フロアには椅子。1メートルくらい離して置かれているようにも見える。100人くらいいるというお客さんがそこについている。曲の終わりには拍手。基本的には声援はなしで、という心得が共有されているのだろうか。
『LIVEWIRE presents OYAMADA SOHEI LIVE2020』は福岡DRUM LOGOSを会場に、10月2日(金)夜19時からライブ配信された。今日は見逃し配信の最終日。
会場チケットを手に入れたのは申し込んだ人たちのうち、わずかな割合だったのではないか。好きなミュージシャンのライブを現地で観られる機会は本当に限られてしまった、この世界のこの頃だ。
ライブ配信はそれはそれで良さがある。こうして、限られた人数の観覧+ライブ配信という複合的なサービスも試みられた。私はそれを享受している。
この記事では視聴した雑感を曲順に書いていく。
1984
一曲目。9月20日に初めてオンラインで開催されたくるり主催の『京都音楽博覧会2020』で岸田繁楽団とのコラボレーションでも披露した曲。アンプラグドな木管や弦を中心とした楽器とのコラボーレションが貴重な演奏だった。今回は弾き語りで。アコースティック・ギターをやさしく撫でるように。ギターのボディをコツコツと叩き、中間部のリズムを表現。後半、歌とギターストロークは加熱する。
life is party
“10年たったらおもちゃもマンガも捨ててしまうよLife Is Party気にしないでいいから”ブリッジミュートのギターがポンポンとはねるエイトビート。“あすもずっと続くよって”。どこかで終わりは来る。いまあるものを捨てるときがくる。でも、あすも続く。何かを捨てて、出会いながら。ギターストロークは熱を増す。16(シックスティーン)のオルタネイト(ダウン&アップ)ストロークで。
MC
落ち着いたしゃべりで、お客さんが100人くらいであること、会場が福岡ロゴスであることが話される。世界にむけて放たれた配信であること。感染症のはびこる昨今、誰にでもできることじゃない・ありがたいことだといった趣旨のことを話す小山田壮平。
ゆうちゃん
大好きな曲。だいぶ前から知っていた曲。何年も前に彼のライブを生でみる機会があって、私は会場でこの曲の弾き語りを観た。今年8月にリリースされたアルバム『THE TRAVELING LIFE』に収録されている曲の中で、もっとも前から存在するものなのではないか。歌詞に描かれる主人公と「ゆうちゃん」の関係が微笑ましい。「私」にないものをゆうちゃんは持っている。私が気にすることをゆうちゃんは気にしない。補い合うかのような、尊敬し合うかのような2人の仲が魅力的に表現された、愛嬌に満ちた曲。
投げKISSをあげるよ
アクセントをつけたダウンストロークのエイトビートがウットリするグルーヴの美しいミドルテンポバラード。弾き語りでも映える、andymori曲。こまかい不安や焦りや怖れは大きな河に海に溶かし去ってくれるような。その河も海もぜんぶふくめて「一帯」なんだと思わせてくれる。大きなスケールを見落としている私を俯瞰させてくれる名曲。
MC
ピアノの宮崎真利子を呼び込む。彼女を見て「ドレスアップされたんですね」と小山田壮平。
Peace
3、3、2のまとまりでエイトビートのアクセントがしんしんと降るピアノのアルペジオ。andymoriのアルバム『革命』に収録された曲。小山田壮平の実際の家族を思わせる、自己開示の曲に思えるがゆえ私に飛び込んで心をゆるがす。
サイン
平歌の左手の低音部のピアノフレーズが印象的。『サイン -Acoustic Ver.- 』として配信リリースされたシングル曲。壮麗なピアノ伴奏。ギターの和音。力強い歌。帰ってくるサビで、ベートーヴェンの交響曲第9番4楽章のオマージュを思わせるピアノフレーズ。よろこびの歌とも呼ばれるそれ。人類愛、兄弟愛の歌であるそれ。この『サイン』と通ずるテーマだから、オマージュしたのかもしれない。誰のアイディアだろう? 小山田壮平のファルセットが美しい。
無までの30分
ジャジーにハネてスウィングしたアレンジメントが大成功している。原曲は、音価がイーヴンでフラット(平ら)なグルーヴだから違いが映える。タテ型のアコースティック・ピアノが鳴る。
サンシャイン
