日常と好奇心、“秋の日の呪文”
少しずつ言葉を進めては2拍ほど休符するリズムをもったきれいなメロディ。“真昼のできごとだれも知らない 秋の日の呪文”と季節を直接詠みますが「呪文」がなんなのかの明言は避けられています。枯葉舞う一瞬が永遠に思えたり、2コーラス目のヴァース、 “退屈して電話して 映画みて お茶飲んで”といったありふれた日常生活と日常をわずかにはみ出さんとする知的好奇心のせめぎあいの輪廻だったり、不定形の心の動きあるいはぽかんと立ち止まってしまう思わぬ小さな幸せの発見だったりが“秋の日の呪文”そのものなのかもしれません。
『テレフォン・ラブ』ほかを収録したこのアルバム『曽我部恵一』からは、自我が季節を渡っていく順序だった展開、日記のようなありふれた普遍、平穏の積み重ねから海のようなどこにでも行ける母船(育児や家族との関わりなどを含んだ家庭生活かもしれないし、未来にふたたび動き始めるバンド活動に接続する動機かもしれませんね)が育っていくのが感じられます。
「おれもこの歌うたってみたいな」と思うような曽我部さんやサニーデイ・サービスの曲づくりが素敵です。
スピンコースターというWebサイトにこのアルバムを作ったときの時期のご自身をかえりみた曽我部さん本人のコメントが載っています。参照してみてください。このアルバムの弾き語り再現演奏を試みたライブ(2022年)の映像もYouTubeで公開されています。
真昼のできごと 曽我部恵一 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:曽我部恵一。曽我部恵一のアルバム『曽我部恵一』(2002)に収録。
曽我部恵一 真昼のできごと(アルバム『曽我部恵一』収録)を聴く
楽器があって3〜4人のメンバーがいて、呼吸をするように音を鳴らして、心臓の鼓動や足並みが揃って協調する、演奏=編曲というふたつのプロセスがほとんどぴったりと重なったみたいなアプローチが優しく穏やかで平らです。足るを知る、シンガーソングライターのある瞬間の最高解が何気なく続くと思った凡庸な秋のある日にふと舞い込んだような歓喜をおぼえます。
左右にひらいたアコギ。間奏もアコギがアルペジオのような動きで時間をみたします。おれのバイオリズムについてこい、でもなく、ただ、街に目的も背景もことなる人々が行き交いすれ違いつつ意図せず「街」の日常が織りなされるように奏でる人の姿がみえる。そういう音楽は私の理想のひとつだと、曽我部さんのこの曲を聴いているとしみじみ思います。ベース、ミュートのきいたドラム、アコギの音が素直、素朴。ちりり……とささやかにタンバリンが鳴る瞬間が、呪文が浮かぶ瞬間なのかもしれません。秋の日の呪文……と歌うところでⅦ♭M7の調性外のコードをあてているのも「呪文」な感じがしますし、ボーカルメロディもこの曲のキーすなわちDメージャースケールのⅱの音階音にすっと浮かんでしまうところ、秋風にふかれて舞い上がったみたいなかろみがあります。
呪文の具体は常に変化する。あなたの今日のおこない、思いやりや愛をもってだれかにかけたありふれた言葉こそが秋の日の呪文なのではないかと思わせます。
青沼詩郎
『真昼のできごと』を収録したアルバム『曽我部恵一』(2002)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『真昼のできごと(曽我部恵一の曲)日常と好奇心、“秋の日の呪文”【ピアノ弾き語り・寸評つき】』)