高校のときの友達にZAZEN BOYSを教えてもらった。

NUMBER GIRLもろくに通っていない不届き者が私だったけど、教えてもらったそれをいたく気に入った。

『Kimochi』が入っているアルバム、『ZAZEN BOYS』だった。

その友達とは、収録されている歌詞の一部を何気なく口に出しては、よく話題にして、笑い合ったり、感動のツボを共有したりしていた。

高校生だった私にZAZEN BOYSの歌詞の、何が分かったんだったか?

今の私よりも、よっぽど分かっていたかもしれない。

そのときの『Kimochi』は、そのときの私だけのものだ。

人間のおかしみ

ZAZEN BOYSの歌詞が気持ちがいい。

口に出して真似たくなる。

人に話して聞かせたくなる。

人間のおかしみがある。

もちろん、この特異な個性集団固有のおかしみかもしれない。

それでいて、普遍だ。

高校生の私にもおもしろがれた。あれから17年くらい経ったか、いまの私には感涙さえもたらす。

Kimochiがない人間なんていないじゃないか。

“貴様”

歌詞の“貴様”という単語が際立っている。

「貴様」は、罵ったり蔑んだり、相手を粗暴に扱うときにつかうことばであると同時に、もともと、大事な相手を敬って丁寧に対象を指すことばでもある。

それを、現代に響かせた曲、『Kimochi』。

自分を尊ぶKimochiがあってはじめて相手を尊べるし、その逆もだ。

私もあなたも、バンドの音を鳴らしたり、それを聴いたりしている。お互いにとっての“貴様”だ。

破格のバンド

轟音がすごい。

みんな、感情的に理知的に狂っている。興奮して平静している。

ドラムストロークの嵐がたまらない。32ビートってどういうことか、この曲で私は理解を築いたかもしれない。

特殊な楽器や編成ではない。ありふれた道具や形式による、破格の表現。バンドってこんなことができるんだ。飛び抜けていて、他に似たものがない。

法衣を着たレッド・ツェッペリン…(だったか?)そんなような形容をどこかで目にしたけれど、なるほど。ルーツをあたればそうなるのかどうか。そう思って聴くと、またレッド・ツェッペリンの味わいも広がりそうだ。レッド・ツェッペリンもまた、時代やところ違えど、破格のバンドだ。スタイルをぶちこわし、スタイルを打ち立てたかもしれない。その中身は、感情であり肉体であり、Kimochiみたいな何かだったかもしれない。

固有で普遍の『Kimochi』

向井秀徳と椎名林檎がテレビ番組で『Kimochi』を共演した映像もまた、私や級友の話のタネにもなった。

他ミュージシャンへ与えた影響も大きい。

単曲を取り出して語るべきじゃないかもしれない。アルバム『ZAZEN BOYS』には全曲の有機的なまとまりを感じる。でも、あえてそれをした。

『Kimochi』を思い出すことで、自分の高校のときの軽音楽の部室の風景が浮かぶ。へんに広くて、殺風景な床だった。その上に、ヘッドとキャビのサイズが合っていないマーシャルアンプやら何やらが散らかったていた。機材やら雑多なものをかき集めて、並の広さの部屋に詰め込んだら人間の入る隙間はなかったかもしれない。無機質でカオスな、がらんどう。そこでZAZEN BOYSの話をした友達の顔が浮かぶ。最近元気にしているか、どうか。

あの日の『Kimochi』が、いまの私の『Kimochi』を引き出す。

『Kimochi』はただの名曲なんかじゃない。固有で普遍の『Kimochi』なのだ。

青沼詩郎

リンク

ZAZEN BOYS
http://www.mukaishutoku.com/main.html

『KIMOCHI』を収録したアルバム『ZAZEN BOYS』(2004)