メロディアスなイントロのピアノ。音楽の話に花を咲かせたりコミュニケーションするミュージシャンたちを思わせる歌詞。小山田壮平は前曲から続いてギターを置いて歌っている。流れるようなアルペジオとストロークの違いで変化を出すピアノ。ときおりマイクに手を掛けて、握るように、覆うようにして熱く歌う小山田壮平。バンドスタイルとは違う彼のパフォーマンス。彼の「旅」はいまこんなことになっているんだ。メロディアスなピアノでフィニッシュ。
ゴールデンハンマー
少ないストロークのピアノのイントロ。主観的な映像がつむがれる歌詞。ストロークと音数が増すピアノ。歌詞の内容は主観性を増して行く。サビで繰り返される歌詞、”ゴールデンハンマー“。“僕らが見つけた魔法の武器””信じていいかい? 君のこと”と続く。君への胸のうちの吐露はつづく。ゴールデンハンマーは、君が振り上げる、砂の城を打ち壊す武器。ピアノはオクターブ奏法で16分音符の激しく動くストローク。映像と心情が象徴的な単語”ゴールデンハンマー”とともに描かれた印象的な曲。
MC
「続々と友達を呼びたいと思います」と、これからジャンベを演奏する久富奈良を紹介する小山田壮平。楽屋で彼が寝ていたこと。目覚ましの音が不思議だったことに言いふれる。久富奈良の相づちは平熱。
ダンス
andymori曲。ジャンベとアコースティックのピアノとギター、ボーカルのアンサンブル。好相性サウンドのトリオ。歌詞 “心のさすらうままにダンスしようぜ 明日のために” この曲もまた旅の道中なのだ。
青い空
久富奈良はドラムスティックに持ち替え。スネアドラムを中心としたマーチング風のプレイで。andymoriの曲を、非常にたっぷりとしたテンポで。2メロからはビートを出し、2サビで小山田壮平も自らのギターのストロークをはじめる。徐々に曲想が壮大になっていく。歌詞が映える。
宮崎真利子がはける。藤原寛、濱野夏椰が入場。
Sunrise&Sunset
エレクトリック・ギターでごきげんなイントロ。バンド編成でanymori曲。8月にアルバム『THE TRAVELING LIFE』と一緒に発売した小山田壮平詩集のタイトルもこの曲と同名。歌に描かれる、自然の循環。私はそれに現実の我欲を重ねる。明るく突き抜けさせてくれる、さばけた気分の良い曲。藤原寛のバッキングボーカルが盤石。andymoriともまた違ったグルーヴがこの編成にもある。
OH MY GOD
映画『#ハンド全力』主題歌で、デジタル・シングルとしてアルバムよりも先に発表された曲。私はこのライブでこの曲を期待していた。下方刺繍音を交えてひとひねりした、実直で無骨で非常にキャッチーなギターストローク・リフが曲の要。殺風景で色彩に乏しい世界に光が射し、満ちて行くのを感じさせる歌詞。過去と今と未来が混じる。希望と輝きを思う。初めてこの曲を配信で聴いたとき「やってくれた」と思ったし、嬉しい気持ちになった。小山田壮平に対して「主題歌」のたぐいを願う依頼はこれまでにも多かったろう。そのほとんどを彼は遠ざけたと思う。しかし、ここに来て、彼はやってくれた。『#ハンド全力』の監督の松居大悟が、直接の友人かつ同郷かつ年齢も近いといった縁もあったかもしれない。小山田壮平が見事に『主題歌』という壁を彼なりのやり方で越え、アクロバットを魅せた。その瞬間の一部を見られて私は嬉しい。
MC
ライブで初めて演奏する曲が多い、緊張する、という話。千円するユンケルをメンバーが飲んだという話。効き過ぎて困るというメンバー。そんな中でも久富奈良はチオビタだという。ぶれないねと感想を述べるメンバー。
旅に出るならどこまでも
andymoriの『モンゴロイドブルース』を思わせる「ワルい」感じのベースのイントロで始まるのはアルバム『THE TRAVELING LIFE』収録曲。直前のMCにあったように、ライブ演奏初披露の曲なのだろう。アコースティック・ギターをシックスティーンで激しく搔き鳴らす小山田壮平。怪しい残響(ショート・ディレイ)をまとったエレクトリック・ギターがうならせる濱野夏椰。曲調もめまぐるしく変化する。アコースティック・ギターと小山田壮平の声が裸になる終盤。藤原寛のバッキングボーカルが優しく調和する。照明も静かな夜を演出する。エレキ・ギターも打って変わって優しく美しいボリューム奏法。
雨の散歩道
ブルース調。トリプレット(3連符)のユッタリネッタリとしたグルーヴ。メロとサビのファルセット&ハーモニーの甘美さが対になって際立つ。エレクトリック・ギターの揺れたエフェクト・サウンドがカッコいい。転調。ドラムスが実直にアンサンブルを支える。
