岸洋子が歌った『夜明けのうた』。作詞:岩谷時子作曲:いずみたく。1964年にシングルがリリースされています。同年に坂本九もこの曲のシングルを出しています。1963年に坂本が主演したドラマ『ぼうや』の主題歌となりました。よって、世間の認知が先なのは坂本版でしょうか。岸の持ち歌という認知が強いのか、どうでしょうか。

“よーあーけのー”……。歌い出しから4度跳躍の音形。すっと跳躍先の音程に乗るかろやかさ。ひとつひとつの音程を保ち、のびやかにビブラートをかけていきます。やがて来るまぶしい朝陽を待つ、束の間……空間と色彩のグラデーションがずっと続いていくような岸洋子の歌唱が見事です。

ちなみに『夜明けのうた』は先日このブログで取り上げた『恋の季節』(ピンキーとキラーズ)と同じに、いずみたく・岩谷時子による作品です。

岩谷時子の作品といえば私としては『友だちはいいもんだ』(劇団四季のミュージカル『ユタと不思議な仲間たち』劇中歌)、『君といつまでも』(加山雄三)などが思い浮かびます。

いずみたく作品は、『手のひらを太陽に』『ゲゲゲの鬼太郎』『いい湯だな』ほか、私好みの作品の枚挙にいとまがありません。そのすべてを鑑賞し尽くせずにいるうちは、未来の楽しみがすっと控えている……そんな、私の最も敬愛する作家の1人です。リスナーが鑑賞するよりも早く作品を書き上げるのではないかと思うほど多作で、記憶に残るメロディばかりです。

麗しの同形反復

いずみたく作品には、作曲のお手本にしたい要素がいっぱいです。

今日取り上げた『夜明けのうた』では、たとえばこんなこと。

いずみたく作品には、美しい同形反復が多いと思います。一定のリズムのパターンをくりかえす中で、その音程を変化させて起伏を与え、音楽を構築し展開させていく。これは頻出のいずみたくテクニック……すなわちたくテク(勝手に命名)です。

『夜明けのうた』歌い出し4小節目あたりのところ。“昨日の悲しみ 流しておくれ”のところにご注目ください。“きのうの” “かなしみ” “ながして” の3つの句に分けてとらえてみます。「ファ・ファ・ミ・レ」→「ソ・ソ・ファ・ミ」→「ラ・ラ・ソ・ファ♯」(※Cメージャー調の場合)と、3つのフレーズの頭が順次進行(となりあう音へのうつろい。階段を一段ずつのぼりおりする感じの進行)をしています。かつ、フレーズから次のフレーズに移ろう瞬間は跳躍進行(音程のジャンプ。階段をひとつ〜いくつも飛ばしてのぼりおりするような進み方)をしています。順次進行でなめらかに洗練された印象を与えては、跳躍させてポジションを上げ清涼感を与えます。このメロディの揺らぎに私の心がほだされます。ちなみに小節のアタマ(強拍)ごとに見たときと、それにつづく弱拍のみを取り出して見たとき、それぞれで順次進行になってもいます。起伏を持たせつつ、流れるような麗しい印象を与える要因かもしれません。

Cメージャー調です。見苦しくてすみません。

うたの言葉

歌詞に含まれる単語に注目します。

曲のタイトルそのものである“夜明けのうた”。ワンコーラスに2回×3コーラスで6回出てきます。曲の主題です。

わたしの心”。こちらもワンコーラスに2回×3コーラスで全6回出てきます。“夜明け”は場面であり、情景・舞台。それを望む主人公の存在、その表現が“わたしの心”。

“夜明けのうたよ”“わたしの心の(に)” という2つのフレーズのみで、歌詞のおよそ5割を占めています。

“夜明け”には、闇と光両方の要素を感じます。現在の苦難の象徴が闇。これからやってくるであろう、望みのかなう瞬間の象徴が光。そのはざまが夜明け。そんな解釈はどうでしょうか。“わたしの心”は、いまそこにあるのです。メインキャストただ独りと、場面のみ。そこで胸のうちを抽出すれば、独白の歌が成り立ちます。

あたまとお尻に主題

最近『ラヴ・イズ・オーヴァー』(欧陽菲菲)『リンゴの唄』(並木路子)などを鑑賞していて思ったことがあります。それは、歌い出し(冒頭)、歌い終わり(結尾)に主題があるということ(どういうことなのか、ここに挙げた2つの歌についてはリンク先を見てみてください)。

『夜明けのうた』はどうでしょう。“夜明けのうたよ”と歌い出します。そして、最後である3コーラスめの最終フレーズに着目。“思い出させる ふるさとの空” です。“夜明け”という情景と、“ふるさとの空”という心象風景を重ねていると思いませんか。つまり、『夜明けのうた』についても、主題で歌い出し、主題で結ぶという共通点が見出せるのです。

ラヴ・イズ・オーヴァー』『リンゴの唄を鑑賞して私は、冒頭と結びのみならず、歌の頂点、すなわち一番高い声を出す盛り上がるところにも主題があると考えました。

『夜明けのうた』はどうでしょう。Cメージャーに移調した場合、この歌で出てくる最たるハイトーンは「E(ミ)」です。その音程を持った言葉は何かといいますと、“うた”“わたし”“うた”は、この曲の主たる情景を示す“夜明け”がかかる名詞です。“わたし”はこの歌の主体であり、“”の持ち主です。つまり、『夜明けのうた』においても、歌の頂点(ハイトーン部分)に主題という共通点が当てはまるのではないでしょうか。

後記

最近の私は「いずみたく」と見るだけでビビっと来てしまいます。たとえば、歌謡曲のコードメロディ譜をたくさん載せた歌本をめくっているときです。『夜明けのうた』もそんな風にして出会いました。譜面を読み、音源に触れる。すると「やっぱりね、いずみたくにハズレなし」という気持ちになります。譜面だけを見ても、実際に音源にふれても直感的にピンとくるものがあるのですが、こうして思考と鑑賞を連ねてみると、この記事で取り上げたもののほかにもたくテクが見えてくるのです。あなたがリスナー・歌い手・作り手のいずれであっても、ここにたくテクの光がある……鑑賞のかたわら、私がこんなこと言っていたなぁと思ってもらえればなお幸いです。

青沼詩郎

『夜明けのうた』を収録した『心のうた 岸洋子リサイタル』。岸洋子はFメージャーで歌っています。

『夜明けの唄』を収録した『ベスト坂本九 90』。坂本九はDメージャーで歌っています。

ご笑覧ください 拙演