アバラの檻に心
斉藤和義さんの企画盤『紅盤』(2007)にカバーがあって、私はそこで初めて知りました。
潔白であることへのこだわり、手つかずであることに感じる主体的な価値は長い時間の経過とともにゆっくりすぼまっていきます。ある時自分にとって大きすぎた物事がいま手のひらに収まっている老婆心みたいな感慨をメラメラと燃え盛らせ、痛く苦しかったことを痛く苦しかったとおりに思い出させる歌詞の壮絶さをネガポジ反転させるように美しくおだやかなメロディ。
2007年頃に斉藤さんのカバーを聴いたときも美しい歌だと思いましたが、それから20年近い時間が経とうとしている今朝聴くと、まるで一瞬に一生が流れ込んでくるような衝撃がありました。この楽曲を発表した当時の早川さんは50歳を超えている頃だと思うのですが、その時期にこの曲を純白に表現できる凄みが美しく嘆かわしいほど。
肋骨にまもられて心臓がある、とすれば人間の共通の身体の特徴でしかありませんが、アバラの檻に心が閉じ込められているよ抽出転生解釈すればメラメラとものものしい心理的な事件衝撃がそこにあるように思えます。
天使の遺言 早川義夫 曲の名義、発表の概要
作詞:森雪之丞、作曲:早川義夫。早川義夫のアルバム『歌は歌のないところから聴こえてくる』(2000)に収録。斉藤和義の企画盤『紅盤』(2007)にカバーがある。
早川義夫 天使の遺言(アルバム『歌は歌のないところから聴こえてくる』収録)を聴く
不器用さが訥々と綴られるピアノと歌。いえ、折り合えない、折り合わない心。ごまをすらない。折れない。折ることができない。こうあるだけ、である。ただそうあるものをそうあるままに、そうあるとおりに表現する切実さに身を切られる鋭さが宿ります。
ベースとボーカルメロディをそれぞれ単音でとっていくピアノ。ところどころメロディが同音連打するところはピアノのストロークを省略(まとめる)したりします。動けるところではピアノを動かして分散和音を表現。澄み渡る単音のメロディにときおりかむさるわずかなペダルの濁りがリアルで生々しい。純粋なダイアトニックの和音にたびたび刺激を与えるディミニッシュコード。
汚れないままでいることへのこだわりを思い出させます。汚れる前と汚れたあとではこの曲は違って聴こえるでしょう。汚れるなんてまっとうな形容ともかぎらない。ジーパンのいろおち。シミ。ヤケ。これからそれらをまとっていきます。自分の物語です。手相、人相にも似ます。己がつきあっていくもの。背負っていくもの。ついてまわるものそのものです。
乳房の丘のサナトリウム。悪魔に抱かれて白いお尻をくねらせた天使。理性を吹き飛ばす表現がふんだんに混ざり純白を消し炭にしにかかる。人が道すがら経験していく一式でしょう。身体の生々しさを想起させる表現を容赦なくけしかけてリスナーの心をぐらつかせます。ぐらつかないために生きているんじゃないんだから。ぐらつけばいいし道をはずれればいいのです。そこが轍になるだけだから。
青沼詩郎
参考Wikipedia>早川義夫、Words of 雪之丞、紅盤
早川義夫 | ソニーミュージックオフィシャルサイト – Sony Musicへのリンク
『天使の遺言』を収録した早川義夫のアルバム『歌は歌のないところから聴こえてくる』(2000)
『天使の遺言』を収録した斉藤和義の企画盤『紅盤』(2007)
『天使の遺言 (早川義夫)/ 斉藤和義』を収録した『Words of 雪之丞』(2006)