スランプは底なし
激しく歪んだギター。ハーフ・ブリッジミュートを交えたイントロのプレイ。こちらもトリプレット調だけれど、キャラクターがぜんぜん違う。3連符系の曲をライブで続けて演奏することは私には考えにくいけれど、ここで彼らは見事にメリハリを出している。小山田壮平にもあるのだろうか、スランプ。(あるけど、3〜4日くらい…とおっしゃるインタビューを最近読んだ。)“新しいやり方 見つけなきゃ” 私はいつも強くそのことを思う。つねに、おもしろく、新鮮でいるためには。かつて見つけたやり方の繰り返しは決して通じない。生きることの厳しさはそこにある。安寧のうえにあぐらをかくのはつまらない。“幸せは空から降ってこない わかっちゃいるけれどとにかくネガティブ そばにいてくれる人も引きずり込んでく スランプは底なし” 私はわりと、まわりを引きずり込まないようにひとりで抱えこんでしまう性根の持ち主だと自覚している。けれど…実は大切な人をおおいに巻き込んでいることを顧みさせられる。泥くさく、自分のことを描きつつも、どこかあきらめきれないし、そのことに絶望もしていない。笑えて、楽しくて、でも切実で、さばけた、すごくいい曲だと思う。
ベロベロックンローラー
タイトルの文字列のインパクトが一級。カナダの国旗の “葉っぱの形” に“ベロベロックンローラー”が重なる。前曲『スランプは底なし』とのシリーズ、連作におもえて仕方ない。アルバム『THE TRAVELING LIFE』での曲順は『ベロベロックンローラー』がM7で『スランプは底なし』がM8と、逆になっている。濱野夏椰の深く歪んだうなるリードギターソロが『ベロベロックンローラー』の主人公を思わせる。無敵の歌声を備えているように思える小山田壮平にだって、“ファルセットが出ない”日くらいあるものなのかな。彼ももちろん私と同じ人間であって、私と別の人間であって。濱野夏椰の歪んだリード・ギターの再来。カッコいい。“ベロベロックンローラー” と、カナダ国旗 “葉っぱの形” がどう重なるのか私にはイメージしきれないところがある。けれど、この曲にはブルースのこころが匂う。無情感もある。諦観もある。哀愁がある。そこに愛嬌が漂う。すごく好きな曲だ。
ベンガルトラとウィスキー
andymoriはこの曲でファンをどれだけ狂わせたんだろう。アッパーな曲調。鼓舞するドラムスの名イントロ。濱野夏椰のライトハンド奏法が舞う。小山田壮平のストロークがシックスティーンビートで熱狂する。その渦中でスパンと終わる、andymoriらしい切れ味の曲。『スランプは底なし』『ベロベロックンローラー』そしてこの『ベンガルトラとウィスキー』で“安いウィスキーウィスキーウィスキーで全部丸一日全部無駄にしてしまったってテイクイットイージーテイクイットイージーまたおんなじ声で繰り返してくれるんだろう”と歌われる。andymoriの曲とソロ曲を横断しての連作に思える。既存曲と新曲を関連づけて新しいストーリーを生み出した。これも彼の旅のうち。旅は一本道じゃないのだと気付く。いま、過去、未来。いろんなところに飛び火して、ワームホールを出たみたいにぜんぜんちがうとこにつながって、新しい道筋を発見するのだ。
彼女のジャズマスター
はじめて聴いた。未収録曲だろうか。弾き語りライブでの演奏実績あり? オルタネイト・ストロークのギターがぐりぐりとビートをつなげて押し出す。“彼女のジャズマスターが僕のブルーハートに届いた”(聴き取れたママ)と歌われる。小山田壮平の書く曲には、ミュージシャン間の尊敬の念や無情や愛がよく飛び交って私には見える。次いで歌詞に出てくる “レッドソウル” が “ブルーハート” と対になる。酒で駄目になって、でも生きて、この曲に至って、何かの答えが見えかけた…ような気がして、それは轟音をピリオドに瞬く間にいなくなってしまう。
グロリアス軽トラ
