのあと、真ん中あたりから聴こえていたピアノの定位がBメロで左に移動して、Aメロに戻るところでグリッサンドとともにセンターに戻ってきます。どういう編集なのでしょう。録音はバンドの一発録音でバチっと決めた、みたいな論説もみられますが、編集されて複数のテイクで構築されている感じがするのはステレオ版ならびに2009リマスター版だからなのかわかりません。いずれにしても、鼻血ブーミーな素晴らしい演奏であることに相違ないです。

ビーチボーイズを聴く

チャックが50年代後半、ビートルズが60年代半ば。ビーチボーイズは70年代半ば〜後半にさしかかる頃の発表。音像に時代の違いを感じます。

圧倒的に明瞭な輪郭のボーカル。ダブリングしていますが明瞭です。左からお家芸のコーラス。これより前の時代のビーチボーイズの作品からは、独特の残響感、それこそ哲学や思想信条、分離不可能な作家としての生理や宿命を感じるほどに圧倒的な「これぞ」のビーチボーイズのアイデンティティを感じさせるサウンドの質感を私は覚えているのですが、それらから受け取った印象とはまた一段と質感の異なる音像です。

左からBGV、右からは低いサックスの類とエロく歪んだエレキギターがブイブイと混交して艶めきを放っています。

フェイド・アウトのエンディングがまさかで、「ロックンロールはカット・アウトだろう」と私が心のなかに棲まわせている音楽の神様のひとりが口酸っぱく突っ込みそうな処理。

解釈の是非はありそうですが、それこそがカバーの価値。強烈に個性的な解釈であることは素直に評します。何より、聴いて楽しかった。「これは……!」という驚きがありました。

ロック・アンド・ロール・ミュージックの巨大なタグは連綿と続きます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ロック・アンド・ロール・ミュージック

参考Wikipedia>チャック・ベリー

CHUCK BERRY ユニバーサル・ミュージック・ジャパンサイトへのリンク

参考歌詞サイト KKBOX>ロックン・ロール・ミュージック – 1958 Single Version

『Rock and Roll Music』を収録したChuck Berryのアルバム『One Dozen Berrys』(1958)

『Rock and Roll Music』を収録したThe Beatlesのアルバム『Beatles for Sale』(1964)

『Rock and Roll Music』を収録したThe Beach Boysのアルバム『15 Big Ones』(1976)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Rock And Roll Music(Chuck Berryの曲)ピアノ弾き語り』)