ゆらめく頼もしき連帯観念
「僕の髪が」……と歌い出される名曲『結婚しようよ』が収録・表題されたアルバムの最後をしめる楽曲です。
少しふざけたりおどけたりして歌っているみたいなニュアンスを覚え、フォーク・クルセダーズみたいな諧謔みを感じもします。オー・シャンゼリゼ、オール・ユー・ニード・イズ・ラブといった曲に通ずるスウィング感・ガヤ感。飲み・打ち上げの席みたく緩い規律のもと、やがて各卓上も巻き込んでの合唱:シンガロングになり「ラララ」を経てエンディング。
金管楽器もいるがハーモニカもいてスタイルやバックボーンの異なる素材がカーテンコールで同居して主題の「ふるさと」:時にガサツに一絡げにされ町、村、市、そして国(すなわち「ふるさと」)のシズル感(そのものらしさ)を抽出・転写してみせます。いろんな背景のいろんな目的・志(こころざし)の人が共生(たまたま近い距離同士・一定範囲の地域に居合わせつつ)しつつも、雲を掴むみたいにあってないような共同体観念≒国≒ふるさとによってつながり連帯できるあやうさと頼もしさの重ね合わせを暗示します。
ワンセクションの反復のみで最後まで千鳥足でタッチダウン。シンプルかつ豪快でニギヤカでアルバムのラストにふさわしいテキトウ(←良い意味。自由、カジュアルのニュアンスで)さでみんなが幻のような根源的な観念:「ふるさと」によってひとつになります。
ふるさと 吉田拓郎 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:吉田拓郎。吉田拓郎のアルバム『人間なんて』(1971)に収録。
吉田拓郎 ふるさと(アルバム『人間なんて』収録)を聴く
終始ガヤ感があります。ガヤすなわち自由な会話や賑やかし、独り言みたいなスタジオメンバーの声がガヤガヤしてのイントロ。左におそらくサックス、右にトランペットとトロンボーンが定位してオクターブ違いの音域でユニゾンしたりしゅつつ旋律を吹いていると思われ、リードメロディ、歌詞があるところではカウンターメロディをとり、楽曲の大部分で存在感をふるいます。
ベースのスウィング感がちょっと酔っ払っているみたいで良くも悪くもラフ。それをタシっとドラムスが肩を組んで支える徒党フィールがたのもしい。
イントロのガヤがやんで最初のコーラスは吉田さんがひとりでうたいますが、2コーラス目くらいからもう徒党どもをつれて一緒にハーモニーするでもなく同じ旋律をくちずさみます。だんだん酒が深まっていくみたいに音程もラフなやつが混じり始める。ハンドクラップの和が絶好調。この楽曲の輪を演出する重要なキャラクターがこの手拍子です。
和声を支えるパートとしては、あんまりアコースティックギターやらピアノが前にぐいぐい出てきません。入っているのかしら。このおかげで一人のシンガーソングライターが楽器を弾き歌いして人々の輪を率いる構図ではなく、ただただ横並びの、それこそふるさとのただの同級生たちの輪がそこにあり背中には故郷の景色や周辺人物たちの営みがただそびえている、みたいなフラットなコントラストとサウンドスケープが成立しています。
隠し味くらいの存在感ですがオルガンがピーピーとチープな倍音の立った音色で線を描き込みますが、それほど和声を支えるような質量感でもありません。宴会の席の遠くにせかせかと無心に働く厨房がある、くらいの距離感です。
「良い、良い、良い、人間バンド……」なんてガヤがエンディングに聞こえた気がするのですが、とにかく自由にしている様子が記録されています。五線にも起こせないし、たぶんこういうのを生成AIがいつの日かやれるようになってもあんまり意味がないんじゃないかな。このせりふを発しているのはスタジオメンバーのXXさんの声じゃないか?これは吉田さん本人じゃないか? とか想像を誘いますし、演奏や人の声には場の関係性や雰囲気が映り込みます。さすがにAIどうしにAI関係(人間関係)とかは考えにくい。それも群像を生成してしまえるようになれば軽く賄えてしまうのでしょうか。それらをキャラクターとして面白がれる価値観が世の中についてくれば、それもありなのかもしれません。
話が脱線したかもしれませんがアルバム『人間なんて』は人間を考えさせると同時に、人間以外を考えさせるきっかけを宿しています。AIのふるさとは人間じゃないかしら。
青沼詩郎
吉田拓郎 | FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INCへのリンク 2026年9月23日に『吉田拓郎 SPECIAL LIVE 春だったね2026(BD and DVD)』がリリースされています。
『ふるさと』を収録した吉田拓郎のアルバム『人間なんて』(1971)