ツイキャスだったか、彼が弾き語りでこの曲を演奏するのを聴いたことがある。andymoriの人気曲で、ライブハウスでこの曲をカバーして歌うミュージシャンを見たこともある。小山田壮平自身も大切に思っている曲なのだと思い直す。この曲もまた「旅」を思わせる。いや、「道」、「道中」だろうか。流れるように紡がれる歌詞でゴキゲンな曲調にスラスラと連れて行かれてしまうが、よく注意して聴くとすごく情報量とコンテクストに満ちた寓話のような曲だ。そしてスパンと終わってしまう。これがandymoriのスピード感…いや、サイズ感。楽しい一瞬。最高の快楽。幸福。それらは長く続かない。そうしたもろもろを積んで、軽トラックはいく。燃料の限り、時間の限り。道のあるところ、ないところ。
あの日の約束通りに
アルバム『THE TRAVELING LIFE』曲に戻る。スローモーションな映像。甘美な長い時間を思わせる。前曲までの流れからの緩急が見事。ロマンチックで、バラードなのだけれど開放的なロック。濱野夏椰の深みのあるエレキ・ギターが空間を広げて魅せる。“神様は信じられないけれど祈るように眠るんだ” と歌われる。私は神様を大切にしていない。ろくにその存在を思う瞬間もないくせに、しょっちゅう何かを「祈って」ばかり。そこに私の心はない。うわべで「祈って」ばかりいる。眠っている人の顔に何かを思うのは起きている人間だ。眠っているその人が祈っているわけではない。それを見た私が、祈るように眠っていると思うかもしれないし、眠っていてそれを誰かに思われるのが私かもしれない。“あの日の約束” をいつしたのかわからない。具体的な約束じゃないかもしれない。いつからその約束がはじまったのか、点で区切ることはできないかもしれない。それでもそういう約束をいつの間にかしていることがある。そう思う。
夕暮れのハイ
アルバム収録曲。エレキ・ギターの深い残響をまとったチョーキングがかっこいい。小山田壮平と濱野夏椰の2人のギターのトーンとアンサンブルが堪能できる。間奏でソロギターを支えるストロークを奏でる小山田壮平の表情が、それを感じているようにも見える。“夕暮れどきは花の匂いに誘われて” と歌われるこの曲を聴いていると私はぽつんと置いて行かれてしまう。不思議な流れを持つ曲。水のようにただそこにあって、目を離しても凝視しても、何をしても変化してどこかへいってしまう。入れ替わって、つねに新しくなっているのに、そこには秩序めいた共通点がありもする。今回のアルバム『THE TRAVERING LIFE』を象徴する曲のようにもおもう。アルバムのラストに収められている。「旅」を思うし、このライブのセットリストのストーリーにも沿う。
MC
「なかなかに宴もたけなわとなってきてございました」というしゃべりにくすりと来てしまった私。会場も同様。藤原寛のめがねいじりを披露する小山田壮平。その人格に言い触れる藤原寛。「客の前」での演奏に新鮮さを感じているかのような演奏メンバー。感染症の流行の影響で、客前での演奏の機会が減っているであろうことを思う。電子たばこ? の「アイコス」を本番前に一時的に断(た)って、人格や体調に変化を感じたという小山田壮平のはなし。私は吸わないのでわからないが、習慣を変えると体調が変わるし人格に影響するというのはどこか理解できる。久しぶりの客前での演奏に高揚している、といった趣旨のことも彼は話す。「いろんなものが脳内に溢れ出ている」…とも。
HIGH WAY
2本のギターのハーモニックなイントロが印象的。小山田壮平のキャリアを思わせる歌詞。さまざまなことに出会って、さまざまな人と関係して、いろんなことを思って、考えを変化させて、気付き、また思い直し…それをすべてを含めて受け入れ、前向きになっている。そう私は感じる。サビで、ふたつのボーカルが歌詞を補完しあうアレンジメントの曲。だから、弾き語りでは「やれない」とはいわないが、原曲どおりのアプローチを提示するのはむずかしそうな曲だ。これをバンド名義でなく小山田壮平名義でつくり、発表したことも、彼の変化のプロセスや到達点がいかなるものがったかを私に想像させる。この曲に励まされることもあるといった趣旨の発言を小山田壮平がラジオでしていたようにも私は記憶している。ベクトルは「肯定」。“ガソリンは満タンでも少しガタがきているね かまわない もっと高速を走っていく” という歌詞がそうしたもろもろを象徴していると感じる。イントロの印象的なツインギターのフレーズで曲にピリオド。
Kapachino
