高校のときの友達にZAZEN BOYSを教えてもらった。

NUMBER GIRLもろくに通っていない不届き者が私だったけど、教えてもらったそれをいたく気に入った。

『Kimochi』が入っているアルバム、『ZAZEN BOYS』(2004)だった。

その友達とは、収録されている歌詞の一部を何気なく口に出しては話題にして、味わいの妙を笑い合ったり、感動のツボを共有したりしていた。

高校生だった私にZAZEN BOYSの歌詞の、何がおかしみだったんだろうか。それは今の私が思うそれと同じかもしれないし、違うかもしれない。そのときの『Kimochi』は、そのときの私だけのものだ。

変容するKimochi

ZAZEN BOYSの歌詞が気持ちがいい。口に出して真似たくなる。人に話して共有したくなるおかしみがある。

ZAZEN BOYSは演奏も表現の個性も抜きん出いてる。それでいて、普遍だ。卓越や奇抜の裏返し。

高校生の私にも、彼らの発した音楽は響き、轟いた。あれから17年くらい経ったか。いまの私にはあのときとはまた違った感慨を与えてくれる。Kimochiは粘着質の蹴鞠みたいにコロコロと新しいものをまとい、変容していく。あの頃を内側の層に巻き込みながら。

一番内側にある核はなんだろう。それもまたKimochiかもしれない。

“貴様” 礼と志

歌詞の“貴様”という単語が際立つ。「貴様」は、罵ったり蔑んだり、相手との関係を粗暴に扱うときに用いることばでもあるが、もともと、大事な相手を敬って、その関係をありがたがり丁寧に応対する表現でもあるはずだ。

『Kimochi』の歌詞に含まれ、今ここで呼吸する私の体を震わせるその響き。鋭くてスピードがある。迅速に伝わることは、相手への敬意だ。自分にとっての快適さでもある。単語“貴様”の奥にはその人がある。“貴様”が刺さる胸も、また人のもの。よそ様、貴様の胸に刺さる呼称。

ステージとフロア(演者とリスナー)の関係で、私はZAZEN BOYSが磨いた礼と形式で彼らの志を味わう。“貴様”は入れ物で、中身が“Kimochi”。伝統や文化に習い、経験をともなって文脈、知見を醸成してきた表層。いま最新のこの瞬間。

轟音の雨

感情と理知のはざまで狂っているような。興奮して平静しているような。ドラムストロークは嵐の如く。32ビートってどういうことか、私はこの曲で理解を築いたと思う。

特殊な楽器や編成ではない。ギターやベースやドラムスを分担した演奏活動、すなわちバンドは広く親しまれている。近所のにーちゃん、ねーちゃん、おっちゃん、おばちゃんほかあらゆる人々の中に、バンドをやった経験のある人を探すのはそう難しくないだろう。ZAZEN BOYSは、大衆的でありふれた形式やツールで、普遍を破格に昇華する。轟音の雨が降る。

ZAZEN BOYSのことを、法衣を着たレッド・ツェッペリンだかそんなような表現でたとえているのをどこかで目にしたことがある。ZAZEN BOYSの築いたスタイル、そこに注ぐ心血を鑑定していくと、一例としてレッド・ツェッペリンなるバンドにたどり着くこともあるのかもしれない。流した血が未来に注ぎ、受け継がれる。混ざり合って新しい血になる。ZAZEN BOYSもレッド・ツェッペリンも、何かをぶち壊して中身をぶちまけた。内容物をKimochiと呼ぼう。

固有で普遍の『Kimochi』

向井秀徳と椎名林檎がテレビ番組で『Kimochi』を共演した映像があって、それもまた私や級友の話のタネになった。Kimochiは音波。音波は伝播。ミュージシャンもそれ以外も、影響を受けて、変容する。

『Kimochi』を思い出すと、自分の高校のときの軽音楽の部室の風景が浮かぶ。妙に広くて、殺風景。冷たい床の上に、ヘッドとキャビのサイズがちぐはぐなマーシャルアンプ。機材やらかつて機材だった雑多なものが造作・無造作にだらけた。かき集めて並の広さの部屋に詰め込んだらゴミ屋敷。だらける人間も、志あるKimochiも許容する部屋だった。つめたく、無表情で、がらんどう。あの部室でZAZEN BOYSの話をした友達の顔が浮かぶ。元気にしているか。

私の内側のほうのKimochiが、いまの私のKimochiの皮下でうずく。他人と共有は難しい。共鳴することはある。固有で普遍で、伝播して変容する、貴様のKimochi。

青沼詩郎

リンク

ZAZEN BOYS
http://www.mukaishutoku.com/main.html

『KIMOCHI』を収録したアルバム『ZAZEN BOYS』(2004)