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あいつらが起きてくるともう何もできない。
だから自分のやりたいことをやろうと思ったら、夜遅くまで起きているか、朝早く起きるしかない。あるいはその両方ということになる。
朝起きるのは眠くてつらい。それでも起きなけりゃならない。僕にはやるべきことがある。このまま寝ていてはなせない、やるべきことが。
なりたい自分を想像して、それに向かっていく。
誰にそれを話すわけでもない。いや、君にだけは、話したっけね。
青くて、まぶしくて、本当のことだけを歌ってる。君のきれいな歌声を聴くに、僕は隠れてしまいたくなる。
僕はそんなふうにはなれないな。だからこうやって、眠くても朝、起きなけりゃなんない。僕にはやるべきことがある。
僕はこの町に来た。
君はこの町にいた。
僕らは出会って、一緒になった。
ここでやりたいことがある。一緒に向かって行かなきゃならない。
誰にも話したことのない、想像の姿になりたい。
それで僕は、起きなけりゃならない。夢見たまんまで、起きなけりゃならない。
君とならば、それができる気がするんだけど。どうかな?
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『Daydream Believer』を聴いて、その歌詞を読んで、私の想像を文章に起こした。こういうの、詩というのだろうか。それともだいぶ違うか。わからない。
これは決して『Daydream Bliever』の歌詞の翻訳ではない。翻案でもない。作品をきっかけに、自分を参照して、思ったことを書いた。こういうのを二次創作というのだろうか? でも原作に確固たる設定があるわけでもなさそうだし、それを利用して書いたのとも違う。ただ、きっかけを得て発想しただけだ。
『Daydream Believer』はThe Monkeesのシングル(1967)。アルバム『The Birds,The Bees and The Monkees』(1968)にも収録された。
忌野清志郎の歌声で知る人が、多いだろうか。あなたのイメージは、オリジナルのThe Monkees? それとも清志郎? それ意外のカバーも多い。こちらの記事から飛んで遊んでみるのも良さそう。https://mora.jp/topics/osusume/coversongs_day-dream-believer/
セブン・イレブンのコマーシャル・ソングで使われていた(2011〜)。
「忌野清志郎に似た人」という「ZERRY」率いるタイマーズのデビューシングル(1989)にもなった。
彼による日本語の歌詞は私に強くこの楽曲の輝きを印象づけた。
オリジナルの歌詞をみてみる。
状況描写もあるけれど、すごく端的。だから、どうとでもとらえられる。
サビは「デイドリーム・ビリーバー」「ホームカミング・クイーン」という単語の存在感が強い。それのみによって立っているともいえる。だから、これもやっぱりどうとでもとらえられる。それが広がりになっている。より多様なユーザーを受け入れる。「聴く人」もそうだし、解釈しなおして「歌う人」すら受け入れる。
明るいエネルギーが、かえって理想に向かう刹那の裏側に潜む脆さを示唆する曲にも思える。恋愛の歌ととらえるもよし。青春を想起するもよし。そのあとの転落、停滞、失墜を想像するも一興。さらにそのあと、また希望に転じるところまで乗り入れて味わってもいい。
長く歌われ、多く親しまれる歌はときに「端的」だと思う。その本体を、主人公であるあなたや私ににゆだねている。だから私はこの歌を聴くし、歌いもするだろう。あなたもそうかもしれない。
青沼詩郎
The Monkees