まえがき 面識のない知り合いのような戦争

1945年に大きな戦争にひとつの区切りが生じてから2025年で80年になります。この記事の執筆時は2023年。あまりに幼少ですと記憶もあまりないでしょうから、2023年時点で80歳くらいまでの人が、太平洋戦争の一次的な記憶をほとんど持たないことになります(「戦後」は一次的な記憶に含めないとする粗暴な括り方ではありますが)。いまや、世の人口のほとんどを占める層が、副次的な記憶や体験の所有者、あるいはそれ未満なのです。

その意味で、「戦争は知らない」のがいまのこの島国の人のほとんどといっていいでしょうが、どうにも……今の世において戦争が遠い存在とは思えません。ぼうっとしていて知識も学も足りない私でさえ、ここ数年は特に戦争という存在が身近に感じられるのです。

太平洋戦争のあとにも、複数の戦争が世界で起きています。それらのなかで特に最近のものがネットニュースで、SNSで届く。私が身を置く近年の環境のおかげか、戦争の話題がいくぶん「均されて」耳に入るようになったかもしれません。

太平洋戦争以後の早い時期、あの戦争やこの戦争が起きた時代ですでにネットが発達していたら、そのいずれもの報せが、距離のある国にも、ネットがない場合と比較して物量をもって届いていたでしょうか。その世を生きた人は、戦地と離れていても戦争を意識する機会が増えていたでしょうか。

芸能人やミュージシャンのスキャンダルも訃報も熊の被害もスポーツニュースもカップ入りのうどんに混ざった蛙の画像も戦争の話題もすべて(とはいえません)がスマートフォンの画面の中に隣り合って並ぶのです。この環境がこの時代の人特有の意識を築き上げるのはいうまでもないことでしょう。ネットが行き届く世が善い・悪いの話がしたいのでもありません。

“戦争は知らない”という表現ひとつとっても、この歌をザ・フォーク・クルセダーズが歌った1960年代後期の人が受けるのと、2023年の島国に生きている私が受けるのとではいくぶんその印象も違うかもしれませんし、あるいは強く印象づける普遍の本質は同じであるとも思います。

聴く

作詞:寺山修司、作曲:加藤宏史。ザ・フォーク・クルセダーズのシングル『さすらいのヨッパライ』(1968)に収録。

ソロ〜ユニゾンになったり部分的に三声になったり、3人のハーモニーが極楽です。拍手と拍手で切り取られるライブ音源。演奏後の歓声の高さに人気ぶりがうかがえます。

16分割で高らかにオルタネイトストロークするギターが雄弁。ベースはポンポンと4分音符を置いていきます。ドラムスは調和を重んじた軽いバランス感覚。ときおりふわっと薫るストリングスはかなり奥まって感じます。

終始オブリガードを入れるサックスがどこか八木節を思わせます。歌に寄り添いつづける管楽器の単一の線を書き込むアレンジとして参考になります。フレンドリーなサックスです。

面識のない花

“野に咲く花の 名前は知らない だけど 野に咲く花が好き 帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの”(『戦争は知らない』より、作詞:寺山修司)

父が娘と対面することなく散って行った花であるようにも思わせます。いっぽうで、自分の死後に生まれる娘を父親目線で花に喩えるフレーズにも思えます。摘まれてしまう花は、戦争で散ってしまった父に重なる気もするのです。得られたかもしれない幻の記憶に思いを馳せている娘が、花を摘んでいるシーンにも思えますし、家族への思いを秘めた父の胸の象徴が、花を摘み入れる帽子なのかもしれません。

“戦争の日を 何も知らない だけど私に 父はいない 父を想えば あゝ荒野に 赤い夕日が 夕陽が沈む”(『戦争は知らない』より、作詞:寺山修司)

父が亡くなった戦のあとの生まれであるのを思わせる主人公のフレーズです。沈んだ夕陽に父の情熱や愛が重なる気がします。やがて夜が来て、朝が来るはず。父の思念は色彩を変えながら主人公をずっと見守っているのかもしれません。あるいは、主人公の父に対する意識も、地平の向こうに赤く燃えて遠ざかっていったり、翌朝別人のように姿を現すことの象徴かもしれません。

“戦さで死んだ 悲しい父さん 私は あなたの娘です 20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの 見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下 戦さ知らずに 20才になって 嫁いで母に 母になるの”(『戦争は知らない』より、作詞:寺山修司)

人の残せるものは限られており儚いです。絵画が、歌や音楽などの芸術が長く残ることは稀で、その人がその世のどこにいたのか、どこに特定の人の痕跡があるのかを明らかに見出すことは多くの場合難しく、うごめくように世界の命はつながっています。

子を残すことは、その意味では因果がはっきりしています。親がいたから、その子がある。嫁ぎ、母になることが直結する距離の短さやその表現自体については時代性を感じる思想ですが、一方で繰り返す命の普遍、連なる鎖を象徴するシンプルで本質的な意思でもあるでしょう。

いわし雲を描くことでその背景の青が私の中で勝手に見えてきます。父の表情も豊かであるのを思います。主人公と、戦さのあとも継続的に交流したり一緒に過ごしたりすることさえかなっていれば見せた表情かもしれませんし、それがなかったからこそ主人公が気づいた空の表情だったかもしれません。

森山良子さんが歌った『さとうきび畑』を思い出させます。想像を呼び、目頭が熱くなる歌詞です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ザ・フォーク・クルセダーズ

ユニバーサル・ミュージック・ジャパン>ザ・フォーク・クルセダーズ

参考歌詞サイト 歌ネット>戦争は知らない

『戦争は知らない』を収録したザ・フォーク・クルセダーズの『ゴールデン☆ベスト ザ・フォーク・クルセダーズ』(2004)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『戦争は知らない(ザ・フォーク・クルセダーズの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)