さばけた爽快なロックチューン。MVも公開されているトピック曲。まっすぐに飛んでくるバンドサウンド。曲調のキャラクターは小山田壮平、彼がこれまでにやってきたバンドのイメージに沿う。2本のギターのストロークのかけあいにテンションがあがる。間奏に入る和音の展開が妙。サビのⅠーⅢMのコード進行はロック名曲鉄板の語彙。“霧の中を 闇の中を” のリフレインが突き抜ける主体の姿を暗に強く印象づける。怒濤のダウンストロークでフィニッシュ。
MC
あらためてメンバー全員を紹介して退場。
アンコール
MC
小山田壮平がひとり、再登場。LIVEWIREはスペースシャワーが立ち上げたライブ配信制作チームであるとのことを話す。私が7月に観たくるりの京都・磔磔での公演も「LIVEWIRE」だった。ライブ中はドーパミンが出ていて、普段出てくる言葉が出てこないことがある…といった話も。
16
弾き語りソロ。私の大好きな曲。andymoriオリジナル。“今度吞もうねと嘘をつくのさ”と歌われる。本当にそんなことばかり。できない約束を重ねて私は生きる。そのときだけのうわべだけの優しさを表現したことばを、雲みたいに浮かべて。「16」からは16分音符を思う。シックスティーン・ビートのリズム、拍子。歌詞でも“16のリズムで空をいく”と表現される。年齢の「16」も思う。青さ。若さ。未熟さ。未来。余白。発展途上。それらが境界なく空に浮かんでいる。そんなことを思わせる、普遍の美曲。
MC
宮崎真利子を再び迎える。彼女とのMCがはじまる。福岡空港で小山田壮平と宮崎真利子が面会したとき、飛行機に乗る時刻の迫る宮崎真利子を導いて自信たっぷりに小山田壮平が間違った搭乗口を案内した、というエピソードを仔細な状況描写と話し方で披露した宮崎真利子。「でも、旅慣れてるなって。THE TRAVELING LIFEってかんじですね」と結び、会場と私を魅了した。ピアノも話もいい。そんな彼女である。
コーラとあの子の思い出は
アコースティック・ピアノとボーカルのみの編成で。はじめて聴いた曲。“コーラとあの子の思い出” という歌詞のリフレイン。小山田壮平の書いた曲には『投げKISSをあげるよ』に「コーラ」の用例がある。これを思い出して私はコーラを買って飲んだことがある。コーラがうまそうに思えて、買って、飲みたくなる。そうさせる。彼の音楽と、歌詞・ことばと、コーラの複雑なヒミツのフレーバーが相まって醍醐味を呈している。そんな「コーラ曲」がまた増えた。
MC
藤原寛、濱野夏椰、久富奈良が入場。一緒にインドに行ったときに、往復のチケットを小山田壮平が濱野夏椰の分まで用意してくれた、という小山田の「旅慣れているエピソード」を紹介した濱野夏椰。
空は藍色
イントロのブリッジミュート・ギターが期待感を高め、満たす。andymori曲。私の大好きな曲。初期からのレパートリー。美しいピアノを含んだ編成で。小山田壮平はアコースティック・ギター。宮崎真利子は電子ピアノを演奏。コシと粘りのある魅力的なブリッジ・ミュート・ギターのトーンが帰ってくる間奏明け。ボーカルが乗って、円団のエンディング。
君の愛する歌
バイオリン奏法の幻想的なエレキ・ギターではじまる。アルバム『THE TRAVELING LIFE』中でも特に私が好きな歌。はじめてこのアルバムを曲順に聴いたとき、私は「この曲で終わるんじゃないか」と予感した。結果としてその予感は間違っていて、『君の愛する歌』はアルバムのM10。アルバムトラックはM12まで続く。たとえば映画のエンディングに使いたくなるような曲だ。背中に置かれた手の温かみのような曲。“君の愛する歌を歌いたい” と歌われる。独立、自立、自尊の心。それらは生きていくうえで私が最も重んじているものでもあるのだけれど、それでもこの曲は “君の愛する歌を歌いたい“ と明るく云ってみせる。このキャラクターがアルバムのラスト・トラックにいいなと思ったんだけれど、今回のLIVEWIREセットリストの最後に持ってきてくれた。アンコールとはね! 嬉しい。
物語は終わったかとおもえば始まる。ピリオドのあとには、つぎの文のあたまがつながっている。どこまでも旅はつづく。
青沼詩郎
※本文中、“”で囲ったボールド・イタリック体部分はすべて各段落の冒頭にあるタイトルの楽曲、小山田壮平による作詞からの引用。
『LIVEWIRE presents OYAMADA SOHEI LIVE2020』の正しく詳細な報告記事としてこちらをおすすめします。外部リンク 音楽ナタリー
2020年8月に発売された小山田壮平のソロ・アルバム『THE TRAVELING LIFE』